岩本康志のブログ

経済,財政の話題を折に触れて取り上げます。

Yahoo! ブログから引っ越しました。

東日本大震災級とは何か

2017年4月に予定されている消費税の10%への増税について,安倍首相は,リーマン・ショックや東日本大震災級の事態にならない限り予定通り引き上げる,という発言を度々している。東日本大震災級の事態の目安を考えるために,少し作業してみた。

 気象庁のサイトには,大きな被害をもたらした地震に関する3種類のリストがある。

(1)「過去の地震津波災害」は,「明治以降1995年までに、我が国で100人以上の死者・行方不明者を出した地震・津波」をリストしている。
(2)「気象庁が命名した気象及び地震火山現象」は,「顕著な災害を起こした自然現象の命名についての考え方」に基づいて命名した地震をリストしている。命名には,以下の3条件があげられている。
 1 地震の規模が大きい場合
  陸域: M7.0 以上(深さ100km以浅)かつ最大震度5弱以上
  海域: M7.5 以上(深さ100km以浅)、かつ、最大震度5弱以上または津波2m 以上
 2 顕著な被害(全壊100棟程度以上など)が起きた場合
 3 群発地震で被害が大きかった場合等
(3)「日本付近で発生した主な被害地震(平成8年以降)」は,「平成8年以降の期間に日本付近で発生した、人的被害を伴った地震」をリストしている。 番号が若いほど被害が大きい地震になる。(2)の気象庁が命名した地震は1960年のチリ地震津波以降となり,それ以前の記録がない。

 気象庁以外での記録としては,建築研究所国際地震工学センターのサイトに,宇津徳治氏の「世界の被害地震の表」をアップデートしたデータベース(宇津カタログ)がある。日本の被害地震については,416年の地震から2013年10月26日の福島沖地震までの1,380件のデータがある。このデータベースでは,地震被害を7段階で表示している。

 D1: 壁や地面に亀裂が生じる程度の微小被害。
 D2: 家屋の破損・道路の損壊などが生じる程度の小被害。
 D3: 複数の死者あるいは複数の全壊家屋が生じる程度,ただしD4には達しない。
 D4: 死者20人以上または全壊家屋1000以上,ただしD5には達しない。
 D5: 死者200人以上または全壊家屋10000以上,ただしD6には達しない。
 D6: 死者2000人以上または全壊家屋10万以上,ただしD7には達しない。
 D7: 死者20000人以上または全壊家屋100万以上。

 消防庁の集計(このブログ記事執筆時点で最新の5月20日現在)では,2016年熊本地震の人的被害は死者69人,重傷364人,軽傷1,312人,家屋の被害が全壊4,620棟,半壊12,290棟,一部損壊57,118棟であることから,D4に相当することになると思われる。
 下の表では,「明治以降、我が国で100人以上の死者・行方不明者を出した地震・津波」(表の左)とそれ以外の「気象庁が命名した地震」(表の右)に,宇津カタログの被害ランクを加えて,整理してみた。それぞれ発生年,地震名,人的被害(左側が気象庁サイトにある死者・行方不明者数の合計,右側が宇津カタログの数値),被害ランクを示した。地震と震災は別概念であるが,理解しやすいように,関東地震は「関東大震災」,兵庫県南部地震は「阪神・淡路大震災」,東北地方太平洋沖地震は「東日本大震災」と,震災名に置き換えている。

大規模被害地震の一覧


 明治以降のD7の地震は明治三陸地震(1896年)と関東大震災(1920年)の2回である。D6の地震は7回あり,東日本大震災が最大である(注1)。
 1960年以降のD4以上の地震は,宮城県北部地震(2003年)をのぞき,上の表に含まれている。D3の地震は,「気象庁が命名した地震」に含まれたり,含まれなかったりする。また,2つのD2地震が表に含まれている(表ではD2の表記を省略している)。松代群発地震は,一連の地震に対して命名されているが,宇津カタログではそれぞれの地震が1件のデータとなっている。
 宇津カタログにより,大きな地震の長期の記録を見てみる。D7(D6-D7を含む)の地震は,全部で4回ある。明治以前は,明応地震(1498年),宝永地震(1707年)の2回であり,どちらも南海トラフ地震である。それ以外のD6(D5-D6を含む)の地震は明治以前に18回,全部で25回である。
 下の表は,各世紀のD5以上の地震の回数をまとめたものである。D6以上の地震が記録された13世紀以降を対象にした。
大規模被害地震の発生件数
古い時代では被害地震の件数が小さくなっている。これは,(1)記録が残っておらずデータベースに収録されていないこと,(2)13世紀頃の日本の人口は600万人程度と推計されており(注2),同じ条件の地震が現在起こったときよりも人的被害は小さいこと,などが理由だろう。
 粗くまとめると,D7が100年に1~2回,D6以上が約20年に1回,D5以上が10年に1回強,のようになるだろうか。

1) 死者19,418人,行方不明者2,592人となっており,合わせるとD7級であるが,ここでは宇津カタログにしたがっておく。
2) Farris (2009)では,1150年の人口が約590万人,Farris (2006)では,1280年の人口が約600万人と推定されている。

参考文献
William Wayne Farris (2006), Japan's Medieval Population, University of Hawai'i Press.
William Wayne Farris (2009), Daily Life and Demographics in Ancient Japan, University of Michigan.

マイナス金利

 デフレ脱却のための非伝統的金融政策の手段についてブログで色々書いていたが(「リフレ政策」に対する私見(2010年4月時点のまとめと補足)」に一覧がある),2月に日本でも導入された「マイナス金利」については触れていなかったので,ここで取り上げたい。ちょうど『マクロ経済学』(有斐閣刊)の新版が出版されたところだが,改訂時にはマイナス金利の導入は予想もしていなかったので,筆者の担当箇所(ニューケイジンアン・モデルによる安定化政策)では名目金利はゼロ以下にならないものとして扱っていた。今回の記事は,その補足として,マイナス金利政策を理論的に見ていく。マイナス金利政策を理解するには,「金融資産間に働く裁定」(人々は利ザヤを抜こうとする。その結果,同種の資産には同じ金利がつく)をつねに頭に置いておくことが大事である。

 まず,政策金利をゼロ以下にできないと言う「ゼロ金利制約」の意味をあらためて確認する。現金(紙幣と硬貨)は金利がつかない(ゼロ金利)なので,それと同種の金融資産の金利がマイナスになると,誰もそれを保有しようとしなくなり,市場から消えてしまう。この世に存在しない金融資産の金利がマイナスであるといっても,そのような金利は存在しないのと同じことである。存在できる範囲での金利がゼロ以上であるから,金利の下限はゼロということになる。これが,ゼロ金利制約である。
 多くの国と同様に,日本での政策金利は銀行間で準備預金を融通し合う金利(無担保コールレート(オーバーナイト物))になる。銀行は,毎日の決済によるバランシートの増減を準備預金と現金をバッファーにして調整する。伝統的に教科書に書かれている説明は準備預金に利子がつかなかった時代を念頭に置いている。すると現金と準備の金利が同じなので,管理が少しだけ便利な準備が有利になるので,現金はそれを保有する固有の事情に応じて最小限保有するものと考えて,現金を捨象する。そして,準備(正確には法定準備を超える超過準備)をどれだけ保有するかは,短期の資産運用として,準備預金と短期の金融資産(ここでは短期国債を念頭に置く)をどのように振り分けるかを考えることで決まる。短期国債ではなく準備をもつことで短期金利分だけの運用益が得られなくなることが,貨幣保有の機会費用である。この機会費用が低いと,準備の需要が増える。
 準備預金に付利されると,貨幣保有の機会費用は「短期金利-準備預金金利」になる。この場合,「ゼロ金利制約」とは「短期金利-準備預金金利」がゼロ以下にならないということに変化する。ここで,準備預金金利をマイナスにすると,上の「現金と準備の金利が同じなので,管理が少しだけ便利な準備が有利」が,「現金の金利が高いので,現金が有利」に変わってしまう。銀行は準備預金に預けるよりは,現金で自行の金庫に現金を保管する方が,運用益は上回る。この資金の移動が完全におこなわれれば,超過準備は消滅して,マイナスの準備預金金利は意味がなくなる。実際,今回の日銀の政策でマイナス金利が成立するのは,このような資金移動が完全に働かないからである。大きくは,2つの理由がある。
 第1の理由は,準備預金の金利は0.1%,0%,-0.1%[2016年4月23日誤記修正]の3段階の構造をしていることに関係している。日銀が用意したQ&A「(参考)本日の決定のポイント」で説明されているように,「金融機関の現金保有額が大きく増加した場合は、その増加額を当座預金でゼロ金利が適用される部分から控除し、マイナス金利がかかる」ようにしている。つまり,銀行がマイナス金利を避けようと資金を現金に移す行動をしても,マイナス金利がかかる分を残すようにしている。現金保有の動機を日銀が判断することになるわけだが,実際にそのようなことが起こるのかは,非常に興味深い。
 もう一つの理由は,現金の管理は大変なので,少々のマイナス金利でも準備預金が有利と考えるからである。これは程度の問題であり,より金利が低くなる(絶対値が大きくなる)と,現金への代替が起こる。

 本来の「マイナス金利」政策は,現金の金利をマイナスにしようというものである。現金の金利が年マイナス5%になれば(1万円札が1年経てば9,950円になる),政策金利もマイナス5%まで下げられる。現金の金利も下がっていれば,準備預金金利を下げても,超過準備が消滅するような力は働かない。0.3%から0.1%に利下げするのと同じように,0.1%から-0.1%に利下げできると考えればよい。利下げの効果が金利水準に依存しないなら,0.2%分の利下げの効果は同じとなる。実際には効果の大きさが金利水準で違うことはあり得るが,現金の金利をマイナスにして試したことがない現状では,効果が違うかどうかはよくわからない。
 日本銀行が2月に実際に導入したのは,現金の金利はゼロのままで政策金利をマイナスにする,ある意味「不完全なマイナス金利」政策である。これは,すでにマイナス金利を導入した他国でも同様である。不完全なマイナス金利政策が実行されるのは,本来のマイナス金利政策を実行することがとても難しいからである。本当に実行しようとすれば,途方もない費用がかかる(現金が完全に電子化されれば,実行費用が下がる余地があるが,技術はまだそこまで到達していない)。
 不完全なマイナス金利政策の効果は,本来のマイナス金利政策の利下げ効果に,現金と近い金融資産に対して消滅に向かう力が働くことが加味される。金融資産が消滅すると市場が消滅し,それに事業を依存する企業も消滅するか,存亡の淵に立たされる。金融資産が消滅しなくても,市場は存亡の淵に立たされる。現に,日銀の発表直後にMMFの募集が停止された。銀行も直ちに存亡の危機ではないが,収益低下の懸念から株価が大幅に下落した。あまり好ましいとは考えられない効果であるので,「副作用」と呼ぶことにしよう。つまり,そうした副作用付きマイナス金利政策が実施された。
 市場や企業への副作用の程度は,現金との裁定がどの程度働くかで決まる。現金との裁定からは遠い外国為替取引によってマイナス金利で調達できた資金は,それよりも高いマイナス金利(絶対値が小さい)で運用できれば利ザヤがあるので,これまでも短期金利がマイナスになったことはあった。しかし,MMFや銀行は,マイナス金利での運用を余儀なくされる資金の調達が現金と近い(家計が現金で保有するか,MMFを購入するないし銀行に預金に選択で意思決定をしている)ので,調達する資金の金利をゼロ以下にすることが困難なことが深刻な問題になる。

 黒田総裁は,更なる利下げによって追加緩和の手段があると言っているが,そうすると現金との金利差が大きくなって,現金との裁定との影響を受ける範囲が広がり,副作用が大きくなるだろう。どんどん進めれば,銀行をつぶしてでもデフレ脱却を目指すのか,という極端な話になってしまう。本来のマイナス金利は実施費用が下がれば選択肢になり得るが,副作用付きマイナス金利は,基本的には無理筋な政策である。

財政破綻への道はアベノミクスで舗装されている

 11日の朝日新聞朝刊に,私のインタビュー記事が掲載されました。「アベノミクスでいいのか」という題で,片岡剛士氏とインタビューと合わせての掲載ですが,インタビューは別々に行われており,私は今日の紙面ではじめて片岡氏の記事を見ました。そういう経緯で論点が噛み合うには至らなかったのですが,とりあえず私の論点についてここで補足します。
 アベノミクスの評価という大きな話題ですので,論点は多岐にわたり,紙数におさまるように記者が取捨選択することは避けられません。なぜアベノミクスが財政破綻に結び付いていくのか,はまだ起こっていないことがなぜ起こるのかを読者に想像してもらわなければいけないので,説明に苦労を要します。そのために注意して論点を組み立てたのですが,出発点の論点(国債の性格)が落とされてしまったので,うまく私の考えが伝わっていないかもしれません。それを補い,なぜアベノミクスが財政危機を呼び寄せるのかを再論します。

 いまの日本の財政運営を考える場合,巨額の債務を抱えているということをおさえておかないといけません。財政運営の戦略は,つつがなく債務を償還できる戦略であることが何よりも必要です。株式は業績が悪ければ配当しなければいいですが,国債は,経済と財政の状況がどうであれ,期限が来れば利子と元本を償還しなければいけません。国債が安全資産であることの条件は,経済が低迷して財政状況が悪くなる事態でも確実な償還ができるように政府が考えていることです。
 そこで問題になるのは,従来は堅実に低めに見積もられた経済成長の前提のもとで財政健全化が考えられていたのが,6月にまとめられた骨太の方針では,実質2%超,名目3%超という高い成長率の前提に変えられたことです。成長戦略とデフレ脱却が成功して,このような高成長が実現すれば喜ばしいことですが,問題は以前の政権も皆,成長戦略を実行してきたにもかかわらず,残念ながら高成長は実現しなかったし,その間に日本経済はリーマン・ショックや東日本大震災の大きなショックに見舞われて,財政は改善しませんでした。従来のような低目の成長に終わる不本意な事態を避けたいのは山々ですが,避けたいと思えばかならず避けられるようなものではありません。低成長になったときのことを考えないのは,巨額の国債を抱えたもとでの財政運営では危険なことです。不幸にも悪い方向に転んだ場合,「これまでも起こったことがまた起こるとはまさか思わなかった」という言い訳は通りません。難しい経済理論を使わなくても,ごく常識の範囲内(願望はかなわないこともある)で,骨太の方針は,財政運営戦略(債務償還計画)の体をなしていないことがわかります。そして,政権の財政運営の当事者能力が疑われます。

 以上のように,きわめて基本的なポイントを踏み外してしまったことが財政破綻への道の出発点です。これに,歳出・歳入の改努力をしないこと,政府から通貨発行益をあてにする発言が出ること,日銀が政府に接近した状態で国債を大量に購入していること,等の「環境整備」が進んでいます。

 金融政策では原油安に関する論点が記事に入りませんでした(記事に入った耐久消費財価格下落の論点より,こちらの方が含意が深くて重要と私は考えています)。それを補って,要約します。

 日銀の異次元緩和は,財政のリスクを増やすという意味で有害で,物価目標の達成に失敗したという意味で無益でした。量的緩和からの出口で日銀の財務状況が悪化する議論がだいぶ広まるようになりました(実は,15年以上も前からある議論です)。日銀は政府の子会社なので,日銀の財務状況の悪化は政府の財政状況の悪化に直結します。
 2年程度の期限をつけた物価目標の達成は失敗だったわけですが,日銀はその理由に原油安をあげています。しかし,原油安自体は国民生活にはプラスと考えられるので,原油価格変動については,物価目標を達成しようとすることは有害となります。
 また,食料(酒類を除く)及びエネルギーを除く総合指数(コアコアCPI)も目標の2%には遠いので,原油安を免責事項とすること(目標を達成できなかったことの言い訳と認める)こともできません。

 以上をまとめているうちに,インタビュー時に話していないことも色々と補足したくなりましたが,それは別の機会にまとめることにします。

 片岡氏と私は論点の立て方が違い,読者は主張がすれ違っているとお感じになっていると思うので,片岡氏の側の論点について少しだけコメントします。ただし,「片岡氏の意見として記者がまとめたもの」に対するコメントですので,「片岡氏は…」という言い回しは避けます。

 まず,アベノミクスの功績として,円安をあげています。――私の円安の評価は,3月4日の日本経済新聞朝刊(経済教室)「『官製春闘』,経済かく乱も」でのべたことがあります。国内に生産を残していた一部の輸出企業は恩恵を受けましたが,大部分の国民には賃金上昇をともなわない物価上昇になったことから,功績としては評価できません。
 つぎに,2014年4月の消費税増税がインフレ期待を後退させたとしています。――将来を織り込んだ予想が変化するのは,織り込まれていない何か(サプライズ)が起こるときです。この増税はサプライズではなく,野田政権時に決まったことを予定通り実施したものです。別の箇所では期待に働きかける政策が重視されていますが,「期待に働きかける政策が重要であり,その前提として人々は将来を見越して行動するから,計画された消費税が予定通り増税された時点では期待に変化はない」と主張するか,「人々はなかなか将来を見越して行動できないから,計画された消費税増税の影響は実行時点で現れるものであり,期待に働きかける政策は機能しない」と主張するかのどちらかなら首尾一貫しています。しかし,消費税と他の政策で期待の持ち方が違う,という議論はその根拠をきちんと説明しないと恣意的なものになります。記者のまとめ間違いでなければ,別の機会で片岡氏による詳細な議論を拝見できればと思います。

関係する過去記事



参考文献
翁邦雄・白塚重典・藤木裕(2000),「ゼロ金利下の量的緩和政策:その効果およびリスク・副作用」,岩田規久男編『金融政策の論点:検証・ゼロ金利政策』,東洋経済新報社,143-182頁

対談「経済学部教育が目指すもの」

『経済セミナー』4・5月号特集「経済学入門:理想のカリキュラム」に,吉原直毅・一橋大学教授との対談「経済学部教育が目指すもの」が掲載されました。私が日本学術会議で作成に関わった「大学教育の分野別質保証のための教育編成上の参照基準 経済学分野」を紹介していただく意味も入った企画でした。
 新学期の時期で,これから経済学を学ぼうとする人たちに向けた企画なので,私の方からは参照基準の紹介に加え,経済学とはどういうものかを,わかりやすく説明しようとしました。説明をかなり単純化・世俗化したので,あまり格調高くないのですが,あえてそういう方向を目指しています。
 その理由のひとつは,吉原教授が現在の主流の経済学の限界や批判を語る立場なので,私からは単純な形の説明をして,吉原教授の発言を引き出すねらいです。
 もう一つは,対談では直接カバーされませんでしたが,最近話題になっている「G型大学・L型大学」の議論を意識しています。L型大学への提言通りに一流校以外は職業訓練校に転換してしまうと,大学で教養教育を受ける国民の比率が大幅に低下し,およそ先進国としてはあり得ない事態になります。馬鹿げた改革ですが,単に馬鹿にしていると,「ゆとり教育」のように実行されてしまうおそれがあります。
 こういう提言が出てくる背景にある教養教育への不信感に対して,大学側はお高くとまらずにきちんと向き合い,職業教育以上に教養教育が有用であることを説明していく必要があると考えました(最善の方法が何かはわかりませんが,とりあえず単純化・世俗化することを試してみました)。
 日本学術会議が参照基準の作成作業に入る前に教養教育のあり方について議論がされ,「(提言)21世紀の教養と教養教育」(PDF file)や「(回答)大学教育の分野別質保証の在り方について(第二部 学士課程の教養教育の在り方について)」(PDF file)が出されていたのは,そういう意識があったと考えています。経済学分野の参照基準でも,学生が経済学を学ぶことで身に付くことが社会に出たときにどのように活かされるのか,を説明することを重要な使命としています。

日本経済新聞・経済教室「『官製春闘』,経済かく乱も」

 3月4日の日本経済新聞朝刊の経済教室欄に拙稿「『官製春闘』,経済かく乱も」が掲載されました。「賃上げ2巡目の論点」シリーズの初回になります。
 拙稿は官製春闘に批判的なのですが,賃上げをするな,という主張ではなく,賃金決定への介入方法が経済原則を逸脱して問題だという趣旨です。政府が賃上げを直接要請するのはあきれた話ですが,新聞で「どこの阿呆が考えついたのか」と悪態をつくわけにはいかないので,落ち着いて経済学の常識的観点から問題点と代替策を示すようにしています。

 建設的な意見とするために,拙稿ではまず,実質賃金の向上を図るには何をすれば良いか,という問題設定をしました。そして,実質賃金(名目賃金/消費者物価)を

(名目賃金/名目GDP)×実質GDP×(GDPデフレータ/消費者物価)

と3項目に分解します。ここでは,海外との要素所得のやりとりを捨象して,GDPデフレータと輸出財価格が同じ動きをすると想定します。
 これにより,労働分配率の上昇,生産性向上,交易条件の改善が実質賃金を上げることになると整理でき,拙稿ではその順番で論じています(順番は,朝に記事をざっと読むときの都合の良さを考慮して決めました)。最初の「労働分配率の上昇」では所得分配と企業統治,2番目の「生産性向上」は経済成長,最後の「交易条件の改善」は国際貿易とマクロ経済の問題が関わっており,1つの問題設定を考えるのに幅広い分野の経済学の知識が使われることになります。
 拙稿の課題に関連する最近の分析には,今年1月に出された『日本経済2014-2015』(内閣府)の第2章第2節(PDF file)があります。ときの政権の方向性がおかしいと内閣府の経済分析も歪められかねず,財政運営やデフレ脱却ではそういう症状が出ていますが,官製春闘に関わるこの箇所は,何とか踏みとどまっておおむね堅実な分析がされています。

 余談ですが,私は常用漢字表外字を含む「乖離」,「攪乱」をよく使います。今回の原稿では前者は「隔たり」に言い換えましたが,表題にも使われた後者はうまくいかず,ひらがな交じりになってしまいました。

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