緊急事態が解除され、次第に経済活動への制限が解かれつつある。ここまでの新型コロナウイルス感染症の第1波を抑え込むことでわれわれは何を得たのか。それにはどれだけの価値があったのか。これは、感染症対策を評価するにあたって、対策の効果を測定することである。
 得たものは、まずは人的被害の軽減である。死者だけで評価すると、「何もしなかったら死亡したであろうX万人の余命を平均Y年延ばした。その価値は国内総生産(GDP)のZ%である」という形に定量化できる。このX、Y、Zの数値を評価してみよう。

 X万人は、被害想定であるが、ここでは死亡者しか考慮していない。重症からの生還者では肺機能が完全に回復せずに、予後の生活の質が落ち、余命が短くなる被害があるかもしれない。しかし、既存研究は死亡損失のみを考慮している。それ以外の損失を評価できるだけの十分なデータがないのが理由だろう。ここでは、現状の研究動向にならう。
 このX万人は、政策当局側からは異様な形で発表された。そこに至る経緯を見ていこう。
 3月2日に持ち回りで開催された新型コロナウイルス対策専門家会議(第5回)の資料に、「新型コロナウイルス感染症の流行シナリオ(2月29日時点)」がある。これは、日本医療研究開発機構感染症実用化研究事業(新興・再興感染症に対する革新的医薬品等開発推進研究事業)「感染症対策に資する数理モデル研究の体制構築と実装」(研究開発代表者:西浦博)の報告書である。冒頭にあるように、「本シナリオは、各都道府県において、今後の対策を検討するにあたり地域内の流行状況や年齢構成等の地域性を十分に踏まえて医療体制の整備を行う際の参考にしていただくため、現時点での情報に基づいて示すものである」。そして、基本再生産数について、「1.4,1.7,および2.0と想定したが、現段階で得られる情報からはR0を1.7とすることが最も妥当と考えられる」としている。
 人口10万人当たりの発症者、入院患者数、重症者数は以下のように想定された。

基本再生産数

発症者

入院患者

重症者

1.4

6458

1379

138

1.7

8987

1782

178

2.0

10613

1987

199


 また、都道府県等が医療体制を確保するための目安として、基本再生産数が1.7のときの、ピーク時の人口10万人あたり発症者、入院患者、重症者数が以下の様に想定された。

 

発症者

入院患者

重症者

小児(0-14歳)

181

53

2

成年(15-64歳)

294

18

1

高齢者(65歳以上)

509

560

18

全年齢平均

339

172

5


 もちろん、流行を事前に読み切ることは不可能であり、このような推計には多大な不確実性がある。報道によれば、3月10日の記者ブリーフィングで、西浦教授は「いずれも科学的にあり得るということで試算をしている。中位がもっともらしいとしているが、中位でも、あるいは低位でさえも、私たちが今、研究している観点からすると、この規模の大流行は起こらないと思っている。いずれも『最悪のシナリオ』であるという見方をするのが、恐らく一番適切」と述べている。
 都道府県にとって非常時に備えた病床の拡大は簡単な作業ではなく、実際に多くの都道府県で病床の確保は後手後手に回った。いつまでにどれだけの病床を用意すればいいのかの見通しを立てるために、また最悪の進展にも対応できるように、こうした予測は重要で意義あることである。日本医師会総合政策研究機構では、このシナリオに基づくピーク時の患者数と各種病床数が都道府県別に示された資料が作成されている。

 こうした取り組みをぶち壊す数字が、専門家会議の「新型コロナウイルス感染症対策の状況分析・提言(3月19日)」に現れる。
 それは、下の図のような、基本再生産数を2.5と置いたときの新規感染者数と重篤患者数の想定である。10万人当たり重篤患者数は、上記の2月29日のシナリオの重症者数の10倍以上になっている。本文には下線つきで、日本のある特定地域(10万人)が「流行50日目には1日の新規感染者数が5,414人にのぼり、最終的に人口の79.9%が感染すると考えられます。また、呼吸管理・全身管理を要する重篤患者数が流行62日目には1,096人に上り、この結果、地域における現有の人工呼吸器の数を超えてしまうことが想定されるため、広域な連携や受入体制の充実を図るべきです。」と書かれている。基本再生産数が高くなると、ピーク時の感染者数等は大きくなるが、それでは説明できないほどの大きさになっていて、かつ重篤患者数は本文と図でまったく合わない。
 
ブログ用・感染流行の第1波を乗り越えることで得たもの(そのX)
(出典)「新型コロナウイルス感染症対策の状況分析・提言(3月19日)」9頁。

 この試算とそれに類するものは、これ以降の専門家会議資料には現れない。これは、いったい何だったのか。

 死者想定は、政府が発表する気がなかったところを、西浦教授が個人で4月15日に記者会見で発表した。どちらの態度も間違いである。被害想定がなければ、対策の効果を評価しようがないが、結果的には、冷静に受け止められる層には的確な情報が与えられない一方で、市民の不安を一番煽る形で発表された。淡々と技術的に詳細を記した文書をさりげなく専門家会議の資料に紛れ込ませておくようにして、冷静な対策の立案に活かすようにすべきだった。今後繰り返してはいけない形で必要な情報が出されるのは、政策評価の観点からは、最低評価にならざるを得ない。
 報道によれば、「人工呼吸器や集中治療室(ICU)での治療が必要となる重篤患者は15~64歳で20万1301人で、65歳以上は65万2066人と見積もった。致死率を成人0・15%、高齢者1%と想定すると、死亡者は重篤患者の半数(49%)で、約42万人の予測になる」(毎日新聞)そうだ。

 対策の効果の定量化はいきなり振り回されてしまったが、とりあえずXは、この怪しげな42万人としておく。

(「そのY」、「そのZ」へと続きます。)

(参考)
「新型コロナウイルス感染症の流行シナリオ(2月29日時点)」(新型コロナウイルス対策専門家会議(第5回)資料、2020年3月2日)

橋本佳子「西浦北大教授「3つのCOVID-19流行シナリオ、いずれも最悪の場合」」医療維新

高橋泰、江口成美、石川雅俊(2020)「地域の医療提供体制の現状 - 都道府県別・二次医療圏別データ集 - (2020年 4月 第8版)」日医総研ワーキングペーパー、No. 443

「新型コロナウイルス感染症対策の状況分析・提言(3月19日)」(新型コロナウイルス対策専門家会議)

「新型コロナ 対策なければ重篤85万人 専門家試算、国内42万人死亡」(毎日新聞、2020年4月16日)