新型インフルエンザ等対策有識者会議の基本的対処方針等諮問委員会と新型コロナウイルス感染症対策分科会の委員である小林慶一郎氏が、奴田原健悟教授との共同論文「感染症拡大モデルにおける行動制限政策と検査隔離政策の比較」を20日、発表している。要旨には「検査隔離は検査強度を最大にして1年間継続することが望ましい」とあり、小林氏がかねての主張している検査強化を根拠づけるかのように見える。しかし、私が一読した感想では、この論文からこのような結論を導くことはできないと思う。

1.政策の選択について
 論文の核心部分は、以下の2つの政策の比較である。

(A)「検査をせず、接触8割削減を360日おこなう」政策では、GDPの損失が20.69%、死者数が0.2829%。
(B)「全員に毎日検査をおこない、接触5割削減を90日おこなう」政策では、GDPの損失が7.25%、死者数が0.2777%。

 政策のシミュレーションでは、(A)を比較の基準となる政策として、これよりも死者数を上回らない範囲で、GDPの損失が小さくなる政策を探している。接触一律削減だけでなく、検査を併用することで、死者数も経済損失も小さくなる政策の組み合わせがいくつも見つかることを示している。このこと自体は、多くの先行研究で見出されてきたこととも符合する。そして、検査回数は「全員に毎日」が最大限という条件のもとで、最大限の検査をおこなう政策が最もGDPの損失が小さくなった。
 毎日検査の具体的イメージは、朝に検査して、夕方には結果がわかり、陽性者は隔離されて感染が減る、というものだろうか。「陽性=他人に感染させる可能性あり」とモデル化されているので、他人に感染させる機会があるのは、前日に検査を受けた後(結果は陰性)から今日の検査結果(陽性)を知らされるまでの期間になる。
 ただし、政策を選択するという観点から見ると、そもそも(A)が実行に値しない下策であれば、(B)はそれよりはましな下策に過ぎず、やはり実行に値しない、という可能性が否定できていない。(A)は、接触8割削減の自粛を1年間続けて、多大の経済損失を甘受するというものであるが、現実にはどの国でも採用しようとしない政策が正当化できるか、という問題は論文では棚上げしている。したがって、この分析は、(B)を選択すべき、という根拠にはならない。

2.検査費用について
 シミュレーションが実際の政策の選択に役立つには、検査費用が合理的に見積もられている必要がある。論文の基本ケースでは、国民が毎日1回検査を受ける費用がGDPの10%である、と仮定している。新型コロナウイルス感染症の影響を受けない2019年の名目GDPが554兆円であり、1億2,600万人(年央人口)が年間365回検査を受けるとすると、1回あたり費用は約1,200円である。現在のPCR検査費用を安く見積もっても、その10分の1以下の費用である(例えば、保険適用の費用は検査機関による検査で19,500円)。規模の経済が働き費用が下がることを想定し、検体をまとめて検査する「グループ検査」方式を採用するにしても、この費用の設定は低いのではないだろうか。
 論文では、この3倍の費用の場合の政策シミュレーションもおこなっていて、こちらはもう少し現実味を帯びた設定である。その結果(論文・表3)は、興味深いものとなっている。検査上限を1日当たり1、0.25、0.1回としたシミュレーションをしているのだが、いずれのケースも検査上限よりも低い検査水準が望ましいという結果になっている。つまり、「検査費用が現実の水準のように高いと、検査をいくらでも増やすことは得策とならない」という結果が得られている。これは政策立案にも示唆深い知見ではないだろうか。
 なお、ある上限制約で内点解が求められても、上限を上げると別の内点解が求められていることから、検査水準とGDP損失が単調な関係になっていないことが窺われる。どのような関係にあるのかの考察はされていないが、検査と経済の関係を理解する上でも重要な課題なので、何等かの考察が望まれる。

3.その他
 その他に、分析の改善を期待したい点に、以下のようなものがある。
 論文では、検査結果が100%正しい、と仮定している。しかし、偽陰性が(よく言われる)70%であれば、検査しても30%は隔離し損ねる。したがって、感染抑止効果は過大評価されていると考えられる。この修正は比較的容易と思われる。
 シミュレーションでは、何も対策を講じなければ総人口の2%以上の死亡者が出るとされている(論文・図2)が、1憶2,600万人の2%だと252万人であり、論文執筆時点の世界全体の死亡者の3倍を上回る。これは過大推計ではないだろうか。このことは、死亡者数を抑制する政策の価値も過大推計することにつながる。
 最適解の探索では、接触機会の削減率は実施期間中一定であると仮定されているが、実際には期間中に変化させることが可能であり、必要以上に厳しい制約を課している。先行研究の主流は、行動制限の水準を時間によって変化させる政策の分析であるので、この仮定は緩めた方が望ましいのではないか。
 無検査感染者の動学を示す(17)、(19)式は正しいのだろうか。無検査感染者は、回復、入院、検査の3つの経路で減少するが、検査を受ける者は同時に回復、入院することもあるので、流出数が二重計算になってはいないだろうか。

4.論文から何が言えるか
 まとめると、この論文からは、国民全員を毎日検査して陽性者の隔離する政策が望ましいとは言えない。検査費用が高額であることを考慮すると、注意深く、費用に見合う効果をあげる形で検査能力を拡大していくことが重要であろう。

(参考文献)
小林慶一郎・奴田原健悟(2020)「感染症拡大モデルにおける行動制限政策と検査隔離政策の比較」CIGS Working Paper Series No. 20-005J