岩本康志のブログ

経済,財政の話題を折に触れて取り上げます。

2010年05月

Yahoo! ブログから引っ越しました。

通貨発行益

 通貨発行益(seigniorage)とは,現金通貨(貨幣)の増加分である(注1)。これは経済理論上の概念であって,会計基準でこれを利益として表示しているわけではない。なぜ「益」と呼ぶかというと,以下のような理屈になる。
 中央銀行は国債を資産に,貨幣を負債にもっている。話を簡単化するため,自己資本を捨象して,両者が等しいとしよう(負債側には準備預金があるが,これには利子がつくので,国債と同様の資産と見なして,資産・負債の両側からのぞいて考えることにする。かつては準備預金に利子がつかなかったが,その場合は貨幣として扱うことになるので,例えばBuiter [2007]はマネタリーベースの増加分と定義している)。政府は国債を発行するが,これを民間は国債と貨幣の2種類の資産で保有することになる。国債は償還期限が来たら,返済しなければいけない。貨幣には償還期限はない。貨幣経済が続く限り,返済する必要はない。したがって,中央銀行が保有し続ける国債は返済する必要がないので,政府の収入と考えてよい。なお,中央銀行が貨幣を減少させた場合,それは負の発行益,つまり「発行損」であることを押さえておこう。
 通貨発行益は,別のとらえ方もできる。中央銀行は,資産側の国債の利子を得るが,負債側の貨幣には利子を支払わない。政府から見ると,中央銀行に利子を支払うが,これは納付金になって政府に還流してくる。t期に短期債(1期で償還される)を購入して貨幣をΔM増加させ,その後も償還された資金で毎期短期債を購入して,増加した貨幣を維持すると,t期以降の利子節約分は,
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となる。無限の将来にわたる,この節約分の割引現在価値は,
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で表わされる(実質価値を考える場合には実質金利で割り引く必要があるが,実質価値を実質金利で割り引くことと,名目価値を名目金利で割り引くのは同じことである)。この括弧のなかを変形すると,
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となる。つまり,
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が成立するので,通貨発行益は,中央銀行が保有することによって節約される国債の利払費の割引現在価値になる。
 マネタリーベースの増加が一時的な場合の通貨発行益も同様に考えることができる。例えば,t期にマネタリーベースをΔM増加させ,t+2期後に同額だけ減少させると,2期間の利子節約分の合計は,
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となる。つまり,t期の貨幣増加の発行益からt+2期の貨幣減少の発行損を引いたものが,一時的な貨幣増加の通貨発行益である。

 以上の計算の金利は短期金利である。そして,ゼロ金利のときには利子節約額はゼロである。ゼロ金利期間中だけ貨幣を拡大する(ゼロ金利解除までに元に戻す)場合は,通算の通貨発行益はゼロである。短期債対象のオペをした場合,中央銀行はゼロ金利の資産をもつわけだから,利子節約額がゼロなのは納得いただけるだろう。
 さて,短期金利はゼロでも長期金利はゼロではない。いまの10年物国債の流通利回りは約1.3%である。2009年度補正後予算では,一般会計の利払費は8.4兆円である。日銀が長期国債を保有すれば,その利払費は政府に還流するので,利払費の節約になるのではないか,と思われるかもしれない。しかし,それは正しくなく,ゼロ金利の期間中だけ長期国債を保有しても,通貨発行益はゼロである。
 数値例で確認しよう。t期とt+1期の2期間を考えて,t期の短期金利はゼロ,t+1期の短期金利は5%としよう。t期の短期債を100円で購入すると,期末に利子ゼロ,元本100円が償還され,t+1期の短期債は100円で購入すると,期末に利子5円,元本100年が償還される。つぎに,2期間の長期債があり,t期末にx円の利子,t+1期末にx円の利子と元本100円が償還されるとする。この国債の当初の価格が100円となるようなxを求めよう。そこで,t期末=t+1期初の市場価格をP円とする。t期にこれを100円で購入すると,期末に利子x円が支払われ,元本の価値はP円である。短期債で運用しても長期債で運用しても利回りが等しくなるように裁定が働くと,
100=x+P
となる。t+1期にこの長期債をP円で購入すると,t+1期末にx円の利子と100円の元本の償還を受け取る。短期債で運用しても長期債で運用しても利回りが等しくなるように裁定が働くと,
105/100=(x+100)/P
となる。これらの式からxは100/41=2.439…,Pは4000/41=97.56…と求められる。
 さて,日銀がt期に利率が約2.4%の長期国債を100兆円購入すると,その利払費である約2.4兆円が節約できているように見える。しかし,日銀がこの国債をゼロ金利が終わるt期末に約97.6兆円で売ると,利払費に相当する2.4兆円の売却損が出てしまう。
 このように債券間で金利裁定が働いている場合には,どちらの債券をオペの対象にするか,で中央銀行のキャッシュフローは変わらない。つまり,短期債対象のオペでも長期債対象のオペでも,政策としての効果は同じである。これはWallace (1981)で公開市場操作のModigliani-Miller定理と呼ばれたものである(注2)。
 さて,かりに日銀が利払費2.4兆円を納付金として政府に納めたら,どうなるか。最初に十分な自己資本がなければ,2.4兆円の国債の売却損の結果で日銀は債務超過となるだろう。債務超過になるのは,通貨発行益ではないものを,あたかも発行益のようにして政府に還流させてしまうからである。

(注1) 『新しい日本銀行-その機能と業務(増補版)』(日本銀行金融研究所編)では「貨幣」とは硬貨を指し,銀行券と硬貨を総称して現金通貨と呼んでいる。今回の記事での「貨幣」は経済学での用語法に合わせている。
(注2) 将来の金利が確実であることを前提に説明したが,不確実な場合でも,この性質が成立することがWallace (1981)で示されている。

(参考文献)
Willem H. Buiter (2007), “Seigniorage,” Economics: The Open-Access, Open-Assessment E-Journal, Vol. 1, 2007-10.
http://www.economics-ejournal.org/economics/journalarticles/2007-10

Neil Wallace (1981), “A Modigliani-Miller Theorem for Open-Market Operations,” American Economic Review, Vol. 71, No. 3, June, pp. 267-274

『新しい日本銀行-その機能と業務(増補版)』(日本銀行金融研究所編)
http://www.imes.boj.or.jp/japanese/fpf.html

(参考)
「通貨発行益とは何か」(深尾光洋)
http://www.jcer.or.jp/column/fukao/index47.html

財政法第5条(日銀の国債引き受け)について

 日銀の国債引き受けが議論になっている。これについて,「財政法第5条で国会の議決があれば可能である」といわれているが,実際の条文は,

第5条 すべて,公債の発行については,日本銀行については,日本銀行にこれを引き受けさせ,また,借入金の借入については,日本銀行からこれを借り入れてはならない。但し,特別の事由がある場合において,国会の議決を経た金額の範囲内では,この限りではない

となっている。
 第1文で,国債引き受けを原則として禁じている。理由は,政府が日銀の国債引き受けに頼り,過度のインフレが起こることを抑止するためである。同時に,放漫財政の歯止めでもある。では,第2文のただし書きは何のためにつけられているのか。小村武著『三訂版 予算と財政法』(新日本法規)は,以下のように説明している[2011年5月24日追記:同書四訂版でも同じ記述である]。

「この特別の事由については,現在,日銀が保有する公債の借換え(いわゆる乗換え)のために発行する公債の金額についてはこの要件に該当するものとして,特別会計の予算総則に限度額の規定が設けられている。これは,借換債の性質上,日銀が現に保有しているものの引き受けであり,通貨膨張の要因となるものではないからである。」

 第1文の趣旨に沿ったもので,日銀が直接引き受ける方がむしろ都合が良い事例について,ただし書きを適用する,ということである。この乗り換え額は,特別会計予算総則に書かれている。

 以下は,デフレ脱却策のひとつとして,財政法第5条ただし書きによる日銀引き受けをおこなう,という議論に対する私の意見である。
「特別の事由」が,現在の適用事例以上に広がるものかどうか。それは,第1文の趣旨に反しないかどうかで判断されることになるだろう。第1文は,政府が財政赤字を作り出す原因が賢明な結果ではないという認識に基づいた安全装置である。「なぜ財政赤字が発生するのか」でのべたように,財政赤字は賢明でない政策の結果として生じているのが,通説である。「自民党が作った財政赤字は悪い財政赤字。民主党が作る財政赤字は良い財政赤字」と現政権が主張すれば,経験的な反証材料はないのは事実だ(これも長期一党優位体制が続いたことの弊害か)。しかし,第1文の趣旨は,政権によって変わるものではなく,どのような政権にも課される普遍的ルールであるべきだと,私は思う。
 いま議論になっている事例は,日本銀行の意志に反して貨幣供給の拡大を目指すものである。さらに,「量的緩和から非伝統的金融政策へ」で議論したように,その貨幣供給の拡大に金融政策としての意味がない。これは,財政赤字が膨張し,インフレにつながる事態と形式上同じ姿をしている。つまり,第1文の趣旨に反すると考えられる。
 したがって,現在議論される事例に「特別の事由」を適用することに反対する。どうしてもやりたいなら,法律の趣旨からして第1文の改正が必要であるが,それにも反対である。

(参考)
「日銀は国債引き受けをすべきか」
http://www.iwamoto.e.u-tokyo.ac.jp/Docs/2000/NihonGinkohaKokusaiHikiukewoSubekika.PDF
データや政策への言及が古くなっているが,議論の本質は現在でもかわらない。[リンク先の移動にともない,修正しました。2011年4月1日]

(関係する過去記事)
なぜ財政赤字が発生するのか

量的緩和から非伝統的金融政策へ

量的緩和から非伝統的金融政策へ

 日本銀行が2001年から2006年までとった「量的緩和政策」は,3つの政策が複合されたものである。1つは,「時間軸政策」。金融緩和を将来にわたって続けることを表明して,長期金利を低下させることがねらいである。2つ目は,「純粋な量的緩和」。日銀当座預金額を増加させ,マネタリーベースを増加させることである。3つ目は,長期国債,社債,株式等の伝統的なオペの対象でない資産の購入である。
 日銀がとった「量的緩和政策」は,固有名詞として広く使われているが,ゼロ金利での金融政策を理論的に整理する場合は,「非伝統的金融政策」という言葉が用いられることが多い。「量的緩和」は,非伝統的金融政策のなかのひとつの政策になる。
 非伝統的金融政策の整理はまだ流動的であるが,ここではMeier (2009)に大体したがって整理する。非伝統的金融政策は,まず中央銀行の資産側に着目し,伝統的なオペ対象資産(短期国債,CP等)以外に,長期国債,社債・企業への直接融資,外貨建て資産等を購入する手段を考える。同時に通常のオペ対象資産を同額だけ売却すると,中央銀行のバランスシートは膨らまない。このことから,こうした政策は「質的緩和」と呼ばれる。企業の債券を購入する場合は「信用緩和」,外貨建て資産を購入する場合は「不胎化介入」になる。
 同額の資産売却と組み合わせない場合は,結果として中央銀行のバランスシートが膨らみ,「量的緩和」になる。別の見方をすると,「質的緩和」から伝統的な供給オペをおこなうと「量的緩和」になる。そこで,質的緩和と量的緩和の差の部分を「狭義の量的緩和」と呼んでおこう。この違いは外国資産を購入する場合が一番わかりやすく,量的緩和では「非不胎化介入」になる。企業の債券を購入する場合は区別なく「信用緩和」と呼ばれる。
 以上のことかから,質的緩和+狭義の量的緩和=量的緩和,となる。

 狭義の量的緩和政策(つまり大量の資金供給オペ)は,金利が正の場合は,金利が低下して,マネタリーベースとマネーストックは増加していく。これは,通常の貨幣需要関数の想定するところである。また,金利が正の範囲内では,貨幣と物価は長期的には安定的な関係をもつ。つまり,貨幣数量説が示唆するような「貨幣が倍になれば物価が倍」のような関係が成立する。
 日銀の「量的緩和政策」では,政策金利をゼロにまで引き上げた後に一層の金融緩和を求めて,当座預金の拡大政策をとったのだが,その背景には貨幣数量説的な効果に対する期待が幾分あったと思われる。しかし,貨幣数量説的な効果があれば物価が50%上がっても不思議でないくらいのマネタリーベースの拡大があったが,物価は一向に上がらなかった。
 これは,ゼロ金利になると,短期の金融資産が貨幣とほぼ完全代替になり,そこで短期金融資産を貨幣に置き換えても,民間主体の行動には影響を与えなくなるからである。「流動性の罠」と呼ばれる現象であり,日本の経験では,Krugman (1998)から有名になった。Eggertsson and Woodford (2003), Curdia and Woodford (2010)のような,現在の標準的なニューケインジアンモデルでも同様な性質が成立する。このことが理論的にも日本の経験からも確かめられているので,米国は「信用緩和」政策のために,マネタリーベースを大きく増やしたが,力点は狭義の量的緩和にはない。貨幣数量説的に考えて,そんなにマネタリーベースを増やせば高インフレが起こるのではないかと懸念する人もいるが,バーナンキ議長はそうはならないとわかっているから,マネタリーベースを大胆に増やしているのである。

 狭義の量的緩和は,短期金融市場に甚大な影響を与えた。銀行にとって,日々の資金過不足に合わせて,資金を運用・調達することは非常に重要な仕事である。当座預金があれだけ膨れ上がると,単に当座預金を積んでおけばよくなり,その仕事がまったくなくなってしまう。量的緩和政策の期間中は,人とディーリングルームが必要でなくなるので撤収するが,量的緩和政策が解除されると,重要な仕事がまた復活する。急にいわれてできる仕事ではないので,人材をどのように確保しておくか,量的緩和期間中に難題を抱え込む。
 それだけの代償を払って,狭義の量的緩和に何の効果があったのか。量的緩和政策の効果を分析した研究を展望した鵜飼(2006)によれば,当座預金が増えることで,民間部門が保有する資産の構成が変わり,それが企業の資金調達に好影響を与えたという結果を得ている研究と,そうではないという研究がある,とされている。つまり,明確に強い効果がないということである(日銀の「量的緩和政策」全体の評価ではなく,「狭義の量的緩和」政策だけをいまは取り上げている)。この効果は,短期金融市場で起こったことが社債市場に波及していくという,ずいぶんと迂遠な経路をたどっている。それによって短期金融市場に大きな混乱が生じるのであれば,直接に信用緩和政策をとればよいのではないか,というのが自然な考え方である。
 つまり,より効果が直接的で副作用の少ない治療法があることがわかったので,まずはそちらを使用すればよいことになる。
 これが現在,狭義の量的緩和自体を目的とした政策が重きを置かれていない理由である。

(注)
「狭義の量的緩和」は個人的には「純粋な量的緩和」と呼びたいが,Meier (2009)が違った政策を指して使っているので,ここでは避けることにする。

(参考文献)
Vasco Curdia and Michael Woodford (2009), “Conventional and Unconventional Monetary Policy,” mimeo.

Gauti B. Eggertsson and Michael Woodford (2003), “The Zero Bound on Interest Rates and Optimal Monetary Policy,” Brookings Papers on Economic Activity, 1, pp. 139-211.

Paul R. Krugman (1998), “It’s Baaack: Japan’s Slump and the Return of the Liquidity Trap,” Brookings Papers on Economic Activity, 2, pp. 137-187.

Andre Meier (2009), “Panacea, Curse, or Nonevent? Unconventional Monetary Policy in the United Kingdom,” IMF Working Paper 09/163.

鵜飼博史(2006),「量的緩和政策の効果:実証研究のサーベイ」,『金融研究』,第25巻第3号,10月,1-45頁

(関係する過去記事)
リフレ政策」に対する私見(とりあえずのまとめ)

[2010年8月17日追記]
 量的緩和政策が短期金融市場に与える影響については,「『市場機能論』は成立するか?」も参照されたい。

TCERセミナー「財政健全化と歳入改革」

 25日に東京経済研究センター主催のセミナーで,「財政健全化と歳入改革」と題した講演をおこないました。

 この日は2個所で,21日に国際通貨基金(IMF)が発表した声明にある「2011年に消費税引き上げ,10年後には消費税率15%」をどう思うか,という質問を受けました。私の回答は,
(1)景気状況を踏まえると来年の消費税引き上げは難しいと思うが,3年後(次期衆院選後)から議論するのでは遅い。また,市場の信認を得るため,財政収支の改善が図られる中期的な見通しを,早急に政府としてまとめる必要がある。
(2)将来は幅をもって見なければいけないが,10年後の消費税率15%は,あり得るシナリオのなかでの税率の上限になると思う。その後の高齢化の進展で消費税率のピークはもっと高くなるだろう。
というものです。
 持続可能な財政のために必要な財政収支改善額と将来の消費税率については,以前から研究していましたが,現在の状況に即した推計はしていません。これは昨年の衆院選での民主党のマニフェストがどのように実現されるのかの見通しが皆目たたないためです。現政権の財政運営が大きなノイズになっている状態は問題であり,早急に中期の財政見通しを明らかにして欲しいと思います。

(参考)
東京経済研究センター
http://www.tcer.or.jp/

2010 Article IV Consultation Concluding Statement of the IMF Mission (IMF,2010年5月21日)
http://www.imf.org/external/np/ms/2010/051910.htm

Japan-Taiwan Workshop on Public Economics

 7日に台北の中華研究院経済研究所で開催されたJapan-Taiwan Workshop on Public Economicsに出席し,Yu-Bong Lai先生の報告の予定討論者を務めました。
 日本と台湾の財政学者のグループの交流を深める目的の研究会でした。

 台湾は17年ぶり2度目。前回が相当昔のため(老化も進行して?)記憶が薄くなっていて,実体験の比較で台湾の経済発展を実感することはできませんでした。

(参考)
台日公共經濟學研討會
http://www.econ.sinica.edu.tw/Japan_Taiwan_Workshop_on_Public_Economics/index_en1.php?lang=en
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