岩本康志のブログ

経済,財政の話題を折に触れて取り上げます。

Yahoo! ブログから引っ越しました。

行動制限解除の戦略

 表題のような記事を書いたのですが、数式が多いのでPDFファイルにしました(長いです)。下のリンクからアクセスしてください。

https://iwmtyss.com/Docs/2020/KodoSeigenKaijonoSenryaku_revised3.pdf

[2020年5月6日追記]最初に掲載した版では、議論に関係がないので、感染者の変化を示す式に回復者の項を入れてなかったのですが、その説明が抜けていました。説明を追加して修正しようと思いましたが、回復者の項を入れた方が読者には受け入れやすそうなので、そちらの方向に修正しました。
[2020年5月7日追記]昨日挿入した項は右辺から引くよりも左辺に足した方が本文の記述と合うので、そのように再修正しました。ついでに、1箇所「実行再生産数」となっていた誤植を直しました。
[2020年5月21日追記](11)式に誤りがあり、その直後の段落とともに修正しました。誤りのご指摘と有益なコメントをいただいた大土井涼二准教授(東京工業大学)に感謝したします。

新型コロナウイルス感染症による医療崩壊

 1918年から1919年にかけての日本でのスペイン風邪の第1波の感染者は、2,117万人にも及んだ。これだけの感染者が医療機関に押し寄せると、医療機関は大変なことになる。『流行性感冒』(内務省衛生局編、東洋文庫版、pp.228-229)には、患者を受け入れていた一般病床がひっ迫して、伝染病院(現在の感染症指定医療機関)で受け入れたことが書かれている。
 現在、スペイン風邪流行時以上に厳しい経済活動の収縮も辞さない措置がとられているのは、やはり限られた医療資源を超えて患者が押し寄せて医療崩壊になることを防ぐことが目的である。これまでのところ、1.4万人を超える感染者が医療機関に押し寄せて、大変なことになっている。
 3桁も患者数が違えば、深刻度も桁外れだ。・・・何かおかしいですね。
 じつはおかしく見えているのは、大事なことをぼかして書いているからだ。経済学の初歩の練習問題として、その大事なことを読者に発見してもらいたい。
 医療を需要と供給の視点から見ると、医療崩壊とは医療への需要が医療の供給を上回る事態と解釈できるが、超過需要になるか否かは、需要だけでなく、供給の条件も大いに関係する。需要が3桁少なくても、供給も桁外れに少なければ、深刻な超過需要は生じるのである。つまり、練習問題の回答は、「スペイン風邪と新型コロナウイルス感染症で医療の対応が違う」である。

 知識を増やすついでに、新型インフルエンザ等対策特別措置法における新型インフルエンザへの対応も一緒に見てみよう。
 特措法に基づき、東京都が策定した行動計画では、新型インフルエンザの被害想定をピーク時で、
①1日新規外来患者数:49,300人
②1日最大患者数 :373,200人
③1日新規入院患者数: 3,800人
④1日最大必要病床数: 26,500床
と置いている。
 行動計画にある下図は、医療機関の対応をわかりやすくまとめている。
ブログ用・発生段階ごとの医療提供体制
(出典)「東京都新型インフルエンザ等対策行動計画」(2013年11月、2018年7月(変更))p.29

 都内発生早期(都内で新型インフルエンザ等の患者が発生しているが、全ての患者の接触歴を疫学調査で追える状態)までは、新型インフルエンザ専門外来で対応して、ウイルス検査の上、陽性であれば感染症指定医療機関に入院させる。『医療施設調査』(厚生労働省)によれば、2018年10月の全国の一般病床は890,712床、感染症病床は1,882床であり、東京都の一般病床は81,347床、感染症病床は145床である(都道府県編第12表、報告書第27表)。想定の必要病床数と現実の感染症病床数でこれだけ桁が違うと、だれが見ても感染症病床のみで被害想定のピークを乗り越えられるわけはなく、行動計画では、都内感染期(都内で新型インフルエンザ等の患者の接触歴が疫学調査で追えなくなった状態)には一般の医療機関が対応するように変わる。国の行動計画も同じ考え方である。背後には、インフルエンザウイルスの感染対策をして、季節性インフルエンザを診療している一般の医療機関は、新型インフルエンザにも対応できるだろう、という想定がある。こうして振り向けられた医療資源で足りない場合には、臨時の医療施設(いわゆる野戦病院)の活用も行動計画に記されている。
 ちなみにスペイン風邪の第1波が到来した1918年の一般病床は37,103床、感染症病床は30,576床であった(『日本の長期統計系列』総務省統計局)。感染症をめぐる状況は、時代とともに大きく変わった。
 まとめると、スペイン風邪、想定されていた新型インフルエンザ、新型コロナウイルス感染症は、どれも医療は違った対応をとる。入院について見ると、インフルエンザであるスペイン風邪はインフルエンザとして扱われ、一般病床がまず対応した。新型インフルエンザはまず感染症病床が対応した後、感染が拡大すると一般病床と野戦病院の活用で対応する想定であった。新型コロナウイルス感染症は、まず感染症病床が対応し、一般病床と野戦病院の活用が進まず、莫大な経済活動の縮小の代償を払って、いま感染拡大を抑え込もうとしている。

 感染症指定医療機関は患者が押し寄せることで医療崩壊の危機にあるが、一般の医療機関は逆に、医療機関での感染をおそれて患者が減っており、経営が悪化している。超過需要のすぐそばで超過供給が生じているという、少し不思議な現象だ。需要は大幅に増えても大幅に減っても、供給側には問題が起こる。事態が悪化すると、患者が増えることの医療崩壊と患者が減ることの医療崩壊に同時に見舞われる「ダブル医療崩壊」になる。

(参考)
『平成30年医療施設(動態)調査』都道府県編第12表(報告書第27表)
https://www.e-stat.go.jp/stat-search/files?page=1&layout=datalist&toukei=00450021&tstat=000001030908&cycle=7&tclass1=000001133023&tclass2=000001133025

「東京都新型インフルエンザ等対策行動計画」(2013年11月、2018年7月(変更))

『日本の長期統計系列』24-29 病床の種類別病院病床数
https://warp.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/11423429/www.stat.go.jp/data/chouki/zuhyou/24-29.xls

実効再生産数が低下する5つの理由

 経済学者が新型コロナウイルス感染症の経済的影響を予想する場合、まず感染症の動向を予想しないといけない。そのため、経済学者も疫学でのSIRモデルの知識が必要になり、経済学者が同業者向けに解説したAtkeson (2020)が、重宝されている。SIRモデルでは、人口をS(未感染者)とI(感染者)とR(回復者)に分けて、その動きを非線形微分方程式で表す。感染者Iの時間的変化は、

dI/dt=βt(S/N)I-γI

で表される。ここでNは総人口である。右辺第1項は新規感染者である。1人の感染者がかりに周辺の人がすべて未感染者であったとすると平均的にどれだけ感染させるかが、時間によって変化する変数βtで表される(ただし、時間によって変化する変数は他にもあるが、tの添え字はついていない)。感染者と回復者は感染しないと仮定されており、平均的な感染は周辺の人のうちの未感染者の割合に比例する。第2項は感染者の減少(新規回復者)で、感染者の一定割合γが回復するとしている。感染からの回復がポアソン過程にしたがうと、γの逆数は感染期間の平均値となる。この式を変形すると、

dI/dt=[(βt/γ)(S/N)-1]γI

となり、右辺の大括弧内が負のままなら、感染者は減少していって、やがて流行は収束する。Atkeson (2020)はβt/γにRtという記号を当てたので、少しややこしくなった。というのは、実効再生産数

(βt/γ)(S/N)

にRtという記号を当てる文献が多数派だからだ。混乱を避けるため、以下では実効再生産数には記号を使わず、(経済学者にとってむしろ大事なので)何回か言及するβt/γは、このままの記号を用いる。
 感染の初期(時点0とする)には、感染者がほぼいないのでS/N≈1となって、

R0≡β0/γ

は基本再生産数と呼ばれる。Rが回復者と再生産数に重複して使われているのもややこしい。

 ここからは、Atkeson (2020)を離れて、筆者によるまとめになる。
 実効再生産数は5つの要因によって、時間を経て低下していく。2つは何もしなくても(行動変容がなくても)下がっていく要因、2つは何かをして(行動変容によって)下がっていく要因、最後の1つは今の時期に下がっていく季節的要因である。
①まず、感染が広がると、S/Nが小さくなることで、実効再生産数が下がっていく。これは感染者の周りに免疫をもった人(モデルでの回復者)が増えていると、新たに感染する人の割合が減るからである。初期の基本再生産数がずっと変化しないと、感染者の割合が(固定の)基本再生産数の逆数よりも大きくなると、感染は収束に向かう。集団免疫の形成である。
 残りの4つは、βt/γを下げる要因である。
②感染リスクに個人差があると、平均的な感染速度が下がっていくことで、実効再生産数が下がっていく。これは、最初に感染しやすい人が多く感染して、感染リスクの低い人が未感染者に多く残ることで、未感染者の平均的な感染速度が下がるためである。集団免疫の成立はこの下がったβt/γをもとに決定されるので、初期の基本再生産数が維持されると仮定した予測よりも早く集団免疫は形成される。
 リスク格差は社会の構造にも依存しているものであり、社会科学者であれば、このリスクの格差は等閑視できない。新型コロナウイルス感染症でも階層間の格差に注目した研究が現れている。経済学者が新型コロナウイルス感染症の代表的な予測モデルを展望したAvery et al. (2020)は、異質性に注目した節を設けている。①の項でのべたような、βt/γが一定である(リスクの格差がない)との仮定を社会科学者が安易に採用すると、自己矛盾につながる。
 以上の2つは、ほっておいても実効再生産数が減少するメカニズムであったが、感染症のリスクを認識することによって、人々の行動は変わってくる。
③まず、個人や企業が自衛して、色々と予防をすることが考えられる。
④つぎに、それ以上に政府が個人の自発的予防以上の行動変容を促したり、より強力な措置として行動制限(自粛要請、都市封鎖など)を課したりすることがある。
 ③と④に関しては、人間行動を分析する経済学が貢献する余地がある。個人にとって低い費用でできる行動変容をナッジで促すには行動経済学の知見が貢献できるし、費用がかかる行動変容には伝統的な経済学によるインセンティブ設計も役に立つ。政策評価の観点からは、政策がβt/γをどのように変化させるかを定量的に把握することが重要である。Avery et al. (2020)は、ここに関係するSIRモデルの定式化を、経済学でおなじみの構造型アプローチと誘導型アプローチの区別を使って、整理している。
 比較的費用のかからない行動変容は永続できるかもしれないが、多くは経済的・心理的費用をともなうので、行動変容や行動制限は一時的な感染症対策であって、長く持続できないところが他の要因と違う。したがって、集団免疫を得るかどうかには、関係しない。ウイルスを根絶できなければ、政策によって作り出された行動変容の多くは、一時的に感染速度を遅らせて「時間を稼ぐ」ために用いられる。
⑤最後は、感染症の季節性である。コロナウイルスによる風邪は、インフルエンザほどではないが冬に流行し、夏に沈静化する季節性がある。また、感染者の免疫も永続しない。Kissler et al. (2020)による、夏に基本再生産数が低下すると想定したシミュレーションでは、米国では新型コロナウイルス感染症の流行の波が何回か冬に訪れることが示されている。新型コロナウイルス感染症は「とてもたちの悪いウイルス性の風邪」だが、風邪のように暑くなれば流行が弱まるのか、たちが悪いので暑くなっても弱まらないのかは、季節が一巡りしないとわからない。このため、他の要因と違って、この要因の存在は確定的に言えるものではない。また、寒くなれば、季節性は実効再生産数を上昇させる要因となる。

 このブログ執筆時に実効再生産数は低下しているが、それに貢献していると考えられる要因が5つもあると、それぞれの貢献度を識別するのは、研究意欲をそそられる課題ではあるが、容易なことではない。①の識別は感染者数がわかれば可能だが、症状の無い感染者が非常に多いという問題があって、これすらよくわからない。限定的なデータから真の値を推測する作業も、計量経済学者が貢献できる分野である。その他の要因の識別の仕方についても、経済学者が貢献できる余地があるかもしれない。重要な研究分野ではあるが、残念ながら結論を出すには時間がかかりそうだ。
 そうこうするうちに政府が他の要因の貢献もすべて緊急事態宣言の効果によるものとして宣伝してしまうかもしれない。経済学者にとっては経済政策で見慣れた光景だ。

(参考文献)
Atkeson, Andrew (2020), “What Will Be the Economic Impact of COVID-19 in the US? Rough Estimates of Disease Scenarios,” NBER Working Paper No. 26867.

Avery, Christopher, et al. (2020), “Policy Implications of Models of the Spread of Coronavirus: Perspectives and Opportunities for Economists,” NBER Working Paper No. 27007.

Kissler, Stephen M., et al. (2020), “Projecting the Transmission Dynamics of SARS-CoV-2 Through the Postpandemic Period,” Science, April 14. 
https://doi.org/10.1126/science.abb5793

[2020年5月2日追記]
数式が見づらいので、数式がきれいなPDF版を公開しました。

感染症の経済的被害

 23日に発表された4月の「月例経済報告」は、景気判断を「急速に悪化」へと変更した。今月末には3月分の労働統計、生産統計が発表され(28日に『労働力調査』、30日に『鉱工業指数』)、来月18日には1~3月期のGDP速報が発表される。ここまでも悪い数字だろうが、来月末には緊急事態宣言の出た4月の統計が発表される。どこまで落ち込むだろうか。

 感染症の経済的影響をどのように考えるか。一つの手段は、過去の経験を見ることだ。新型コロナウイルス感染症は、1918年から大流行したスペイン風邪以来の世界的に大きな人的被害をもたらしている。しかし、日本でのスペイン風邪に関する当時の記録である『流行性感冒』(内務省衛生局編、東洋文庫版)の解説で、西村秀一氏は、「このパンデミック(スペイン風邪:引用者注)は長い間『忘れられた』存在であった。」と述べている。
 経済的被害をあらためて確認するために、『長期経済統計』(大川一司・篠原三代平・梅村又次監修,東洋経済新報社)から、流行の前後をやや長めにとって、1910~1930年までの実質国内総生産(GDP)をとったのが、下図である。スペイン風邪は1918年後半から、冬をピークにした3波が見舞ったので、影響があるとすれば1918~1921年に表れるはずである。実際、1919年に成長は鈍化し、1920年にマイナス成長になっているが、この時期の経済循環に影響を与えた最も大きな要因は第一次世界大戦とされている。日本では1915年から1920年まで大戦景気が続き、その反動で1920年に戦後恐慌が生じ、その後は低成長が続いた。その間には、1923年の関東大震災、1927年の昭和金融恐慌があった。

感染症の経済的被害

 GDPを追うと、第一次世界大戦の大きな影響のなかで、スペイン風邪の影響を見ることは困難だ。スペイン風邪は、日本では人的被害でも経済的被害でも忘れられた存在である。では、世界的に見ればどうか。
 Barro and Ursua (2008)は、世界の経験では、1918年から大流行したスペイン風邪が与えた経済的被害は、1870年以降での事象のうちで、2つの世界大戦と大恐慌に次ぐものとしている。Barro, Ursua and Weng (2020a)は、第一次世界大戦とスペイン風邪の影響を分離しようとした研究であり、Barro, Ursua and Weng (2020b)は、それを踏まえた新型コロナウイルス感染症への含意を解説している。分析の詳細は省略して、結果だけ示すと、スペイン風邪によって、GDPは6%、消費は8%減少したと推計した。スペイン風邪による死者も独自に推計しており、当時の人口の2%(世界で3,900万人)と見積もられている。
 この死者と経済的損失の関係を当時の日本(バロー教授らの推計では死者数は人口の0.96%で、『流行性感冒』で報告される0.68%よりも若干高い)に当てはめると、GDPへの影響は3%程度となる。上図ではGDPへの影響ははっきりしなかったが、その理由は2つ考えられる。1つは、本当はそれだけの影響があったのに他の影響が相殺して、実際に影響がなかった可能性。もう1つは、世界全体の関係から推計された影響よりも低めの影響が日本に表れた可能性。どちらが妥当するのかは、はっきりとしない。

 やや乱暴な計算になるが、スペイン風邪での死者と経済的被害の関係をもしも現在の日本に当てはめるとすると、ここまでの死者数は人口比でほぼゼロなので、GDPへの影響を理論的に計算したとしても、実務上ほとんど計測できないものとなる。死者数が多い国であっても、スペイン風邪に比較すると圧倒的に人口比率が低いので、GDPへの影響はごく小さく推計されてしまう。スペイン風邪の流行全体の関係をとらえたものであり、まだ進行中の現在にそのまま当てはめることには慎重でなければならないものの、経済への影響については、スペイン風邪とはまったく違うことが起こっている可能性が高い。この違いが生じる説明としては、経済学でよく見かける議論が、ここでも妥当なものとなり得る。1つは「外的妥当性」であり、経済の構造が100年前とは違い、現代では感染症の影響が大きくなるというものである。どのように構造が違うかは、様々な仮説が考えられる。もう1つは、以下にのべる「内生性バイアス」であり、感染症対策の存在である。
 感染症による経済的損失には、感染症自体がもたらす損失と感染症対策がもたらす損失がある。感染症対策が国によって違っていると、上で引用したバロー教授たちの分析結果に重要な影響を与える。この分析結果は、感染症による死者数とGDPの相関関係を、死者数が独立であるとの仮定のもとで、死者数からGDPへの因果関係として解釈したものである。しかし、人的被害を軽減する代わりに経済活動を制限する感染症対策がとられると、観察される死者数とGDPの相関関係は、死者数からGDPへの因果関係としての効果に加えて、感染症対策によって生じた相関関係が合わさったものになる。感染症対策として経済活動を強く制限した国(あるいは時代)では、死者数が少なくてもGDPへの負の影響は大きく出ることになる。

 以上は、観察されたデータから何が起こったのかを解釈したものだが、観察されたデータを評価してどのような政策的対応をするのか、も重要である。繰り返しになるが、感染症の経済への影響には、感染症自体がもたらす悪影響と感染症対策がもたらす悪影響がある。前者は感染症の「被害」であるが、後者は感染症の人的被害及び長期的経済被害を防止するための「代償」であり、対策の「成果」でもある。被害と成果は、政策を考える上で本来は逆方向の評価を与えるべきであるが、それが経済活動の低下という同じ方向に表れていることが、注意を要する。
 今後の対応を考えるためには、両者は区別して観察したい。生産活動の低下で見ると、感染症自体による影響は、従業員の感染による操業停止や、サプライチェーンの川上や川下で生じた同様の操業停止に巻き込まれた操業停止である。感染症対策の影響は、個人や企業が自発的にとる対策による需要減(例えば旅行や会食を控える)(注)、政府の要請に応じた営業自粛になる。いまの政府の統計調査ではこの区別はできないので、基礎統計での区別はほぼ期待できない。そうすると、もしも感染症対策がとられなかったとしたら経済はどのように動いていたのかをモデル化して、感染症自体の影響を特定していくことになるが、相当な誤差を含む分析になりそうである。精緻に研究しようとすれば時間がかかり、それまでに感染症が終息してしまうかもしれない。

(注)マスクや消毒液を通常以上に必要とする需要増が若干需要減を相殺するが、総量としては需要減が大きいだろう。

 被害と成果が同じ方向に表れるので、従来型の経済へのショック(戦争、自然災害、大恐慌、リーマンショックなど)とは、別の考え方をとらなければいけない。経済の悪い数字を見て、いつものように「大変な事態だ。対策が必要だ」と考えると、おかしな議論になる。感染症対策による経済的被害は政策当局が自分で起こしたものだ。
 経済の悪い数字を見て何とかしなければと考えるのではなく、この代償を払うことによって何を得たのか、を考えるべきである。得たものや得ようとするもの(感染症拡大防止の目的)が揺るがないならば、できることは対策のなかで少しでも経済的被害を軽減できる手段を見つけるしかない。すでにそのことに配慮して対策の手段が選ばれているはずなので、劇的な改善は難しい。もし代償を払う成果に疑問があるなら、感染症自体による被害と対策による経済的被害のバランスをとる方向に舵を切ることが選択肢となる。

(参考文献)
Barro, Robert J., and Jose Ursua (2008), "Macroeconomic Crises since 1870", Brookings Papers on Economic Activity, 39:1, 255-350.

Barro, Robert J, Jose F. Ursua and Joanna Weng (2020a), "The Coronavirus and the Great Influenza Pandemic: Lessons from the “Spanish Flu” for the Coronavirus’s Potential Effects on Mortality and Economic Activity", NBER working paper 26866.

Barro, Robert, Jose Ursua, Joanna Weng (2020b), “Coronavirus Meets the Great Influenza Pandemic,” VoxEU, 20 March. 

自粛要請に関連する補償のあり方

 新型インフルエンザ等感染症対策特別措置法(以下、特措法)に基づき、4月7日に宣言された緊急事態は、延長されそうだ。現在は特措法24条に基づいて、個人や事業者に自粛要請がされているが、新型コロナウイルス感染症が特措法の対象となる以前の2月26日から要請は出されていて、長期化している。
「自粛と補償はセット」だという声もあるが、より強力な措置である45条に基づく要請でも、60条に規定する公的金融機関による融資を行うが、補償はしないことになっている。しかし現実は、東京都が要請に応じた事業者に協力金を出すことにして、全国の自治体が追従し、財源に国からの交付金を充てようとしており、特措法の趣旨から外れてきている。
 自粛要請と補償の関係は、何等かの形で整理しておく必要がある。以下は、その私案であるが、危機への対応の基本的な話から始める。
 危機対応には、事前に何も準備せずに危機が生じてから考えて対応するやり方と、事前に対応を考えておくやり方の2種類がある。多くの場合、人間の判断・思考能力の限界を踏まえて後者の方法がとられ、感染症対策もこれに属する。現在の新型コロナウイルス感染症対策の根拠となる特措法では、国、都道府県、市町村は事前に行動計画を策定することを定めている(注1)。

(注1)特措法は当初、感染症法(感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律)に規定する新型インフルエンザ等感染症と新感染症(全国的かつ急速なまん延のおそれのあるものに限る)を対象としていたが、3月13日に改正され、新型コロナウイルス感染症が対象に追加された。

 現実が事前の準備と違う方向に進んだ場合には、①事前の準備を全部忘れて一から考えて行動するか、②それでも事前の準備通りに進むか、③想定外となった原因を見極めて計画に修正を加えながら進むか、の3種類の対応が考えられる。
 事業者への営業自粛要請に関して起こった事態は最初から想定外の展開になっていて、①と②の議論がせめぎあっている状態である。なおざりにされている③も意味があるかもしれないので、ここでは③の方向で考えてみよう。

 特措法で補償が規定されていない趣旨は条文のみでは明らかではないが、『逐条解説 新型インフルエンザ等感染症対策特別措置法』(新型インフルエンザ等対策研究会編集、中央法規、2013年、以下『逐条解説』)では、以下のように解説されている(161-162頁)。

 本条(45条、引用者注)に基づく施設の使用制限等の要請等による施設管理者等に対する公的な補償は規定されていない。
 これは、施設の使用制限等の要請等の措置は、
学校、興行場等の使用が新型インフルエンザ等のまん延の原因となることから実施されるものであること
本来危険な事業等は自粛されるべきものであると考えられること
新型インフルエンザ等緊急事態宣言中に、潜伏期間等を考慮してなされるものであり、その期間は一時的であること
学校、興行場等の使用制限の指示を受けた者は法的義務を負うが、罰則による担保等によって強制的に使用を中止させるものではないこと
から、権利の制約の内容は限定的である。
 さらに、国民の多くも、新型インフルエンザ等の緊急事態においては外出を自粛し、何らかの制約を受けることが考えられる。
 したがって、学校、興行場等の使用の制限等に関する措置は、事業活動に内在する社会的制約であると考えられ、公的な補償は規定されていない。
 しかしながら、国民や事業者が生活や事業を立て直すために資金を必要とすることが想定されるため、本法では、政府関係金融機関等による融資に関する規定(法六十条)を置いているところであり、必要に応じてこうした特別な融資等を活用いただくことが想定される。

 この趣旨説明をすべて忘れて補償する対応が上述の①で、この趣旨説明に沿って補償しない対応が②になる。③の方向は、上述の趣旨説明から現状に合わないところを抽出して、趣旨を修正していくものである。現状に合わないところは、「期間」である。45条の措置の期間については、具体的に想定されていたのは、おおむね1~2週間程度である。これは「新型インフルエンザ等対策有識者会議中間とりまとめ」(2013年2月7日)に現れ、新型インフルエンザ感染症を念頭に置いて、「季節性インフルエンザの潜伏期間が一~五日、発症から治癒までの期間がおおむね七日程度であることを踏まえ、おおむね一~二週間程度(注省略:引用者注)の期間となることを想定することが考えられる。」(『逐条解説』495頁)とされている(注2)。同じ想定が、政府の「新型インフルエンザ等対策ガイドライン」(2018年6月21日一部改定)に引き継がれている。

(注2)この後に、特別な状況では例外的におおむね1週間を単位として延長の可否を判断することも想定する旨、書かれている。また、引用個所は外出自粛に関する期間の想定であるが、休業要請の期間の考え方も同様であるとされている。

 措置の期間は感染症の性質に合わせて設定されるものであり、新型コロナウイルス感染症の潜伏期間等はインフルエンザよりも長いので、今回の措置の期間を上述の想定より長く設定するのは当然である。しかし、事業者が自粛の負担に耐えられるかどうかは、経済的な要因で決まる。措置の期間が医学的に合理的であれば耐えられるわけではなく、休業が長期にわたれば負担に耐えられない事業者が出てくる。長期の措置は法律の趣旨の想定外であると位置づけて補償をするという考え方をとることは、ごく自然だろう。
 また、行動計画では24条、45条2項、45条3項と段階を追って要請(指示)がされることが想定されていたが、実際には新型コロナウイルス感染症が特措法の対象となる以前の2月26日から大規模イベントの自粛要請が出されていて、要請は長期化している。ここが、最初から行動計画の想定外の展開になっているところである。営業を自粛した事業者にとっては、要請が特措法に基づいていようがいまいが、24条だろうか45条だろうが、経済的損失が生じることに変わりはない。要請期間については、45条のみで考えるのではなく、全体で考えるようにすべきである。

 補償するとなれば、補償の手段も考えなければいけない。これについては、特措法で準備されているものを忘れて別に用意するか、特措法で準備されているものを(必要に応じて修正して)使うか、の2つの考え方がある。ここまでの議論の道筋をつけてきた③の趣旨に沿うのは、後者だろう。特措法60条にある融資を、45条との関係にこだわらず活用することである。休業による損失をいったん融資でしのげるように、融資を弾力的におこない、事態が正常化したときに事業が再開できるようにする。事態が正常化したときに、自力で再建できて融資を返済できるならそれでよし。返済が無理であれば、公的金融機関が債権放棄して事業の再出発ができるようにすることで、ある種の事後的補償になる(注3)。なお、借入を躊躇する事業者には融資による支援は届かないので、融資だけで完結するのではなく、給付金も含めた補完的な手段も必要となるだろう。

(注3)ここでは自粛要請に応じた事業者にしぼった議論をしているが、第60条はそのような制限はなく、国民と事業者が広く融資の対象となる。経済活動の制限が長期化して、自粛に応じた事業者だけでなく、関係する事業者にも広く悪影響が及ぶときには、第60条の趣旨は活用すべきである。

 もちろん、他に優れた補償の手段があれば、特措法で用意された手段に固執する理由はなくなる(固執すれば、③ではなく②の考え方になる)。しかし、緊急時に新しい手段を作るよりはすでに準備された手段を使う方が円滑である可能性は高い。また、特措法は新型コロナウイルス感染症を対象にするための改正が最近国会で審議されて、これでよしとなっているので、新規の手段を持ち出すより政治的な合意を得る手続きは楽なはずである。
 実際すでに公的金融機関による融資は行われているが、急激に増加した相談と申込に金融機関が対応し切れていないという問題が生じている。金融機関側が正常に業務を行えても処理しきれないほどの案件があることに加えて、金融機関が感染症対策をとることで業務に影響が出るし、感染者を出して窓口業務を休止した支店もある。その結果、緊急事態なのに、緊急に融資してくれない。医療機関で起こる「医療崩壊」になぞらえると、こちらは「融資崩壊」だ。役割を果たすべきときに業務を行う機能が落ちていても、役割を果たせる政策をどう用意しておくのか。多くのことを事前に準備しておくことが対策であるが、それでは解決しない、難しい課題だ。

 ここまで計画の想定外のことが起こったときの対応を考えてきたが、想定外のことが起こった理由を明らかにすることも重要であり、つぎの感染拡大に備えて行動計画を改良することにも役立つ。まず、感染症の性質が違えば対策も違うので、そのことで現状の行動計画の想定外の事態が生じることは当然ある(そもそも行動計画が念頭に置くインフルエンザと今回の感染症では病原体が異なる)。
 その他に重要な要因は、私権を制限する緊急事態での措置は特措法では抑制的に扱われていたことが、現実の展開に合わなかったことである。特措法の思想は、「国民の自由と権利が尊重されるべきことに鑑み、新型インフルエンザ等対策を実施する場合において、国民の自由と権利に制限が加えられるときであっても、その制限は当該新型インフルエンザ等対策を実施するため必要最小限のものでなければならない。」(第5条)というものだ。そして行動計画は様々な要請を出す段階を緻密に細かく構成していたが(名称の使い分けも非常に細かい)、その細かなこだわりは、今回の経験ではほとんど意味をなさなかった。特措法が適用されるはるか前から、自粛要請があっさりと出されていて、そのことに市民の抵抗も薄かった。
 しかし、感染症対策における私権の制限については、自粛要請が長期化するほど問題が増してくるだろう。より強力な活動制限が長期化している外国では、市民の抵抗も見られ、日本でも制限が長期化すれば、同様な抵抗が起こるかもしれない。今後の推移は簡単には予測できないが、事後的に検証して、行動計画を大きく見直す必要がありそうである。

(参考)
新型インフルエンザ等対策研究会編集『逐条解説 新型インフルエンザ等感染症対策特別措置法』(中央法規、2013年)
新型インフルエンザ等対策政府行動計画」(2013年6月7日、2017年9月17日変更)
新型インフルエンザ等対策ガイドライン」(2013年6月26日、2018年6月21日一部改定)」
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