「何もしなかったら死亡したであろうX万人の余命を平均Y年延ばした。その価値は国内総生産(GDP)のZ%である」の「Z」について。
 これは、『感染症対策の評価に用いる統計的生命価値』で解説した統計的生命価値を用いて、延ばした余命を貨幣価値化することになる。これは誰かが天の声で命に値段をつけたわけではなく、われわれが日常生活のなかで、十分に小さいがゼロではないリスクを軽減するためにどれだけの対価を払っているかを計測して、そうした行動と違和感のない政策決定をするために、用いる概念である。
 自動車の安全装備を例にとろう。2019年の日本の交通事故の死者数は、3,215人である。2019年の年央人口は1億2,626.5万人であるので、日本では1年間で交通事故で死亡する確率は平均で10万分の2.5である。われわれの社会は、この交通事故で死ぬ確率をほぼゼロにするために、自動車を使わないようにしようとはしない。自動車を使う便益が大きいので、このリスクを受け入れて、交通安全に気を付けて自動車を運転している。ただし、いくばくかの費用を負担して、いくらかは交通事故による死者を減らしたいと思えば、自動車に安全装備をつける。こうした日常生活での意思決定に近い形で判断を行えば、国民の意識から離れた政策にはならないだろう。これが、統計的生命価値で妥当な推計値を求めようとするときの根底にある考え方である。
 統計的生命価値として日本で広く使われているのは、内閣府が推計した2億2,600万円(2004年度価格)である。この推計は、10万分の6から10万分の3に死亡リスクが低下する安全グッズにいくら支払ってもよいか、を人々に尋ねる仮想評価法(CVM)に基づいている。同年度の1人当たり消費が267.1万円(家計現実消費支出341兆3,567年億円、年央人口1億2,778.7万人)なので、消費の85年分となる。『感染症対策の評価に用いる統計的生命価値』で紹介した、EPAの設定値の43%である。
 対消費比が一定として2018年度の価値に換算しよう。同年度の1人当たり消費は293.7万円であり(2018年度の家計現実消費支出は371兆3,081億円、年央人口は1億2,644.3万人)、2004年度より9.9%増である。1年当たりの価値は、2004年の『簡易生命表』による日本人全体の平均余命41.9歳を用いると593万円、費用便益分析で標準的に用いられている4%の割引率で割り引いた平均余命18.6年を用いると1,333万円になる(2004年の『人口推計』では90歳以上がまとめられているため、2005年の『国勢調査』の年齢別人口の比率で90歳以上の人口を『簡易生命表』の年齢区分に合わせるように補正した)。消費の2.0年分となる(4%で割り引いた場合は4.5年分)。
 その他の推定値としては、例えば大日・菅原(2006)は、延命効果がある新しい治療法に対する支払意思額を尋ねる調査から、1年当たりの価値を635~670万円(2005年度価格)と推計している。
『感染症対策の評価に用いる統計的生命価値』で紹介したように、致死率の高い感染症のような大きなリスクに対しては、非常に小さいリスクについて推計された統計的生命価値が過大評価になっている可能性がある。しかし、まだ評価が定まっているわけではないので、ここでは過大推計の可能性に注意しながら、内閣府推計値を用いる。

 では、「Z」を計算しよう。まず、「X万人の余命を平均Y年延ばした」については、X=42万人、Y=0.5年/人として、21万年分が、確かに得られたものとなる。ワクチンが開発されれば、最大でY=12.2年/人となるが、これは賭けである。上述の統計的生命価値の推計に基づくと、21万年分の延命の価値は日本の消費総額の0.34%となる。GDP比に換算すると0.22%となる(家計現実消費とGDPの両方の計数が得られる2018年度の数値に基づく)。費用便益分析で使われる割引率4%で割り引いた場合には消費の0.76%、GDPの0.51%となる。割り引いた値を用いると、「Z」は0.51%である。
 すべてをまとめると「何もしなかったら死亡したであろう42万人の余命を平均半年延ばした。その価値は国内総生産(GDP)の0.5%である」。これが第1波を乗り越えたことで得たものである(ただし、依拠する前提の数値次第で変わり得る)。ワクチンが開発されれば、得られるものはGDPの4.5%になる。なお、ここで考えている対策とは政府によるものだけではなく、民間が自主的に行う予防・自衛も含まれる。
 GDPの0.5%とは、ずいぶんと小さい、そんなはずはない、と感じただろうか。このことに関連した興味深い研究がある。Hargreaves Heap et al. (2020)[2020年6月20日追記。著者名の誤記を修正]は、新型コロナウイルス感染症の流行最盛期の4月に米英の市民を対象に、仮想評価法で統計的生命価値を推計したところ、通常の推計値の約10倍のものになったと報告している。そして、都市封鎖の経済損失の予測を知らせた上で繰り返し同じ調査をすると、人々の回答は統計的生命価値の推計値を下げる方向に変わった。このことから、命を守ることへの支払意思額は状況に左右されて、感染症流行期に特殊な状態にあることが推測される。生命重視で経済活動を制限する対策が最初は政治的に支持されても、後で生命と経済の比重が変わって、制限緩和の要求が高まることも示唆される。
 そして、意思決定をした選好と十分な情報が与えられての選好が異なる場合、政策評価は後者の選好に基づいて行われる(岩本 2009、Boardman et al. 2018, pp. 137-139)。
 通常期の判断を、別の角度から考えてみよう。『社会保障費用統計』(国立社会保障・人口問題研究所)によれば、2017年度の「保健」への支出は、41兆8,713億円(GDPの7.7%)である。医療がなければ救われない命を、日本の医療は毎年たくさん救っている。われわれは医療にGDPの7.7%をかけて、1億2,600万人の命を預けていると言える。これが通常期の医療へのお金の使われ方である。それと比較して、新型コロナウイルス感染症から救うために(人間一度は死ぬので、他の理由で死ぬために)いくら使おうと思うだろうか。

 ここまで感染症対策の効果を見てきたが、一方で感染症対策で失ったもの(費用)は何だろうか。費用とは、政府が感染症対策と経済対策で計上している経費ではない。定額給付金、雇用調整助成金、持続化給付金等の現金給付は所得再分配であり、感染症と感染症対策で生じた被害を別の場所に移す働きをするものだ。根源の被害を見なければならず、それは、政府による対策だけでなく民間による自主的な予防・自衛も含めての対策による経済活動の収縮分であり、まずGDPの収縮分がある。つぎに、事業継続できなかったことで清算された資産がある。ただし、これらは感染症自体がもたらした被害と一緒に現れるので、その実額は直ちにはわからない。
 感染症対策で得たものは他にもあるだろうか。1つは、有症感染者は有症期間に経済活動に従事できなくなることや生活の質が損なわれる損失があって、これを半年先延ばしにできたことだろう。『感染流行の第1波を乗り越えることで得たもの(そのY)』で触れた通り、損失を半年先送りすることの便益は、損失の約2%である。このため、上で計算した人的被害の推計誤差の範囲に入るくらいのわずかなものになるだろう。
 他に得たものもさほど大きくなく、ワクチンも開発されないならば、GDPの0.5%分の価値を得たとしても、かりにGDPの5%でも失ったとしたらおそらく桁違いの大損害だろう。

(参考文献)
Boardman, Anthony E., David H. Greenberg, Aidan R. Vining and David L. Weimer (2018), Cost-benefit Analysis, 5th ed., Cambridge University Press. 

Hargreaves Heap, Shaun P., Christel Koop, Konstantinos Matakos, Asli Unan and Nina Weber (2020), “Valuating Health vs Wealth: The Effect of Information and How This Matters for COVID-19 Policymaking,” VoxEU, 06 June.

岩本康志(2009)「行動経済学は政策をどう変えるのか」池田新介・市村英彦・伊藤秀史編『現代経済学の潮流2009』,東洋経済新報社,61-91頁

大日康史・菅原民枝(2006)「1QALY獲得に対する最大支払い意思額に関する研究」『医療と社会』16巻2号, p. 157-165.

(参考)
内閣府政策統括官(共生社会政策担当)『交通事故の被害・損失の経済的分析に関する調査研究報告書』2007年3月

日本の統計的生命価値のその他の推計については、下記報告書の「参考資料5」で展望されている。
内閣府政策統括官(共生社会政策担当)『平成23年度交通事故の被害・損失の経済的分析に関する調査報告書』2012年3月

(関連する過去記事)
『感染症対策の評価に用いる統計的生命価値』

『感染流行の第1波を乗り越えることで得たもの(そのX)』

『感染流行の第1波を乗り越えることで得たもの(そのY)』