政府と民間企業の間には一線が引かれる。政府は何らかの政策目的がもって民間企業の活動に介入することがあるが,そこには一定のルールがある。菅首相が中部電力へ浜岡原発の停止を要請したことは,そのルールを逸脱している。

 国は安全基準に則って危険だと判断すれば,浜岡原発の停止を命令することができる(注1)。停止命令が出ていないときに運転するか停止するかは,中部電力の判断である。その判断をできる者が,中部電力の所有者である。かりにまったくの第三者の私が浜岡原発の停止を要請しても,相手にしてもらえないだろう。しかし,過半数の株主が停止を要請すれば,社長はそれにしたがうだろう。組織はさまざまな関係者の「契約の束」としてとらえられる。組織はこの契約に基づき活動するが,組織のすべての活動が契約で記述されているわけではなく,契約は不完備な状況にある。不完備な契約で定められていないことを決定できる者が組織の所有者である,というのが契約理論の考え方である(Grossman and Hart, 1986)。これが,株主は会社の所有者であり,私は中部電力の所有者でない,ことの意味である。
 中部電力社長は「首相の要請は重い」と言って,菅首相の要請を受諾した。これにより,中部電力の所有者は誰なのか,という問題が生じた。浜岡原発の停止によって中部電力の業績悪化が予想されるが,株主がそれを選択したことになるのか。株主が会社の所有者であるはずだが,そのことが揺らいでいる。法令に基づく命令であれば,それは会社を構成する「契約の束」のひとつであって,株主の所有者としての地位は揺らがない。したがって,首相の行動は,私有財産の侵害につながる。
 政府が所有する企業(公的企業)と民間企業の線引きは,わが国ではこれまでしっかり意識されてきた。民間の企業活動への政府の介入は,法令に基づいた上で裁量を減らすように腐心してきた。政府の裁量による介入が企業活動を決めてしまっては,政府が実質的な企業の所有者になってしまうからだ。また,法律によって公的企業は設置され,法律によらずに(ましては首相の独断で)民間企業の株を買収して企業を所有するようなことはしてこなかった。これらは,私有財産制の基盤を揺るがし,自由主義経済の基本ルールを脅かすことになるからだ。

 浜岡原発の停止が命令によらずに要請の形をとったことをどれだけ懸念するかは,その人が経済のルールにどれだけ敏感かにかかわっている。浜岡原発の停止の是非についてはだいぶ議論されているが,この問題にメディアと国民の反応が鈍感であるように見えるのが気になる。

(注)
 反対解釈だと,安全基準に則って危険だと判断できなければ命令できなくなる。その場合は,東北地方太平洋沖地震の経験を踏まえて安全基準を厳しくするとの口実を立てて,命令につなげることができる。

(参考)
「不完備契約の基礎づけ」(Econo斬り!!)
http://blog.livedoor.jp/yagena/archives/50026629.html

(参考文献)
Sanford J. Grossman and Oliver D. Hart (1986) "The Costs and Benefits of Ownership: A Theory of Vertical and Lateral Integration" Journal of Political Economy, Vol. 94, No. 4, August, pp. 691-719