ハイパーインフレーションの原因は巨額の財政赤字にあると考えられている。数%のインフレ率の変動は,需給の関係で生じると考えていいが,年率3ケタや天文学的数字のインフレを同じ理由で説明するのは無理だ。ハイパーインフレが発生したときには,経済が混乱する種々の出来事が起こっているので,その原因は突き止めにくい。財政赤字原因説が支持を得たのは,Sargent (1982)の貢献によるところが大きい。彼は,欧州の有名なハイパーインフレが「終わった」原因が財政収支の改善にあったことを突き止めたのである。
国債の信用力が失われて市場が国債を買わなくなり,中央銀行が引き受けるようになると,ハイパーインフレの道を歩み始める。ハイパーインフレという異常な状況がいとも簡単に生じることは,数式を使った方が理解が早まると思うので,以下のような簡単なモデルで説明する。モデルの後に,ハイパーインフレがどういう状況なのかを,文章でまとめる。
国債の信用力が失われて市場が国債を買わなくなり,中央銀行が引き受けるようになると,ハイパーインフレの道を歩み始める。ハイパーインフレという異常な状況がいとも簡単に生じることは,数式を使った方が理解が早まると思うので,以下のような簡単なモデルで説明する。モデルの後に,ハイパーインフレがどういう状況なのかを,文章でまとめる。
ある国が財政赤字を出し続けて,市場の信用を失い,財政赤字(国債の純増)Dをすべて貨幣の増刷(通貨発行益,ΔM)でまかなうようになったとする。Mはマネタリーベース,Δは時間で微分することを表す。つまり,
ΔM=D
となる。名目GDPをYとする。対GDP比で書くと,
ΔM/Y=D/Y
となる。分数の微分の公式から
Δ(M/Y)=ΔM/Y-(ΔY/Y)M/Y
が成立するが,これを用いると,
Δ(M/Y)=D/Y-(ΔY/Y)M/Y
となる。マネタリーベースの対GDP比をm,財政赤字の対GDP比をdと書くことにする。
市場の信用をなくすくらいなので,この国の財政赤字は将来も持続するものとする。つまり,dはずっと一定の値をとるものと考えよう(ここは大事な想定)。
名目GDP成長率はインフレ率と実質成長率の和だが,非常に高率のインフレ率を考えたいので,年率数%の実質成長率は,ここでは無視しても差し支えない。つまり,インフレ率をπとして,
市場の信用をなくすくらいなので,この国の財政赤字は将来も持続するものとする。つまり,dはずっと一定の値をとるものと考えよう(ここは大事な想定)。
名目GDP成長率はインフレ率と実質成長率の和だが,非常に高率のインフレ率を考えたいので,年率数%の実質成長率は,ここでは無視しても差し支えない。つまり,インフレ率をπとして,
ΔY/Y=π
が近似的に成立するものとする。すると,
Δm=d-πm
が導かれる。政府の実質債務(かつマネタリーベースの実質残高)の増加は,財政赤字からインフレ税(πm)を引いた額になる。
インフレ税とは,現金を保有していると,インフレによってその実質価値が目減りする形で,政府の債務を減らすことに貢献していることを意味している。インフレ率が高くなると,現金の保有者はできるだけ早く貨幣を手放そうとする。つまり,貨幣の流通速度が上昇する。たとえば,貨幣需要関数が,
インフレ税とは,現金を保有していると,インフレによってその実質価値が目減りする形で,政府の債務を減らすことに貢献していることを意味している。インフレ率が高くなると,現金の保有者はできるだけ早く貨幣を手放そうとする。つまり,貨幣の流通速度が上昇する。たとえば,貨幣需要関数が,
で表わされるとすると,
となる。ここでα>1である。
このときの,Δmとmの関係を示したのが,下の図である(α=2の場合の双曲線を示している。使用した作図ソフトの制約から,Δmをdm/dtと書いているが,ご容赦を願いたい)。
貨幣の実質残高mの動きには,3つの可能性がある。
(1)まず,ΔmがゼロとなるA点。これはmが変化しないことを意味するので,mがA点にいれば,その後もずっとそこにとどまる。つまり,経済ではインフレ率がずっと一定で続くことになる(mが一定だからπも一定)。
かりに財政赤字がGDPの5%(1年間の名目GDPが500兆円なら25兆円)だとd=0.05。マネタリーベースがGDPの10%(1年間の名目GDPが500兆円なら50兆円)だとm=0.1。A点では,π=d/mなので,インフレ率は年率50%となる。
(2)最初にA点より右側に経済があったとしよう。すると,Δmが正だから,mは増加する。図ではより右側のmに動く。そこでもΔmは正だからさらに右に動く。つまり,mがずっと上昇を続ける。これは,インフレ率が貨幣の成長率より低いことを示している。
貨幣成長率は,
このときの,Δmとmの関係を示したのが,下の図である(α=2の場合の双曲線を示している。使用した作図ソフトの制約から,Δmをdm/dtと書いているが,ご容赦を願いたい)。
貨幣の実質残高mの動きには,3つの可能性がある。
(1)まず,ΔmがゼロとなるA点。これはmが変化しないことを意味するので,mがA点にいれば,その後もずっとそこにとどまる。つまり,経済ではインフレ率がずっと一定で続くことになる(mが一定だからπも一定)。
かりに財政赤字がGDPの5%(1年間の名目GDPが500兆円なら25兆円)だとd=0.05。マネタリーベースがGDPの10%(1年間の名目GDPが500兆円なら50兆円)だとm=0.1。A点では,π=d/mなので,インフレ率は年率50%となる。
(2)最初にA点より右側に経済があったとしよう。すると,Δmが正だから,mは増加する。図ではより右側のmに動く。そこでもΔmは正だからさらに右に動く。つまり,mがずっと上昇を続ける。これは,インフレ率が貨幣の成長率より低いことを示している。
貨幣成長率は,
ΔM/M=(ΔM/Y)・(Y/M)=d/m
と書くことができる。dが一定でmが大きくなるということは,貨幣成長率は小さくなる。それよりも名目GDP成長率が小さくなっているから,インフレ率がどんどん小さくなる。つまり,デフレがどんどん激しくなっていく。
このような解は,「ハイパーデフレーション」と呼ばれるが,われわれの経済で生じることはないと考えられている。貨幣は消費者の資産でもあるが,資産をもつ動機は将来に消費するためである。貨幣の実質残高がどんどん増加して,莫大な資産をため込むよりは使ってしまった方がよいとどこかで考える。そのため,デフレで貨幣残高が蓄積していく状態は消費者の行動とは矛盾する。こういう現象が現れないように,物価が調整されると考えられる。
(3)最初にA点より左側に経済があったとしよう。すると,Δmが負だから,mは減少する。図ではより左側のmに動く。そこでもΔmは負だから,mは減少し,さらに左に動く。つまり,mがずっと減少を続ける。これは,インフレ率が貨幣の成長率より高いことを示している。上の数値例だと,A点のインフレ率が50%だから,それよりも大きなインフレ率になる。
貨幣成長率はd/mだから,dが一定でmが小さくなるということは,貨幣成長率はどんどん大きくなっていく[2010年4月1日追記:「mが大きく」と誤記していたので,訂正する]。インフレ率はそれよりも大きく,時間とともにどんどん大きくなっていく。この解が,「ハイパーインフレーション」と呼ばれる。
このような解は,「ハイパーデフレーション」と呼ばれるが,われわれの経済で生じることはないと考えられている。貨幣は消費者の資産でもあるが,資産をもつ動機は将来に消費するためである。貨幣の実質残高がどんどん増加して,莫大な資産をため込むよりは使ってしまった方がよいとどこかで考える。そのため,デフレで貨幣残高が蓄積していく状態は消費者の行動とは矛盾する。こういう現象が現れないように,物価が調整されると考えられる。
(3)最初にA点より左側に経済があったとしよう。すると,Δmが負だから,mは減少する。図ではより左側のmに動く。そこでもΔmは負だから,mは減少し,さらに左に動く。つまり,mがずっと減少を続ける。これは,インフレ率が貨幣の成長率より高いことを示している。上の数値例だと,A点のインフレ率が50%だから,それよりも大きなインフレ率になる。
貨幣成長率はd/mだから,dが一定でmが小さくなるということは,貨幣成長率はどんどん大きくなっていく[2010年4月1日追記:「mが大きく」と誤記していたので,訂正する]。インフレ率はそれよりも大きく,時間とともにどんどん大きくなっていく。この解が,「ハイパーインフレーション」と呼ばれる。
モデルは以上であるが,その意味するところは以下の通り。
政府が資金調達を貨幣発行に頼るようになり,その後も財政赤字を維持し続けると,ハイパーインフレが生じる可能性が高い。
ハイパーインフレが生じてしまう理由は,通常とは違う政策ルールがとられているからである。通常の政策ルールでは,通貨発行益は中央銀行の金融政策の判断で変動する。財政赤字は,それとは別に財政当局の判断で決められる。国債が市場で消化されていれば,通貨発行益と財政赤字が別々に決められていても問題はない。上のモデルの状況はこれとは違う。中央銀行は国債を引き受けざるを得ないので,通貨発行益は財政赤字に等しくなければいけない。つまり,中央銀行には金融政策の裁量の余地がなく,物価は財政側の事情によって決定されている。
この状態では,中央銀行にハイパーインフレを何とかしろと迫るのは,無理な相談である。もし貨幣の成長を抑えると,政府は財政赤字の資金調達ができなくなり,財政破綻するからだ。中央銀行は,「財政破綻」か「ハイパーインフレ」かの2つの選択肢が与えられたもとで,ハイパーインフレをやむなく選択している。マイルドインフレにする選択肢は存在しない。物価に責任をもつのは,中央銀行ではなく,政府である。
ハイパーインフレを終息させるには,政府が借り入れをしなくてもいいように財政収支を大幅に改善し,デノミか新しい通貨の発行でもう一度,通貨の信頼を取り戻すことが必要になる。
政府が資金調達を貨幣発行に頼るようになり,その後も財政赤字を維持し続けると,ハイパーインフレが生じる可能性が高い。
ハイパーインフレが生じてしまう理由は,通常とは違う政策ルールがとられているからである。通常の政策ルールでは,通貨発行益は中央銀行の金融政策の判断で変動する。財政赤字は,それとは別に財政当局の判断で決められる。国債が市場で消化されていれば,通貨発行益と財政赤字が別々に決められていても問題はない。上のモデルの状況はこれとは違う。中央銀行は国債を引き受けざるを得ないので,通貨発行益は財政赤字に等しくなければいけない。つまり,中央銀行には金融政策の裁量の余地がなく,物価は財政側の事情によって決定されている。
この状態では,中央銀行にハイパーインフレを何とかしろと迫るのは,無理な相談である。もし貨幣の成長を抑えると,政府は財政赤字の資金調達ができなくなり,財政破綻するからだ。中央銀行は,「財政破綻」か「ハイパーインフレ」かの2つの選択肢が与えられたもとで,ハイパーインフレをやむなく選択している。マイルドインフレにする選択肢は存在しない。物価に責任をもつのは,中央銀行ではなく,政府である。
ハイパーインフレを終息させるには,政府が借り入れをしなくてもいいように財政収支を大幅に改善し,デノミか新しい通貨の発行でもう一度,通貨の信頼を取り戻すことが必要になる。
(注)
大学院レベルのマクロ経済学の教科書でのハイパーインフレの説明は,Romer (2006, pp.538-547), Obstfeld and Rogoff (1996, pp. 515-530)にくわしい。伝統的にはCagan (1956)の貨幣需要関数を用いることが多く,最終的には高いインフレ率で安定する解が得られる。ここではGutierrez and Vazquez (2004)の貨幣需要関数を少し変更したものを使っており,従来の教科書的説明とは少し違ったものになっている。
大学院レベルのマクロ経済学の教科書でのハイパーインフレの説明は,Romer (2006, pp.538-547), Obstfeld and Rogoff (1996, pp. 515-530)にくわしい。伝統的にはCagan (1956)の貨幣需要関数を用いることが多く,最終的には高いインフレ率で安定する解が得られる。ここではGutierrez and Vazquez (2004)の貨幣需要関数を少し変更したものを使っており,従来の教科書的説明とは少し違ったものになっている。
(参考文献)
Philip Cagan (1956), “The Monetary Dynamics of Hyperinflation,” in Milton Friedman ed., Studies in the Quantity Theory, Chicago: University of Chicago Press, pp. 25-117.
Philip Cagan (1956), “The Monetary Dynamics of Hyperinflation,” in Milton Friedman ed., Studies in the Quantity Theory, Chicago: University of Chicago Press, pp. 25-117.
Maria-Jose Gutierrez and Jesus Vazquez (2004), “Explosive Hyperinflation, Inflation-Tax Laffer Curve, and Modeling the Use of Money,” Journal of Institutional and Theoretical Economics, Vol. 106, No. 2, June, pp. 311-326.
David Romer (2006), Advanced Macroeconomics, 3rd Edition, New York: McGraw-Hill/Irwin.
Maurice Obstfeld and Kenneth Rogoff (1996), Foundations of International Macroeocnomics, Cambridge MA, MIT Press.
Sargent, Thomas J. (1982), “The Ends of Four Big Inflations, in Robert Hall ed., Inflation, Causes and Effects, Chicago: University of Chicago Press, pp. 41-98.