ブログ執筆に使える時間は限られているので,世の中にあふれる質の悪い記事にいちいち反応することはないのだが,日本を代表する経済誌であるはずの『週刊東洋経済』誌10月31日号の特集「民主党でどうかわる?!年金激震!」の「Part 2 年金不信はなぜ広がった?」での経済学・経済学者攻撃はあまりにも問題が大きい。
 記事では,公的年金による批判を「年金破綻論」と呼び,公的年金について発言する多くの経済学者の名前を列挙して,その主張が間違いだと批判している。
 しかし,名前を挙げられた鈴木亘学習院大教授がブログ記事で反論している(http://blogs.yahoo.co.jp/kqsmr859/30187208.html )ように,『週刊東洋経済』誌の記事の方に多くの問題がある。批判の対象になった他の経済学者もブログやホームページをもっている方が多いので,これからさらに反論も出るかもしれない。
 個別の論点の議論は名前があがった先生におまかせするとして,私がここで問題にしたいのは,公的年金のあり方を経済学的に考えようとする経済学者の態度がほぼ全否定されていることだ。これが如実に現れるのは,世代間不公平論をめぐる以下の記述である。

「世代間不公平論は、公的年金を市場経済の領域である民間保険の考え方で眺め、そこに問題点を発見する。しかし、彼らから見れば問題である世代間格差などは、政治システムの領域である社会保障の考え方で見ると、まったく問題でないどころか、それなくして老後の所得保障という公的年金の目的を達しえないものだ。この事実に気づかない限り、世代間不公平論はこの世から消えることはないだろう」

 公的年金に対する経済学的な見方が市場経済の視点のみ,だということはない。世代間所得再分配が必要であれば公的年金が必要となるという考え方は,「政府の役割」に関する経済学の議論のなかにきちんとある。あるべき姿とは違った所得再分配が政治過程から生じることも政治経済学によって分析されている。それらを踏まえて,現行制度による再分配が合理的なものか否か,もっとよいものはないのかどうか,を議論すべきなのである。
 政策を議論する共通の土台は,市場の失敗があれば政府が介入する余地はあるが,政府の失敗がより事態を悪くする場合もある,ことである。経済学者と政策当局が政策をめぐって意見を闘わす場合があるが,議論の土台には共通の理解があった上で,役所は市場の失敗を重視し,経済学者は政府の失敗を重視している場合がほとんどである。議論によって事実判断の差が埋まれば,意見は近づく。しかし,役所が「経済学は,市場で何もかもうまくいくと勘違いしている。政治システムの領域だとわかっていない」と言えば論争に勝った,と思っているところでは,議論は実らない。公的年金をめぐっての経済学者と厚生労働省との長年の論争は,そういう場所だった。
『週刊東洋経済』誌が,例えば現行制度と鈴木教授の改革案とを共通の土台の上で比較する視点からの特集を組めば,非常に有意義な記事になっただろう。しかし,同誌は,鈴木教授の反論の掲載を拒否したようなので,現行制度の肩をもつことを選択したようだ。同誌が,経済学的な考え方を矮小化した上で,政府がおこなう所得再分配を無批判に肯定することになったのは,とても信じられない。


(参考)
「週刊東洋経済の取材姿勢に対する疑問」(学習院大学教授・鈴木亘のブログ(社会保障改革の経済学)
http://blogs.yahoo.co.jp/kqsmr859/30187208.html

『週刊東洋経済』2009年10月31日号
http://www.toyokeizai.net/shop/magazine/toyo/detail/BI/01ed426ad6b6bbffc7abd25143da8d0c/