1人当たりGDP 日本は18位に後退」で,1人当たりGDPの動きは為替レートで評価した場合と購買力平価で評価した場合で,大きく違うことを指摘した。
 1999年には為替レートで評価した1人当たりGDPはOECD加盟国平均の158%。1人当たりGDPでは,国境を越えた通勤者を多く抱えるルクセンブルクがつねに飛び抜けているが,これを特殊事情とすると,日本はスイスと匹敵する最高水準にあった。しかし,購買力平価で評価すると,OECD加盟国平均の110%で,第2集団の中位より少し上である(購買力平価の計測には誤差が含まれると考えると,順位が正確であるだけの精度が保証できないので,順位には触れないようにする)。
 為替レートでの評価は高いが,日本で売られている商品の価格が高いために,実質の所得は大きく下がるのである。為替レートで換算して外国で商品を購入すれば,より多くのものを手に入れることができた。
 EurostatとOECDの購買力平価の調査では,為替レートと購買力平価の比を内外価格差指数(comparative price level)と呼んでいる。概念的には実質実効為替レートと同じものになるが,今回の記事は為替レートよりも内外価格差に焦点を当てたい。GDPに関する,この指数(OECD加盟国平均=100)は,
  1999年 144
  2002年 126
  2005年 114
と,低下してきている。1999年の内外価格差指数は当時,OECD加盟国のなかでずば抜けて高かった。
 かりに為替レートが1ドル=114円のとき,ある商品が米国で1ドル,日本で162円で売られていれば,米国の商品を日本に輸入することで,利益が得られる。輸送費用が十分に小さいことが前提になるが,こうした裁定が働けば,日本と米国で同じ商品は同じ価格で売られるという,一物一価の法則が成立する。このように為替レートが決定されるというのが,1921年にカッセルが唱えた購買力平価説である。
 為替レートの長期的動向を説明するには購買力平価説は有力な考え方であるが,短期的には,為替レートは購買力平価水準から乖離して変動することがある。為替レートが購買力平価から乖離すると,内外価格差も影響を受ける。OECDの推計では,2006年の日本の内外価格差指数は104まで低下している(2006年の推計値はMain Economic Indicatorsに掲載)。内外価格差を急速に解消した国内要因は見出しがたく,為替レートが円安方向に振れたことを多分に反映しているだろう。一方で,長期的傾向として内外価格差が縮小していることには,為替レートの短期的変動以外の原因を考えないといけない。
 為替レートが購買力平価から乖離した動きをする理由のひとつに非貿易財の存在がある。貿易財について一物一価の法則で為替レートが決まっても,貿易による裁定が働かない商品には価格差が発生して,貿易財・非貿易財を合わせて計測される購買力平価は,為替レートと違ったものとなるという説明である。

 一般的な傾向として,所得水準が高い国ほど非貿易財の価格が高くなる現象が見られる。ペンシルバニア大学での購買力平価に関する研究で明らかにされてきたことから,ペン効果とも呼ばれる。この現象を説明する理論として,バラッサ=サミュエルソン効果がよく知られている(ペン効果とほぼ一体で認識されており,ペン効果自体をバラッサ=サミュエルソン効果と呼ばれることが多い)。これは,各国の所得水準の差は貿易財の生産性の違いによって主として形成され,経済が成長すると,その国の非貿易財が貿易財よりも割高になるというものである。
 バラッサ=サミュエルソン効果の考えでは,わが国の大きな内外価格差は,わが国の貿易財の生産性が非常に高いこと,あるいは非貿易財の生産性が非常に低いことが原因だということになる。わが国の輸出産業が外国よりも非常に高い生産性をもっていたのなら,大きな内外価格差も合理的な経済現象であり,あえて是正を図る必要性は薄いだろう。逆に,非貿易財の生産性が非常に低いのであれば,生産性を向上させる道があるかもしれない。平たく言えば,「良い内外価格差」と「悪い内外価格差」がある。
 プラザ合意以降に円高が進行すると内外価格差が大きな関心を呼んだが,これは種々の規制で非貿易財産業が保護されて,生産性が低いことによって生じていると理解された。規制緩和を進めて,非貿易財産業の生産性が向上することで価格が低下すれば,日本の実質所得は増加する。これが,前川レポートをはじめとした,規制緩和を進める政策路線の根底に流れる考え方であった。
 しかし現在,内外価格差は縮小したものの,為替レートで評価したGDPもOECD平均比で低下したため,実質所得が伸びることはなかったという事態に直面している。すると,規制緩和は生産性を上昇させなかったことを意味するのだろうか。かりに内外価格差の縮小の原因が非貿易財産業の生産性の上昇ではなく,当該産業の賃金の低下が原因であって,さらにそれが賃金格差を生じさせたのならば,これは非常に重大な意味をもつ。時計の針を逆に戻せば,生産性の低下なしに格差を縮小できることになるからである。
 しかしながら,これまでの研究では,規制緩和は生産性を上昇させるという結果が得られている。2006年に内閣府がまとめた構造改革評価報告書『近年の規制改革の進捗と生産性の関係』では,1995年から2002年の規制緩和の進展と全要素生産性上昇率の関係を産業別データを用いて分析し,規制緩和を進めた業種ほど生産性成長率が高かったとしている。同じく内閣府による『世界経済の潮流 2007年春』では,OECD諸国の横断面データにより,2003年の生産物市場規制が少ない国ほど2000年から2005年にかけての労働生産性上昇率が高くなることを示している。ややデータが古くなるが,1984年から1999年までのOECD18か国の産業別データを用いたNicoletti氏とScarpetta氏の研究でも,規制緩和が全要素生産性成長率を高めたという結果を得ている。
 ではなぜ,規制改革路線の思惑が外れてしまったのか。ひとつの可能性は,規制緩和で日本の生産性が上昇したものの,外国の生産性も上昇したというものである。いま関心をもっているのは,OECD諸国での相対的な日本の地位である。例えば,わが国の情報通信業の生産性が伸びたとしても,外国ではそれ以上に伸びたならば,相対的な地位は低下してしまう。したがって,生産性の動向は国際比較のなかで議論するべきである。規制緩和を進めているのは,日本だけではない。外国も同様に取り組んでいる。
 また,日本の規制緩和の取り組みが甘かったかもしれない。購買力平価調査で得られた財別のデータでは,日本の食料品の価格が非常に高い。素直に考えれば,生産性の低い農業部門が高関税で守られている現状にメスを入れることが最初にされるべきであるが,農業改革の進捗ははかばかしくない。
 バラッサ=サミュエルソン効果によって内外価格差が縮小したとすれば,わが国の貿易財産業の生産性上昇率と非貿易財産業の生産性成長率の差が,外国のそれと比べて小さかったことになる。これが妥当な説明かどうかは,わが国の生産性の動向を見ていてはわからず,外国の生産性と比較する必要がある。
 内外価格差の解消は,ごく最近生じた事態だけに,綿密な分析はこれからの課題である。何よりも国際比較が可能なデータが必要である。2005年の購買力平価調査のくわしい報告書がまもなく公表され,商品を細分化した内外価格差のデータが利用可能になる。同時に,産業別の生産性データが必要である。労働生産性は推計が比較的容易であるが,全要素生産性になると,産業別の資本投入を計測することが必要になってくる。残念ながら現在は,広範囲の国の資本投入と生産性に関するデータが即時に提供されるような環境にはない。しかし,これは政策の基本路線を定めるための羅針盤となる重要なデータであり,一層の整備が望まれる。

 長くなったので,まとめ。
 内外価格差が縮小しているが,実質所得が増加しない(OECD加盟国との比較で)。規制改革で内外価格差を解消して,実質所得の増加を目指した政策路線の思惑が外れた。
 バラッサ=サミュエルソン効果が働いたならば,近年では,わが国の貿易財産業の生産性上昇率と非貿易財産業の生産性成長率の差が,外国のそれと比べて小さかったことになる。データが整備されれば,その検証がはじまるだろう。

(参考)
バラッサ=サミュエルソン効果の原典
Balassa, B. (1964), "The Purchasing Power Parity Doctrine: A Reappraisal", Journal of Political Economy, Vol. 72, No. 6, December, pp. 584-596
Samuelsonm Paul A. (1964), “Theoretical Notes on Trade Problems,” Review of Economics and Statistics, Vol. 23, No. 2, pp. 145-154.

『構造改革評価報告書6 近年の規制改革の進捗と生産性の関係』(内閣府)
http://www5.cao.go.jp/j-j/kozo/2006-12/kozo.html

『世界経済の潮流 2007年春』(内閣府)
http://www5.cao.go.jp/j-j/sekai_chouryuu/sh07-01/sh07.html

(参考文献)
Nicolleti, Giuseppe and Stefano Scarpetta (2003), “Regulation, Productivity and Growth: OECD Evidence,” Economic Policy, Vol.18, Issue 36, April, pp. 9-72.