5000字を超える記事を投稿できないようなので,「財政政策のマーフィー式採点法」は3部構成となります。

 「その1」をおさらいすると,Murphy教授によれば,財政出動が純便益をもたらす条件は,
  f(1-λ)>α+d
となる。左辺は便益,右辺は費用である。4つのパラメータの意味は以下の通り。
f(Keynes効果) 財政支出のなかで遊休資源が用いられる割合
λ(家事効果) 遊休資源の相対価値
α(Galbraith効果) 政府支出が産み出す非効率
d(Feldstein効果) 支出の財源を調達するときの税が効率を阻害する損失

 以下は,Murphy教授の整理に沿った,私の考え方である。
(1) モデルを使うことで,政策に関する意見の違いを透明な形で整理することができ,論争が生産的なものになる。自然言語だけの議論では,論点をかみ合わせるだけで多大な労力がかかったりする。その労力を大幅に節約できるのが,モデルの威力である。
 単純なモデルでは現実を十分に説明できない,という批判がよくあるが,単純であるからこそ,現実の問題の論点を明確にできるところにモデルの利点がある。もちろん,モデルに含まれない重要な論点が存在すれば,それは別に議論するか,それを組み込んだモデルを用意する必要がある。

(2) 財政赤字で資金調達する政策でも均衡予算乗数を考える,という私の立場は少数派である。リカードの等価命題が成立するときは,財政赤字による支出拡大の効果は均衡予算乗数となる。等価命題が成立しないときでも,政策全体の効果を考える場合には,将来に増税で財源調達するときの負の経済効果を考慮に入れるべき,したがって,財政乗数から減税乗数を差し引くべきというのが,私の考え方である。同調する研究者がこれまで見られなかったが,小野論文で同趣旨のことがのべられているのは,うれしい。

(3) 私の乗数の想定は,Romer氏とBernstein氏の分析(http://otrans.3cdn.net/ee40602f9a7d8172b8_ozm6bt5oi.pdf )が既存研究の展望から,財政乗数を約1.5,減税乗数を約1とみなしたことにならった。
 「IS-LMモデルでの財政政策」で説明したように,金利一定の金融政策のもとでは,IS-LMモデルでの均衡予算乗数は1になる。IS-LMモデルにかわって,そのような金融政策のもとでのクラウディングアウトを説明できる簡明なモデルがない。そのため,IS-LMモデルの理論値にしたがい,1と想定する立場とどちらをとるかが悩ましい。

(4) 失業者の余暇の機会費用(λ)については,拙稿「財政政策の理論的整理」(http://www.mof.go.jp/f-review/r63/r_63_008_028.pdf )のIII.2節で検討したことがある。残念ながら,合意のとれた推計値を得るのに十分な研究の蓄積がないため,1より若干小さいという定性的な結論としている。
 以下にその部分を引用する。

「費用便益分析の最近の教科書であるBoardman et al. (2001)では,失業者の社会的費用をゼロと計算することは,失業者の余暇がまったく価値をもたないことを意味しており,このような推計は失業者の社会的費用を過小推計してしまうことが指摘されている。もし失業者の余暇の価値がゼロであるならば,失業者は公共事業の賃金がゼロでも働くだろう。これがありえないことだとすれば,失業者の機会費用はゼロではない。
 失業者であっても,留保賃金が市場賃金にきわめて近い水準にある者もいるかもしれない。かりに公共事業で提示される賃金が必要な労働力を集める最低限の水準であったとすると,支払賃金は留保賃金を反映して,これは社会的費用に等しくなる。失業者の余暇の価値は市場賃金よりも低いと考えられるが,どの程度の水準であるかは正確にはわからない。
 財政支出が失業者のみを雇用できない場合には,政策前の雇用者のクラウディングアウトの可能性を考慮にいれた推計をすることが必要である。このような要素を考慮にいれ,失業が存在するもとで労働費用がどれだけ逓減するかは,確定的な結果を得ることが困難である。このような計測をおこなった研究として知られているHaveman and Kruilla (1968)では,失業率が8ないし9%と高く,失業者が雇用される確率が高いときにも,機会費用は10%から15%程度低下するだけであるという推計結果を報告している。
 標準的な財政学の教科書の1つであるRosen (2001, p. 232)では失業の発生メカニズムに合意が存在しないもとでは,失業者の雇用にかかる費用の計測方法はまだ合意がないままのこされているとしているが,以下の2つの理由から,深刻な不況期を除いては,失業者を雇用した場合にも支払賃金を費用と計上するのが妥当であるとのべている。第1に,政府が安定化政策により失業率を一定に保とうとしているときには,失業者を雇用することは他の部門での雇用と所得の減少につながるので,機会費用は支払賃金となる。第2に,かりに事業が開始したときに非自発的に失業していたとしても,事業の期間中に継続して雇用機会にめぐまれないことは保証されていない。」

 DeLong教授とMurhphy教授がλ=0.5で一致しているので,ここでは0.5と1の間と考えることにする。
5兆円財政出動すると何が起こるか」で,私は,

「財政出動の考えは人によって違うが,私は,
(1)財政による経済安定化政策の役割はまずは自動安定化装置にまかせる
(2)(GDP)ギャップが小さい場合には効果が弱まり,弊害が生じることも考慮して,裁量的財政出動には最低でも2%以上の幅のギャップが確認されることを前提とするべき
と考える。ただし,2%という数字は科学よりも芸術の領域である。」

とのべたが,fとλが景気の状態で変化するものと考えている。GDPギャップの幅が小さい状態ではfが小さく(クラウディングアウトが生じる),λが大きい(就職の機会もあり,留保賃金がまだ高い)ので財政出動の必要性が小さいが,ギャップが大きくなるとfとλが変化して,財政政策の機会費用が下がる。fとλとGDPギャップの関係がよりくわしくわかれば,判断基準が精緻なものになる。現状では,上でのべたように,芸術の領域である。
 もちろん,GDPギャップの幅が2%を超えればいくらでも財政出動してもいいわけではなく,費用を上回る便益をもつ事業に絞られるべきである。

(5) 「穴を掘って埋め直す」政策はα=1なので,λ=0,d=0のときは,乗数効果が働く(f>1)場合には意味がある。乗数効果が働かない(f=1)場合には,穴を掘って埋め直す政策ではだめで,少しでも価値のある政策をやらないといけない(α<1)。いいかえれば,機会費用はゼロだから,少しでも正の便益のある事業なら意味がある。f<1やλ>0のもとでは,財政支出の機会費用が高まるので,便益のハードルはもっと高くなる。小野論文と私の右辺の想定は同じだが,左辺の考え方が大きく違うので,どのような財政支出が正当化されるかの判断がかなり違ってくる。小野論文ではα<1であれば条件が満たされるが,私の場合はα≪0.5でないといけない。

(6) dは,財政学での研究課題である。おそらくMurphy教授は「課税所得の弾力性」,DeLong教授は「超過負担」,小野論文は定額税を念頭に置いていると思われる。私は,「公的資金の限界費用」を念頭に置き,d=0としている。これ以上は財政学の専門的な話になり,5000字を超えるので(その3)で。


(参考文献)
Christina Romer and Jared Bernstein (2009), “The Job Impact of the American Recovery and Reinvestment Plan,” January 9
http://otrans.3cdn.net/ee40602f9a7d8172b8_ozm6bt5oi.pdf

岩本康志(2002),「財政政策の役割に関する理論的整理」,『フィナンシャル・レビュー』,第63号,7月,8-28頁
http://www.mof.go.jp/f-review/r63/r_63_008_028.pdf

Anthony E. Bordman, David H. Greenberg, Aidan R. Vining and David L. Weimer (2001), Cost-Benefit Analysis: Concepts and Practice, 2nd Edition, Upper Saddle River, NJ: Prentice Hall.

Robert H. Haveman and John V. Krutilla (1968), Unemployment, Idle Capacity, and the Evaluation of Public Expenditures, Baltimore: Johns Hopkins University Press.

Harvey S. Rosen (2002), Public Finance, 6th Edition, New York: McGraw-Hill Irwin.


(関係する過去記事)
財政政策のマーフィー式採点法(その1)

IS-LMモデルでの財政政策

5兆円財政出動すると何が起こるか