過去2回の記事(「『生産性の低下』と『生産性成長率の低下』」 ,「『生産性の低下』と『生産性成長率の低下』:補足説明」 )では,「生産性の上昇はデフレ圧力」と「生産性成長率の上昇はインフレ圧力」について,技術的な説明に終始したので,ニュー・ケインジアン・モデルになじんでいない読者には納得してもらえなかったかもしれない。もう少し噛み砕いて,直観的な説明をしてみたい。
 まず,「生産性の上昇はデフレ圧力」の方は,理解しやすいだろう。例えば,サンマが豊漁だったとしよう(水産業の生産性が上昇する。また来年はサンマが豊漁かどうかはわからない)。市場(いちば)にいつもより大量のサンマが運ばれるが,供給に見合う需要が自動的に生まれるわけではない。皆にサンマをたくさん食べてもらうためには,サンマの価格は下がらなければいけない。こうした現象が経済で幅広く見られれば,一般物価が下落する。
 今度は,「生産性成長率の上昇はインフレ圧力になる」と聞くと,このサンマの例と同じようなことが起こりはしないか,と考えて,すぐには納得できない読者もいると思う。前回の記事で引用したhimaginaryさんの「生産性と自然利子率」(http://d.hatena.ne.jp/himaginary/20100725/productivity_and_natural_rate_of_interest )の疑問もこうしたものだ(以下に再掲)。

「生産性成長率が低いために自然利子率が低くなってデフレに陥りやすくなるのだとしても、生産性を上げればデフレからそれほど簡単に脱却できるのだろうか? 単純に考えれば、仮に生産性上昇によって自然利子率が上昇したとしても、潜在成長率も上がっているわけだから、需給ギャップへの影響は一意ではない。もしその場合に需給ギャップが縮小するのであれば、需要の成長率が、一時的にせよ、潜在成長率の上昇以上に上昇する必要がある。つまり、供給力の上昇によって需要が需要を呼ぶような展開がもたらされることが必須となるわけだ。いわば、経済のこの段階においてセーの法則(ないしはそれ以上の供給から需要への効果)が働くことが求められるわけである。」(「himaginaryの日記」より引用)

 こうした疑問について,前回の記事では,ニュー・ケインジアン・モデルの技術的な説明だけで回答してしまったので,今回は別の説明をする。
 例えば,「東京は世界の金融センターになる」と皆が思ったとしよう。つまり,将来に東京の経済活動が活発になり,将来の皆の生産性が上昇するとの予想が形成される。すると,将来の活況を見越して,現在から投資が活発になるだろう。ところが,現在はまだ生産性が上昇していないから,需要が増えたほどには,供給は増えない。したがって,現在にインフレ圧力が発生する。将来が皆の予想通りなら,経済活動は活発で,総供給も総需要も増えている。この例を言い換えると,皆の経済の見通しが強気になることで,経済が活況を呈し,インフレ圧力になる,ということである。強気の見通しに基づき需要が増えているので,供給が増えた将来にも需要不足を心配する必要はない。
 逆に,生産性成長率の低下は,経済の将来の見通しを弱気にさせ,現在の活動を萎縮させる。これは,現在のデフレ圧力になる。
 最初のサンマの例では,誰も予想しないで突然にサンマが豊漁になる。つまり,需要の変化(需要曲線のシフト)がなく,突然に供給が増える。つぎの金融センターの例は,皆が将来に経済が好調になると予想して,それに基づく行動を起こす。つまり,供給の変化は,需要の増加に裏打ちされている。なので,金融センターの例の将来の状況はサンマの例と同じように考えなくていい,ということである。
「生産性成長率の上昇=将来の生産性の増加」の経済への影響は,強気の見通しによる需要増加によって何が経済に起こるか,という視点から考えた方が適切である。生産性の変化が供給だけの要因,という観念が誤解を招きやすい。経済学者は「生産性の成長」を何気なく使っているが,今回の記事を書いてみて,一般の方の受け取り方との間に相当の幅があることに気づかされた。その意味では,今回の記事は私にも勉強になった。

 ここで,「東京は世界の金融センターになる」という例を使ったのには,理由がある。ご承知の通り,これはわが国がバブルで賑わっていた頃にいわれていた話で,実際には「世界の金融センター」は幻で,バブルは崩壊した。
 そこで,私が上に説明した筋書きをもう一度見てもらいたいのだが,最初に,「東京は世界の金融センターになる」と皆が予想するところから,現在の需要が増えるところまでは,「予想」だけで動いている。つまり,将来にこの「予想」が実現せずに幻に終わったとしても,現在の需要は増加する。労働供給が動けば,現在の生産も増加するだろう。逆に,予想が裏切られた将来では,予想に基づいた行動が裏目に出て,経済が縮小するのではないか。こうした筋書きを表現しようしたのが,今回の記事の題名とした「news-driven business cycle」と呼ばれるモデルである。これは,将来に経済に好調になるという予想ができるが,後でそれが実現しないという現象によって,景気循環が生じるという考え方である。日本のバブル景気とその後の低迷を説明する仮説としても注目されている。
 予想された経済の好調は実際には実現されていないので,事後的な産出量を見ているだけでは,news-driven business cycleはとらえられない。それで,将来の経済状況に関する予想が株価に含まれているのではないか,と考えて,株価が推定されるモデルに加えられている。
 じつは,実物的景気循環モデルや標準的なニュー・ケインジアン・モデルに基づく初期の研究では,このアイデアでは,実際の景気循環の様子をうまく説明できなかった。しかし,Jaimovich and Rebelo (2009)の工夫によって,大きな問題が解消して,現在は多くの研究者によって精力的に研究が進められている。日本経済に適用した研究には,例えばFujiwara, Hirose and Shintani (2008)がある。

「生産性成長率の上昇」が意味するところは,もう少し現実感覚に合う言葉に言い換えると,「経済の将来に明るい見通しをもって皆が行動し始める」ということである。政策当局は,それをバブルに終わらせずに,実際に実るものにしなければいけない。生産性を高める成長戦略が目指すものは,そうした経済の姿のはずである。
 これなら,デフレ圧力にはならないだろう。

 さて,新サンマ食べよう。

(参考文献)
Ippei Fujiwara, Yasuo Hirose, and Mototsugu Shintani (2008), “Can News Be a Major Source of Aggregate Fluctuations? A Bayesian DSGE Approach,” IMES Discussion Paper Series 2008-E-16.
http://www.imes.boj.or.jp/english/publication/edps/2008/08-E-16.pdf

Nir Jaimovich and Sergio Rebelo (2009), “Can News about the Future Drive the Business Cycle?” American Economic Review, Vol. 99, No. 4, September, pp. 1097-1118.

(参考)
「生産性と自然利子率」(himaginaryの日記)
http://d.hatena.ne.jp/himaginary/20100725/productivity_and_natural_rate_of_interest

(関係する過去記事)
『生産性の低下』と『生産性成長率の低下』

『生産性の低下』と『生産性成長率の低下』:補足説明