産業別に経済活動を再開する戦略を研究した、ハーバード大学の経済学部と公衆衛生大学院の研究者によるBaqaee et al. (2020)を紹介したいが、その前にこのような共同研究が自然に成立する事情について、(少し数学的な記述になるが)解説しておきたい。

 すべての個人が同質的であると仮定したSIRモデルでは、新型コロナウイルス感染症の罹患率、致死率が年齢によって大きく違う現象を記述できない。こうした本質的に重要な現象を記述するには、個人を年齢階層に分類した多次元SIRモデルが使われる。
 モデルの個人をn個の年齢階層に分類して、年齢階層を添え字iをつけて表そう。ある年齢階層の個人は、各年齢階層の個人と接触することによって感染する。感染者の年齢階層の動学は、
\[\dot{I}_i(t)=\beta_{i1}S_i(t)\frac{I_1(t)}{N_1(t)} + \ldots + \beta_{in}S_i(t)\frac{I_n(t)}{N_n(t)} - \gamma I_i(t) \hspace{1em} (1)\]
と表される。βは感染率を表し、各年齢階層の間での感染のある接触によって感染が決まる。
 感染症のモデルでは、離散時間モデルにして、各期間で感染が一斉に起きて、期間ごとに感染者がすべて入れ替わるという仮定のもとで「次世代行列」を定式化して、基本再生産数を定義する(Diekmann, Heesterbeek and Metz 1990、van den Driessche and Watmough  2002)。この記事では経済学と関係づけるために、次世代行列を用いず、SIRモデルの構造のままで議論を進める。
 感染前の状態(感染者がおらず、全人口が未感染者)で線形近似すると、(1)式右辺のSが感染の無い状態での未感染者(つまり人口)で固定され、ベクトルと行列を使って表すと、
\[\left[\begin{array}{c} \dot{I}_1(t) \\ \vdots \\ \dot{I}_n(t) \end{array} \right] = \left[\begin{array}{ccc} \beta_{11} N_{1}(0)/N_{1}(0) & \ldots & \beta_{1n} N_{1}(0)/N_{n}(0) \\ \vdots & \ddots & \vdots \\ \beta_{n1} N_{n}(0)/N_{1}(0) & \ldots & \beta_{nn} N_{n}(0)/N_{n}(0) \end{array} \right] \left[\begin{array}{c} I_1(t) \\ \vdots \\ I_n(t) \end{array} \right] - \gamma \left[\begin{array}{c} I_1(t) \\ \vdots \\ I_n(t) \end{array} \right] \hspace{1em} (2)\]
となる。(2)式のベクトルと行列に記号をつけると、
\[\dot{I}(t) = (B-\gamma I)I(t) \hspace{1em} (3)\]
となる。記号が紛らわしいが、(3)式の右辺の括弧内のIは単位行列である。感染が拡大するかどうかは、行列B-γIの固有値によって決まる。
 Bは個人の接触機会を表すので、ある年齢階層とある年齢階層がまったく(感染につながる)接触をもたないということは考えにくい。そこで、Bのすべての要素は正であると仮定しよう。このとき、ペロン=フロベニウスの定理により、Bの固有値のなかで絶対値が最大のものβ0(ペロン=フロベニウス根)は単独解で、正の実数になる。すると、感染者が(3)式に基づいて推移すると想定すると、まもなく各年齢階層の感染者が同じ率(β0-γ)で成長する状態に近づいていく。β0-γ>0であれば、感染は拡大する。β0/γが多次元SIRモデルでの基本再生産数であり、これが1より大きいとき、感染は拡大する。また、このときの感染者の年齢別分布は、ペロン=フロベニウス根に対応する固有ベクトルになる(詳しくは末尾の数学注で解説する)。

 この議論の背景にある数理は、フォン・ノイマン・モデル(von Neuman 1937)を嚆矢とする経済成長論での議論に共通するところがあって、経済学者にはなじみやすい(経済学にくわしくない読者のために説明しておくと、フォン・ノイマンとは、あのジョン・フォン・ノイマンである)。フォン・ノイマン・モデルでは、n種類の財を投入し、n種類の財を産出する生産活動を考える。利潤率の最大化が図られると、経済の成長率(すべての財の生産が同じ率で成長する)が最大となる経路(フォン・ノイマン経路von Neuman rayと呼ばれる)をたどることを、フォン・ノイマンは示した。その後、フォン・ノイマン・モデルの変種を使うことで、数理マルクス経済学や動学的産業連関分析のような研究分野が発展した。
 動学的産業連関分析では、最適成長経路がフォン・ノイマン経路に近づくことが明らかにされ、ターンパイク定理と呼ばれている。ターンパイクとは高速道路のことである。自動車で目的地まで最短時間で行くには、出発地の近くの高速道路に乗り、目的地の近くで降りるとよいという性質との類推で、フォン・ノイマン経路をターンパイクに見立てたものである。日本の高度成長期には、現在の内閣府経済社会総合研究所の前身である経済企画庁経済研究所でターンパイク理論に基づく最適成長経路の研究がされていたりもした(村上他、1970)。
 このターンパイクを特徴づける議論にはペロン=フロベニウス定理も使われ、上述した多次元SIRモデルでの基本再生産数と共通した数理がある。このため、経済学者にとっては、感染症が基本再生産数で流行する様子は、ターンパイクを突っ走るイメージを思い起こさせる。感染症のモデルと違うところは、経済成長モデルでは経済主体の行動によって、ターンパイクが選ばれていることである。

 感染症のモデルに戻ろう。行列Bを定量化するには、以下のような方法がある。
 感染機会は接触機会に比例すると考え、年齢階層iの1人が年齢階層jと接触する回数をCij、感染のしやすさをpijとすると、Bは、
\[\left[\begin{array}{ccc} C_{11} p_{11} N_{1}(0)/N_{1}(0) & \ldots & C_{1n} p_{1n} N_{1}(0)/N_{n}(0) \\ \vdots & \ddots & \vdots \\ C_{n1} p_{n1} N_{n}(0)/N_{1}(0) & \ldots & C_{nn} p_{nn} N_{n}(0)/N_{n}(0) \end{array} \right]\]
と書くことができる。pijはすべて異なる値をとることができるように定式化したが、実際にデータを扱う際には、パラメータの数を減らす仮定をいれざるを得ない。それらには、
すべて同じ値である、
感染のしやすさは同じだが、感染のさせやすさは年齢階層で異なる(pij=pj)、
感染のさせやすさは同じだが、感染のしやすさは年齢階層で異なる(pij=pi)、
感染のしやすさ、させやすさはそれぞれの年齢階層の違いだけで生じる(pij=pi pj)
のような定式化が考えられる。
 年齢階層iと年齢階層jとの接触は、どちらの階層から見ても同じで、
\[C_{ij} N_{i}(0) = C_{ji} N_{j}(0)\]
が理論的には成立しているはずであるが、おそらく調査データでは満たされてないので、これを満たすような接触回数を推定することになる。これを満たす場合、Bは
\[\left[\begin{array}{ccc} C_{11} p_{11} & \ldots & C_{n1} p_{1n} \\ \vdots & \ddots & \vdots \\ C_{1n} p_{n1} & \ldots & C_{nn} p_{nn} \end{array} \right]\]
となる。
 また、接触回数は接触の場所ごとに分類する。例えば、家庭、学校、職場、その他に分類すると、
\[C_{ij}=C_{ij}^{home}+ C_{ij}^{school} + C_{ij}^{work} + C_{ij}^{others}\]
のようになる。
 欧州で社会階層間の接触回数を調査した研究にPOLYMODがあり、同様の調査が日本でもIbuka et al. (2016)、Munasinghe, Asai and Mishiura (2019)によって行われている。
「外出8割自粛」のような、一律の接触削減は、この行列の要素を一律に低下させようとするものである。しかし、このように集団ごとの詳細なデータがあると、対象をしぼった接触回数の削減の効果を推測することができる。例えば、インフルエンザによる学級閉鎖を児童の年齢階層での接触回数の削減として、実効再生産数への影響を見るようなことができる(注)。

(注)ただし、新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)はこの年齢階層には感染しにくい(「小児の新型コロナウイルス感染症の診療に関連した論文」公益社団法人日本小児科学会)ので、インフルエンザと同じように考えることはできない。

 経済学でも同様に、生産技術に影響を与える政策がペロン=フロベニウス根を変化させて経済成長率に影響を与えることを考えることができる。こちらは成長率を小さくするのではなく、大きくすることを考えるが、背景の数理は共有している。こうして、多次元SIRモデルによる分析で、経済学者と疫学者の共同研究が生まれてくるのは自然な流れになる。
 そこで、つぎの記事で、そうした共同研究であるBaqaee et al. (2020)の内容を紹介しよう。

(参考文献)
Baqaee, David, Emmanuel Farhi, Michael J. Mina and James H. Stock (2020), “Policies for a Second Wave,” forthcoming in Brookings Papers on Economic Activities. 

Diekmann, O., J. A. P. Heesterbeek and J. A. J. Metz (1990), “On the Definition and the Computation of the Basic Reproduction Ratio R0 in Models for Infectious Diseases in Heterogeneous Populations,” Journal of Mathematical Biology, Vol. 28, pp. 365–382.

van den Driessche, P., and James Watmough (2002), “Reproduction Numbers and Sub-threshold Endemic Equilibria for Compartmental Models of Disease Transmission,” Mathematical Biosciences, Vol. 180, Issues 1–2, November–December, pp. 29-48.

Ibuka, Yoko, et al. (2016), “Social Contacts, Vaccination Decisions and Influenza in Japan,” 
Journal of Epidemiology & Community Health, Vol. 70, Issue 2, pp.162-167.

Munasinghe, Lankeshwara, Yusuke Asai and Hiroshi Nishiura (2019), “Quantifying Heterogeneous Contact Patterns in Japan: A Social Contact Survey,” Theoretical Biology and Medical Modelling, 16:6.

村上泰亮・時子山和彦・西藤冲・時子山ひろみ・日水俊夫(1970)、「日本経済の最適成長径路-EPAターンパイク・モデルによる分析-」、『経済分析』第30号、7月、1-87頁

von Neumann, John (1937), “Über ein ökonomisches Gleichungssystem und eine Verallgemeinerung des Brouwerschen Fixpunktsatzes,” in K. Menger, ed., Ergebnisse eines Mathematischen Kolloquiums (English translation, “A Model of General Economic Equilibrium,” Review of Economic Studies, 1945, Vol. 13 (1), pp.1-9).

(数学注)
 Bの固有値βは、|B-βI|=0を満たすので、|B-γI-(β-γ)I|=0である。したがって、β-γは、B-γIの固有値である。β0はBの固有値で実数部が最大のものであるから、β0-γはB-γIの固有値の実数部で最大のものであり、これが正のとき、感染前の状態は不安定な均衡なので、感染が拡大する。これは、β0/γ>1となるときである。
 βに対応する固有ベクトルxはBx=βxを満たすベクトルなので、同時に(B-γI)x=(β-γ)xを満たす。