6月26日にオンラインで開催された、東京大学国際高等研究所東京カレッジ主催の連続シンポジウム「コロナ危機を越えて」④経済、に登壇しました。コーディネーターが星岳雄先生(経済学研究科教授+東京カレッジ特任教授)、登壇者が私の他に、渡辺努先生(経済学研究科長)、川田恵介先生(社会科学研究所准教授、経済学研究科CREPE)、宮川大介先生(一橋大学准教授、経済学研究科CREPE)です。
 シンポジウムはYouTubeでライブ配信されましたが、録画が公開されています。


 以下は、最初と最後の発言のために準備した原稿です(そのため、話し言葉に近くなっています)。最後の発言はシンポジウムの流れに合わせたため、準備原稿の一部は使われてないで、終わりました。[2020年6月27日追記。準備原稿に対する直前の修正が反映されていなかったので、微修正しました。]


 新型コロナウイルス感染症(COVID-19)は、90年前の大恐慌以降で最大の不況になると予想されている(OECD 2020、IMF 2020)。過去100年あまりでこれに並ぶ大きな経済ショックは、2つの世界大戦、世界的金融危機、100年前のスペイン風邪とごく限られた数しかない。
 これらの大きな経済ショックと、もう少し小さなショックまで含めたなかで、戦争と疫病は、別の目的のために自らの意思で経済を犠牲にするところが他の経済ショックと違うところである。このため、不況にどう対応するかは、起こってほしくないショックが起こったときに、どのようにそのショックを緩和していくかを考えていくのに対し、新型コロナウイルス感染症の場合は、健康と経済のトレードオフのもとで、相当の経済の犠牲を払うことを選択した。
 新型コロナウイルス感染症での日本や世界の選択が妥当なものであったかどうかは、まだ確定しているわけではなく研究途上だが、少なくとも日本は健康を過剰に重くみたのではないか、というのが、私が現在持っている感触である。
 日本では2月14日に新型コロナウイルス感染症対策専門家会議が設置され、疫学の専門家の分析と助言が対策の立案に大きく影響した。疫学には感染症の流行を記述するモデルや、対策の効果を検証するモデルはあっても、感染症対策の経済的な費用を勘案するモデルはない。感染症の専門家が専門的見地に忠実であろうとすれば、経済度外視の助言が出てくることになる。
 そこで、健康と経済のトレードオフについては経済学の知見が必要となる。
 私は日本の対策の評価をしているが、専門的にまだ詰めるところがあるので、幹にあたる部分だけブログ(岩本 2020)で発表したが、現在落ち着いているところまででわれわれが対策で得たものを金銭評価すると、大きく見積もってもGDPの約0.5%で、もっと小さいことも十分にあり得る。経済損失に関わる数値はこれから明らかになってくるので、現在は正確にはわからないが、それでも0.5%で収まることはなくて、ひと桁違う5%になっても全然不思議はないし、それ以上になるかもしれない。新型コロナウイルス感染症にはわからないことが多いので、いま出した数字は幅を持って見なければいけないが、おそらく得たものの価値とはけた違いの経済損失をもたらしている。
 しかし、4月7日に出された緊急事態宣言は、おおむね一般市民から支持されて実施されている。世界を見るともっと強力な活動制限措置もとられたが、当時はおおむね支持されている。そうなる理由の1つとして、この感染症では肺炎が急速に進行したり、集中治療室(ICU)を長期間占有してしまうという、医療従事者にとってはきわめて脅威となる病状があって、軽症や無症状の感染者の情報がつかみにくいこともあいまって、最初は医療従事者から情報が発信されるときに、正確な評価よりも深刻な脅威ととらえた情報が広まったことが考えられる。そして、流行期の一般市民の受け止め方も、健康を重視する方向に偏ったことが考えられる。流行の最盛期に英国と米国を対象にして健康と経済のトレードオフに関する意識調査をした研究によれば、このときの調査対象者が健康に置いた価値は従来の研究で妥当と考えられている範囲よりも1桁大きい金額になったと報告している(Hargreaves Heap et al. 2020)。一般市民のトレードオフの選択が与えられた情報によって変化する現象が起こっている。

 以上はこれまでを振り返る話だったが、つぎに将来のことに目を向けたい。
 ウィズコロナ社会では、経済と感染予防を両立させることが要求される。経済活動が活発にすれば感染機会が拡大する。この健康と経済のトレードオフによって、経済活動の制限が必要となれば、一律制限よりも効果の大きい制限にしぼった選択的な制限をとるべきである。
 直近の課題は医療体制を立て直した上で経済を回していく経済再開(reopen)である。ここでは、ある程度のリスクをとって制限を緩和していくことになる。そのときに、制限を緩和することで生まれる経済的価値と感染拡大の比率を考え、比の大きい産業を動かしていくという考え方が、選択的な制限である。実際にどの産業から制限を緩和していくべきかについては、ハーバード大学の経済学者と公衆衛生学者がチームを組んだ研究の結果を紹介したい(Baqaee et al. 2020)。じつは、どの産業から再開していくかという問題設定をすると、産業の数とタイミングが政策変数となり、数が多すぎて、厳密には解けなくなる。そこでこの研究では、先ほど述べた経済的価値と感染拡大の比を産業別に求めることをしている。感染リスク当たり経済価値が高い産業としては、金融、法律サービス、企業経営・管理、コンピューターシステム開発、出版が挙げられている。専門技術サービスで付加価値が高いことや、リモートワークが可能なことが、こうした産業が上位に並ぶ理由のように思える。おおむね米国が強い業種であり、日本では弱い業種なので、そのまま日本でも当てはまるかどうかはわからない。
 逆に、感染リスク当たり経済価値が低い産業には、接触が必要な業態が並んでいるが、なかには医療、福祉、運輸という、止めることができない産業があるのが悩ましいところだ。教育もここに入っていて、長期間休校にしてしまったが、止めることの費用は大きい産業だ。他の産業としては、飲食、宿泊、娯楽が入っていて、これらは現に最も制限が課された産業になっている。実際の経済活動の制限は、こうした研究がないうちに、直観的な推測でされていたと思われるが、大勢としては妥当なものだったろう。ただし、一部の産業が大きな負担を負うことが、ショックとその後の回復に共通して発生するので、負担を負った産業をどう支援するかが大切になる。効率を重視すると格差が拡大する、という経済ではよく語られる現象がここにも現れている。望ましい対応は、感染症対策によって経済にかけられた負荷は、できる限り全体で平等に負担することだろう。

 新型コロナウイルス感染症はパンデミックになったが、健康と経済のトレードオフでどういう選択をしたかは、国によって分かれた。これはウイルスとの戦いに様々な選択肢があったことを意味するが、実際に各国の選択の背景を詳しく見ていくと、さまざまな選択肢のなかから選び取ったというよりは、それを選ばざるを得なかったという事情が浮かび上がってくる。例えば、経済活動を制限せずに対応したスウェーデンは、欧米諸国のなかではかなり異質の対応をとったが、スウェーデンの憲法上の制約や人々がお互いの行動を信頼して尊重するという文化的理由などによって、むしろ必然的に制限をかけない道を選ぶことになったというのが、スウェーデンの研究者の見解である(Karlson, Stern and Klein 2020、Jonung 2020)。
 日本を見ると、欧米で感染が進んだ国よりはるかに感染者が少ない状態で、都市封鎖ほど強制的でないにしても、かなり厳しい水準の行動制限の目標が課されて、経済が大きく落ち込んでいる。日本は抑え込みに向かわざるを得なかったのは、日本の医療体制が欧米が直面した規模の感染症の流行に対応できなかったという事情がある。イタリアをはじめ、欧米で「医療崩壊」を招いたが、それよりもけた違いに少ない患者数で日本が医療崩壊の瀬戸際まで追い込まれたことは、「日本モデル」の負の側面として認識しておかなければいけない。
 他の負の側面には検査体制が脆弱であったことが挙げられるが、検査体制を強化することも重要であるとしても、一律ではなく、選択的な検査と隔離が有効である。その手段である、積極的疫学調査(contact tracing)によって、感染の疑いが濃い者を検査することで、一律に検査するよりも圧倒的に費用が安いだけではなく、より多くの感染者を隔離することができることが示されている(Chari, Kirpalani and Phelan 2020)。
 ただし、積極的疫学調査が機能している状態に、一律検査を上乗せすることが有効かどうか、についてはよくわかっていない。検査の拡充を求める声は強いが、感染者を効率的に隔離するという検査の目的を踏まえて、適切な規模までの拡大を行うべきである。
 また、積極的疫学調査については、韓国やシンガポールのような先端的な手法が世界的に注目されていて、一見したところ時代遅れの日本の積極的疫学調査は効果がなさそうに見えるが、新規感染者が少ないときには有効に機能する。これは、長らく結核の蔓延と戦ってきた、日本の保健所体制が支えたものであり、そうした土台がない国では、積極的疫学調査を効率的に進めることができない。このように、経済学の色々な分野で言えることであるが、その国で長い歴史をかけて形成されてきた「制度」の役割は非常に大きい。したがって、色々な政策の対応をフリーハンドで選べるわけではない。これは、ウィズコロナの社会と経済の様式を考えるうえでも重要であって、思いつきで新しい日常の姿を考えても、制度と親和性がないものはうまく定着しないのではないかと考えられる。

 ウィズコロナ社会では健康と経済のトレードオフを日常の選択として考えていかなければいけない。その際には、すでに上で述べたような、以下の2点が重要である。第1に、選択肢はその国で長く培われた制度に縛られていて、制度的要因を無視して自由に選ばれるわけではない。第2に、トレードオフをできるだけ深刻にしないために、効果の高い対策に集中するという、選択的な対策をとるべきである。

参考文献
Baqaee, David, Emmanuel Farhi, Michael J. Mina and James H. Stock (2020). "Reopening Scenarios." NBER Working Paper No. 27244.

Chari, Varadarajan V., Rishabh Kirpalani and Christopher Phelan (2020). "The Hammer and the Scalpel: On the Economics of Indiscriminate versus Targeted Isolation Policies during Pandemics." NBER Working Paper No. 27232.
https://doi.org/10.3386/w27232

Hargreaves Heap, Shaun P., Christel Koop, Konstantinos Matakos, Asli Unan and Nina Weber (2020), “Valuating Health vs Wealth: The Effect of Information and How This Matters for COVID-19 Policymaking,” VoxEU, June 6.

International Monetary Fund (2020), World Economic Outlook Update, June 2020

岩本康志(2020),「感染流行の第1波を乗り越えることで得たもの(そのZ)」

Jonung, Lars (2020), “Sweden’s Constitution Decides Its Exceptional Covid-19 Policy,” VoxEU, June 18.

Karlson, Nils, Charlotta Stern and Daniel Klein (2020), “The Underpinnings of Sweden’s Permissive COVID Regime,” VoxEU, April 20.

OECD (2020), OECD Economic Outlook, June 2020