政府債務の長期的な推移を作図する機会があったので,ここで紹介したい。下の図がそれである。

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 戦前の債務残高対GDP比(以下,債務比率と呼ぶ)の動きに大きな影響を与えたのは戦争であった。まず債務比率が大きく上昇したのは,日露戦争期である。この戦費調達には大変な苦労をし,戦争も早期収拾に向かう。第1次世界大戦期の好況で債務比率は下がったが,その後はまた上昇に転じる。
 高橋是清が積極財政政策をとったとされる1932年度予算では前年度から債務比率は3.5ポイント上昇するが,翌年から緊縮財政に転じ,1937年にかけて債務比率は安定する。債務比率で見る限り,この時期は健全財政の時代である。軍事費抑制論者であった高橋是清が1936年に暗殺されて,軍部の意向が強く働くようになり,債務比率は膨張を続け,1944年度末に約200%のピークに達する。
 戦後のインフレによって国債は事実上償還され,債務比率は急速に低下する。石油ショック以降は再び上昇に転じ,最近の動きは第2次世界大戦期の動きを彷彿させる。債務比率の動きだけを見れば,日本は石油ショック以降,度重なり戦争をしているみたいだ。やや煽情的な言い回しとなるが,私は,近年の債務残高の動きを説明するときに「日本は景気を相手に戦争を始めた」という表現を使うことがある。
 第2次大戦後は日本以外でも平時に債務の累増が見られるので,こういう喩えは正確ではないし,注意して使わなければいけない。しかし,上の図を見ると,誰でも第2次大戦時と比べたくなるだろう。リアルな戦争にこれだけの戦費をつぎ込めば厭戦感が支配的になるところだが,現在のわが国では一層の景気対策を求める主戦論者がまだ優勢のように見える。
 歴史は繰り返して,第2次世界大戦後のような急速なインフレが到来するのか。戦争で実質GDPが2年間で半分近くまで落ち込んだ当時と,平時の経済では状況が大きく違うので,インフレの到来は必然ではない。
 これから先はどうなるのか。というよりは,どういう財政運営をするのか,というわれわれの選択の問題である。

(注)
 図は,1872~1912年末の政府債務残高の当該年の名目GDP比と1913~2009年度末の同残高の当該年度の名目GDP比を示したものである。
 日本では,1872(明治5)年から現在まで連続した,国の債務残高の統計がある。総務省統計局のサイトの『日本の長期統計系列』(http://www.stat.go.jp/data/chouki/zuhyou/05-09.xls )に1872~1912年,1913~2002年度のデータが,財務省のサイトの「最近10年間の年度末の国債・借入金残高の種類別内訳の推移」(http://www.mof.go.jp/jouhou/kokusai/siryou/zandaka03.pdf )に2008年度までの実績値と2009年度補正予算による見込みのデータがある。
 公式統計では1930年以降のGDPのデータがあるが,大川一司氏等による『長期経済統計』(東洋経済新報社)で1885年~1940年の推計がされている。これらを用いて,1885年から2009年度までの債務残高対GDP比を作図した。公式統計では1945年のデータが存在しないため,これまで1945年が欠落した形で描かれていたが,1945年のGDPを別途推計して,連続した折れ線で描いてみた。2008年度は2009年第1四半期・2次速報値,2009年度は経済動向試算(2009年7月1日)[2009年8月12日追記:4月27日の経済見通し暫定試算と誤記していたのを修正しました]の成長率に基づき推計した。GDPデータの詳細は後日,このブログで説明する[2009年8月13日追記:「1945年のGDP」で説明しています]。

[2009年8月12・13日追記]
(関係する記事)
債務残高の指標(2009年更新版)