岩本康志のブログ

経済,財政の話題を折に触れて取り上げます。

2010年08月

Yahoo! ブログから引っ越しました。

中央銀行の力

 金融政策の通常のオペは,利子を生む資産と利子のない貨幣を取引することで,民間部門の資産構成を変化させて,経済に影響を与える。短期金利がゼロまで低下してしまうと,通常のオペ対象資産(短期の安全資産)と貨幣の違いがなくなり,オペの効果がなくなってしまう。そこで,長期国債,社債等の資産を中央銀行が買うことで,経済に影響を与えようというのが,非伝統的金融政策のひとつの手段である。
 しかし,「金融政策と財政政策の間(その2)」で説明したように,このような手段は中央銀行のバランスシートにリスクを抱えることになり,財政政策となる。中央銀行は国会の関与がないまま,財政政策を大々的に展開することには躊躇して,リスクの程度が小さい資産を少量買うことに留まっている。しかし,そうすることで発現する効果も弱くなる。これに対して,かつてのゼロ金利・量的緩和政策がとられた時期には,日銀に対して,「もっと大胆に資産を買え」という批判があった。
「日銀は何でも買え」とも言われたが,議論が白熱したなかで飛び出した言葉なので,これはまじめな政策提言として考えるべきものではない。
 しかし,売り言葉に買い言葉,で「本当に何でも買っていいんだな」と日銀が言ったら何が起こるか考えてみよう。
 その場合,デフレ脱却はできる。私が見て,ほぼ確実にできると考えられるアイデアは,植田和男・東京大学教授著『ゼロ金利との闘い』(日本経済新聞出版社)の181頁に書かれている。植田教授は「経済に影響を与えるというところまではいえそうである」と控え目な表現をしているが,私はまず大丈夫だと思う。以下,私流に少しアレンジして,その方法を説明しよう。
 現在,東証上場企業の時価総額は約300兆円である。150兆円あれば,この全企業の半数の株式を取得できる。日銀が150兆円の購入資金を作り出すことは「いともたやすい」。日銀当座預金の数字を増やすだけで,購入代金の支払いができるからだ。日銀がそれだけ株を買うと株価も上がるかもしれない。それによってかりに200兆円必要となるなら,200兆円の資金を作り出すことも,いともたやすい。
 こうして日銀が東証上場全企業の支配株主となったとする。支配株主として全社に商品を毎年1%ずつ値上げしろと命令すれば,1%のインフレが起こる。2%でも,3%でも同じこと。正確には,日銀が指標とする消費者物価指数(CPI)に入らない会社もあるので,株を買う企業を選んだほうがいいかもしれない。
 なぜ東証上場全企業の株を購入するかというと別の思惑がある。この手段をとるなら,インフレだけ起こすのは筋が悪い。最終的には実体経済が良くなることが目的だ。いま日銀は支配株主の力を手に入れたのだから,インフレを経由するという回りくどいことをせず,直接に実体経済に働きかけることができる。そこで,支配株主として「リスクを恐れるな。積極的に投資,増産をせよ。雇用を増やせ」と檄を飛ばす。かりに1社だけ買収して同じことをしても,顧客の購買力は変わらないから,積極的な経営戦略は裏目に出る。全体に号令をかけることで,経済全体の購買力が高まるのでうまくいく。すると景気は上向いて,デフレも解消されるだろう。念のため,値上げも命令しておこう。
 また,特定の会社の株を買うと不公平な政策になるが,公平にすべての公開会社の株を買えば,そういう批判は避けられる。

「何を馬鹿な話をしているのだ」と読者は激高されるかもしれないが,もともと売り言葉に買い言葉で議論をエスカレートさせたものなので,ご容赦願いたい。ここは落ち着いていただいて,中央銀行に「何をしていい」というと,じつは中央銀行はとてつもない力をもっていることに気づいていただきたいのである。そして,どんな手段を使ってもいいからデフレを脱却しろ,できなければ総裁はクビだ,ということになると,こういうとんでもないことが起きてしまう可能性がある。
 先日,Twitter上で,土居丈朗・慶應義塾大学教授と日銀総裁のインセンティブについて議論した(池尾和人・慶応義塾大学教授も交えてのものだが,その様子は,「池尾先生、岩本先生、土居先生のツイッター談義『日銀について』」にまとめられている)。
 土居教授の発言は,「デフレ止めなくても高給貰える日銀総裁ではコミットメントが弱い。適切にデフレを止めると高給貰えるよう、政府と日銀総裁とで最適契約を結び(説明責任)政策実施には政府は口を出さない(独立性)関係が必要」,「例えば、1年後に消費者物価上昇率を1%以上にできなければ解雇できれば3000万円とか。これで、そんなの「できない」と言うなら、端からできないと思う方よりもできると思う人を雇った方がよい。でも、できるかできないかは結果次第。」というもの。
 金融政策のことがよくわかっている人間が,土居教授の提案による契約に基づいて,日銀総裁に就任したらどうなるか。
 金融政策には政策の発動から経済に影響が出るまでに時間がかかる(効果ラグ)から,1年以内に成果を出せといわれているときに,穏健な政策から順に試していく方法では,すぐにクビになってしまう。強力な政策を即座に繰り出すことで何とかするしかない。したがって,「パウエル・ドクトリン」を拝借して,圧倒的な戦力を投入して,短期間で勝利に導く戦略を採用することになるだろう(注1)。だとすれば,東証全企業買収案はもっとも現実的な選択肢となっても不思議ではない。

 中央銀行にあらゆる手段の独立性を無配慮に与えると,上のような問題が起こる。中央銀行の業務に制約条件を課すことは決定的に重要である。
 では,現状ではどのような制約条件によって,東証全企業買収案を防ぐことになっているのか。まず,日銀法43条によって,日銀は原則として日銀法に規定した業務しかしてはいけないことになっている。そして,現行法では日銀は株式を購入できない。ただし例外として財務大臣と総理大臣の許可があれば,日銀法で規定されていない業務をおこなうことは可能である。実際,過去に日銀が銀行保有株式を取得する際に,43条の規定が使われた。
 政府は,東証全企業買収案を許可しないだろう。なので,そこで実行は不可能になる...かどうか。金融技術は日進月歩である。日銀が直接株式を保有することはできないが,例えば,株の買収を目的とした投資ビークルを作り,そこが出す債券を日銀が購入することで,投資ビークルに資金供給したらどうなるか(注2)。法律の趣旨には反するのは明白だが,法律の条文をかいくぐり,何か突破口が見つかるかもしれない。『バーナンキは正しかったか?』(日本経済新聞社)では,米連邦準備制度(FRB)がこれまで想定していなかった資金供給の手段を法律の条文を漁り,知恵を振り絞って,実行してきた経緯が書かれている。バーナンキ議長は,「できることは何でもやる」という決意のもと,敢然とこの難題に取り組んだ。それと同じことを日銀がしようとすれば,43条を突破できるかもしれない。法律をかいくぐれるかという,難しい話なので,ここでは結論は出さないでおこう。そして,かりに43条が歯止めにならないとしたら,他に歯止めはあるかどうかを考えよう(注3)。
 幸い,日銀法にはそれを止める規定がある。日銀法2条
「日本銀行は、通貨及び金融の調節を行うに当たっては、物価の安定を図ることを通じて国民経済の健全な発展に資することをもって、その理念とする。」
である。金融政策の結果によって健全な発展が妨げられることは,この理念に反する。かりにデフレから脱却できるとしても,日銀がほとんどの大企業を支配する経済の姿など,誰も健全と思わないだろう。これはもはや金融政策でも財政政策でもない。FRBは金融システムの安定化のために奮闘したのであり,これとの決定的な違いは,政策によって実現された経済の姿が健全なものかどうかにある。

「国民経済の健全な発展に資する」に類する文言は,いろいろな法律に現れてくる。一種,曖昧な表現であるが,具体的に記述できない政策へのタガをはめる目的で利用されている。それが便利であるということだが,同時に裁量的に解釈されてしまう可能性もある。日銀の実行する政策を正当化するために,自由自在に解釈されても困る。インフレ・ターゲッティングは,そのようなせめぎ合いのなかで,政策の透明性を確保して,無用な裁量の余地を減じるものである。しかし,中央銀行のとてつもない力を一種曖昧な制約条件で留めている,という骨格を忘れてしまって,ひたすら物価の安定のインセンティブを強めれば物価の安定が実現すると考えてしまうのは危険なことだ。
 金利の上げ下げで金融政策が実行されているとき(伝統的な金融政策の範囲内)では,手段を日銀にまかせることで支障ないが,金利が政策変数として使えないゼロ金利の現在は,どのような手段をとるのか自体が問題である。具体的な手段の効果と費用を勘案して決めていかなければいけない。そして,いま問題なのは,穏当な手段の効果が即座にデフレを脱却できるほどの力をもたないことなのだ。

(注1) 「パウエル・ドクトリン」の重要な要素は,出口戦略が明確であること。東証全企業買収案では,景気が良くなれば,日銀は円滑に株式を売却して撤退するできるものとしておくが,現実は難しくなるかもしれない。
(注2:技術的) 投資ビークルへの日銀からの融資は固定金利になると思われるので,投資ビークルがエクイティ・スワップによって株式のキャッシュフローを固定金利に変換すれば,投資ビークルのキャシュフローのリスクを無くすことも可能になる。エクイティ・スワップの存在は株式の議決権とキャッシュフローをアンバンドルすることを可能にしているが,東証全企業買収案で欲しいのは議決権なので,空の議決権(エンプティ・ボーティング)が流通していれば,それを購入してもよい。
(注3) 民主党のデフレ脱却議連が7月30日に財務省に申し入れをおこなった政策提言は,場合によっては株式もオペ対象と購入すべきであるとしているので,今後の政権の考え方次第では43条が歯止めにならない可能性もある。

(参考)
「池尾先生、岩本先生、土居先生のツイッター談義『日銀について』」
http://togetter.com/li/33425

「デフレ脱却議員連盟の新たな政策提言」(金子洋一)
http://blog.guts-kaneko.com/2010/07/post_530.php



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ゼロ金利との闘い
非伝統的金融政策を考えるための基本書

「市場機能論」は成立するか?

 7月22日のバーナンキ米連邦準備理事会議長の議会証言で,「市場機能論」と呼ばれる発言が飛び出した。ロイターの記事「準備預金金利引き下げ、市場機能にとってリスク=米FRB議長」(http://jp.reuters.com/article/businessNews/idJPJAPAN-16403420100722 )は,

 貸し出し状況が低迷しているにもかかわらず、FRBはなぜ0.25%の付利を続けるのかとの質問に対し、「(同金利を)ゼロまで持っていかない理由は、フェデラルファンド(FF)金利市場など短期金融市場が適切に機能し続けることを望むからだ」と述べた。
 さらに「もし金利がゼロに向かえば、金融システムにおいてフェデラルファンドや翌日物の資金を売買するインセンティブがなくなってしまう。市場が停止すれば、短期金利の管理は一段と困難になるだろう」と語った。

と報道した。
 現在の日本銀行の政策金利は0.1%,米連邦準備制度(FRB)は0.25%,英国銀行は0.5%となっており,本当にゼロに張り付いているわけではなく,事実上のゼロ金利政策と呼ばれている。ここに,かつての日銀のゼロ金利・量的緩和政策との違いがある。日本も,超過準備に0.1%の利子がつくので,資金余剰の銀行はそれ以下の金利で他銀行に資金提供するくらいなら超過準備をもつので,銀行間市場で0.1%以下の金利がつくことはない。この意味で政策金利の下限となっている(実際には,日銀に当座預金をもたない金融機関が市場に参加しているため,市場金利が0.1%を若干割り込むことはある)。
 かつてわが国で量的緩和政策がとられていたときに,銀行はどこも十分な資金をもち,短期資金の銀行間市場がほぼ消滅してしまった。このことを量的緩和政策の弊害だとする指摘が「市場機能論」と呼ばれる。しかし,市場機能が損なわれる費用は微小なもので,日銀がこのようなことを主張するのは,短資会社への天下りを確保するためだろうという批判がある。
 バーナンキ議長は,準備預金金利を引き下げない理由で,この市場機能論に言及した。単に,政策金利を0.1ポイント下げるか否かの判断であれば,市場機能論は下げる判断を止めるものとはならないだろう。
 バーナンキ議長の発言をどう受け止めればいいのだろうか。また,市場機能論は正当なのだろうか。3つの視点から検討していこう。

(1)
 バーナンキ議長の議会証言では,追加的緩和策として3つの選択肢をあげていたので,ここで念頭に置いているのは,選択肢を比較するための材料だ。つまり考えているのは,事実上のゼロ金利政策のつぎの金融緩和手段が,本当のゼロ金利政策になるのか,それとも他の非伝統的金融政策の手段になるのか,の選択である。かりに各選択肢の他の効果が同じだとすると,市場機能論による費用がごく微小なものでも,それが本当のゼロ金利政策を避ける理由になる状況は考えられる(今回の発言がそうした状況になったかどうかは定かでないが)。
 なお,私は,「量的緩和から非伝統的金融政策へ」で量的緩和政策を実行するかの是非について触れた。単純な量的緩和の経済効果がポートフォリオ・リバランス効果であるとすれば,その効果を直接的に発揮できて,市場機能が失われる費用のない選択肢の方が効果と費用の両方の面で優越しているのではないか,という趣旨のことをのべた(注1)。この議論も,非伝統的な金融政策手段間の選択の判断材料としている点で共通した性格をもつ。

(2)
 他の非伝統的金融政策手段との比較ではなく,本当のゼロ金利政策に移るかどうかの選択ではどうなるか。0.1ポイントの利下げの効果はわずかだとしても,マクロ経済への影響だけに,短期金融市場の機能が消滅する費用を上回るとは考えにくい。しかし,現在のところ,後者の費用が前者の効果と比較できるようには,定量的につかめていない。このため,具体的な数値がないと,利下げによって「わずかな効果」を得るよりは市場機能が「消滅する費用」を避ける,という言い回しに思わず納得してしまいそうになる。
 金融緩和の効果と市場機能の効果は質的に異なるものであることから,量的な評価が曖昧であると,片方の利益を優先させることが政治的に困難である,という可能性がある。市場関係者は,市場機能破壊の費用の方を重視するだろう。短期金利は中央銀行が決定するが,それを起点に金利体系を作るのは市場の仕事である。非伝統的金融政策は,中央銀行が様々な資産を購入することで,金利体系を歪める働きをする。金融危機が原因で金利体系が歪んでいたときに,非伝統的金融政策がそれを正す方向に働くことには説得力がある。しかし,金融市場が健全であれば,金利体系を正しくない方向に歪めることになるので,反発が強まるだろう(注2)。
 以上の2つの考え方では,市場機能論による費用を定量的に計測することが,より良い金融政策を選ぶことに大いに貢献することになると考えられる。

(3)
(これは私の考えでは可能性は低いと思われるが)上にのべた日銀批判がFRBにも該当するのかもしれない。つまり,FRBの天下り先を確保するために,本当のゼロ金利政策への移行を渋っているというのが,バーナンキ議長の発言の裏にあるということである(注3)。天下り先確保まではいかなくても,金融市場の関係者の利害をマクロ経済の利害よりも優先している,ということかもしれない。もしそうだとしたら,市場機能論は日銀の病ではなく,中央銀行に広がる病かもしれない。このときは,日銀の問題をいかに直すかが,非常に難しくなる。
 まず,FRBと日銀は同じ穴のムジナなので,FRBをお手本にして,解決策を考えることができない。本当のゼロ金利政策をとらないで低金利のままでいる他の国の中央銀行もお手本にならなくなる。
 外国をお手本とせずに自力で解決策を考えるときにも,バーナンキ議長の発言は難しい問題を投げかけている。バーナンキ議長は,2002年にFRB理事に就任するまでずっと大学で研究を続けてきた人物で,中央銀行でも金融業界でも働いた経験はなかった。中央銀行総裁適任者のなかで中央銀行と金融業界からもっとも縁遠い人物が,就任から8年で天下り擁護の発言をする羽目になったわけだ。問題は根深いところにあり,日銀OBを日銀総裁としないような手段では解決しないかもしれない。どうすればいいのだろうか(これは私の立場ではないので,私が考える必要はないが)。

(注1) そのブログ記事では「狭義の量的緩和は,短期金融市場に甚大な影響を与えた」と表現してしまったが,念頭にあったのは,狭義の量的緩和自体に効果がないこととの比較と,金融市場にとっての影響であった。しかし,利下げの効果と比較しても甚大な影響をもつとも受け止められる書き方であったので,誤解を招く表現だったことをお詫びしたい。今回のブログ記事が,市場機能論が主張する費用の大きさに関する私の見解である。

(注2) もともと,ゼロ金利制約で短期金利の決定自体が歪んでいるので,他の市場にも歪みを生じさせることで経済全体の損失が小さくなる理論的な可能性がある(セカンドベストの理論と呼ばれる)のだが,非伝統的金融政策の文脈ではあまり認知されていないようである。

(注3) トップが天下りである日本の短資会社のような存在は米国にはない(浜田宏一・若田部昌澄・勝間和代著『伝説の教授に学べ!』東洋経済新報社,16頁)。このため,天下り先確保のための口実として市場機能論を持ち出すのは日銀だけという考え方もあり得る。その場合は,同様の発言の真意が日米でなぜ違うのかの説明が求められる。

(参考)
「準備預金金利引き下げ、市場機能にとってリスク=米FRB議長」(ロイター)
http://jp.reuters.com/article/businessNews/idJPJAPAN-16403420100722

(関係する過去記事)
『リフレ政策』に対する私見(とりあえずのまとめ)

量的緩和から非伝統的金融政策へ

物価安定目標の法制化がもたらす「物価安定目標の不安定化」

 デフレ脱却策のひとつとして,物価安定目標の法制化,が議論されている。
 日本銀行法2条は,「日本銀行は、通貨及び金融の調節を行うに当たっては、物価の安定を図ることを通じて国民経済の健全な発展に資することをもって、その理念とする」と規定している。
 この条文中の「物価の安定」が何を指すのかが明確ではなかったため,政策運営が不透明であるという批判が長らくされている。日銀法上の「物価の安定」の意味を明確にし,具体的に数値化することが必要であり,それは政府から与えられるべきものである。そういう明文規定がないことから,日銀法を改正して,物価安定目標を法制化しようという意見がある。
 きわめてもっともな意見ではあるが,現状では政府側の「物価の安定」についての考え方がまとまっておらず,政府側の体制整備がないまま物価安定目標の法制化を急いだ場合,物価安定目標の不安定化が起こるかもしれない。

 現在,物価安定目標に近いものは,日本銀行が2006年3月にまとめた「『物価の安定』についての考え方」のなかで示された「中長期的な物価安定の理解」(中長期的にみて物価が安定していると各政策委員が理解する物価上昇率)であり,

「消費者物価指数の前年比で表現すると、0~2%程度であれば、各委員の『中長期的な物価安定の理解』の範囲と大きくは異ならないとの見方で一致した。また、委員の中心値は、大勢として、概ね1%の前後で分散していた。」

となっていた。
 原則としてほぼ1年ごとに点検することになっており,毎年4月の「物価展望レポート」に点検結果が記されている。また,2009年12月には,「『中長期的な物価安定の理解』の明確化」で,

「消費者物価指数の前年比で2%以下のプラスの領域にあり、委員の大勢は1%程度を中心と考えている」

と表現が変わり,2010年4月の「物価展望レポート」では,この文言が継承されている。

「中長期的な物価安定の理解」は,日本銀行で作られたものである。
 政府側が物価安定の目標を決めて,政府と日銀の協定のなかにそれを組み込む形式に移行する場合,政府側の体制を十分に整備する必要がある。
 物価安定目標については,おもに政治家の発言によって関心が高まる。最近では,鳩山政権時の菅直人財務相の発言があったが,発言以上の形で政府の見解としてまとまっていくことはなかった。こうした「前例」を踏襲したまま物価安定目標が法制化されると,ときの財務大臣がぽんと数字を発言すれば,それがそのまま目標になってしまうかもしれない。政治家の考えも様々で,ある人は高目のインフレがいいと思い,ある人はインフレを嫌うということがあるだろう。そうすると,ときの財務大臣の考え方次第で目標も変わってしまうかもしれない。物価安定の目標が不安定に変動するようになったら,笑い話にもならない。
 政府側でしっかり検討する体制を作って,現在の日銀が公開しているものと同等か,それ以上の形で,その考え方を説明することが必要であろう。
 しかし,政府内でしっかり調整すればいいか,といえば,現状ではそう一筋縄ではいかない。
 政治家個人の発言ではなく,政府内で調整されたもので,政府側の物価安定目標に相当するのは,6月に閣議決定された「財政運営戦略」と同時に発表され,内閣府が作成した「経済財政の中長期試算」に示された数値である。この試算は2023年度までの経済変数の予測が示されているが,2023年度のCPI成長率は,「慎重シナリオ」では1.2%,「成長戦略シナリオ」で1.8%となっている。これに類似する資料は,自公政権のもとでは1月に発表されるのが恒例だったが,最も新しい(2009年1月)「経済財政の中長期方針と10年展望 比較試算」では,2018年度のCPI成長率が2.3%であり,シナリオによって1.3%~2.8%に分布している。
 この種の試算が出されるときに,将来の成長率を高目に見積もるのか,控え目に見積もるのかは,いつも激しい議論になる。最近では,財政再建派と上げ潮派の対立が記憶に新しい。経済の先行きが不透明な場合には,複数のシナリオを念頭に政策運営をしていくことが望ましいが,基準ケースはそのときの政権の考え方によって設定される。今年は堅実なシナリオを選択しているが,それ以前は楽観的な設定がとられることもあった。そして,この成長率の設定がインフレ率の設定と連動している。
 政治家を含んだ政府側の動きをかなり単純化して整理すると,長期的なCPI成長率を1%程度と考える「堅実路線」と,2%程度と考える「成長路線」の間で基準ケースを奪い合う争いが続けられている。「望ましいインフレ率」で説明した通り,どちらかがはっきり望ましいという根拠はない。政府のなかでも決着がついておらず,基準ケースはどちらかになるが,両論併記の形でシナリオが作られている。
 したがって,現状のままで進めば,政府内できちんと調整をして物価安定目標を決定したとしても,そのときの勢力争いの結果で揺れ動く可能性があり,その結果,物価安定目標が不安定化してしまう(注1)。
 物価安定目標の効能のひとつは,民間部門が将来の物価について安定した見通しをもてるようになり,経済活動を阻害する不確実性を減らすことにある。物価安定目標を法制化していない現状は,政府側の路線対立を表に出さないことで,結果的に将来の物価の見通しに対する不確実性を減じる働きをしている。
 もちろん,こうした現状が望ましい姿ではないことは事実であるが,拙速な法制化は,現状で「不明確」であるものを「明確に不安定化」することになる(注2)。まず必要なことは,目標とするインフレ率について,政府内の意見の幅を狭くすることである。
 まずテブレをとめよ(注3)。

(注1) 1~2%の範囲として設定すれば,2つの路線が共存できるかもしれないが,中心はどこかを詰め始めると,路線の対立は顕わになる。

(注2) 日銀内の意見が1%で一枚岩ということでは必ずしもない。政策委員の多数の意見で決まるのならば,2%程度が望ましいという意見が多くなれば,そちらに変更になるだろう。ただし,任期5年の委員の多数の意見が反映するのであれば,意見が揺れる度合いは政府よりも少なくなるだろう。

(注3) これは,金融政策の目標がぶれることを指して,知人の財政学者が名づけた言葉である。

(参考)
「『物価の安定』についての考え方」(日本銀行,2006年3月10日)
http://www.boj.or.jp/type/release/zuiji_new/mpo0603a.htm

「『中長期的な物価安定の理解』の明確化」(日本銀行,2009年12月18日)
http://www.boj.or.jp/type/release/adhoc09/un0912c.pdf

「経済財政の中長期試算」(内閣府・2010年6月22日)
http://www5.cao.go.jp/keizai3/econome/h22chuuchouki.pdf

「経済財政の中長期方針と10年展望 比較試算」(内閣府・2009年1月16日)
http://www5.cao.go.jp/keizai-shimon/minutes/2009/0116/item2.pdf

(関係する過去記事)
『リフレ政策』に対する私見(とりあえずのまとめ)

望ましいインフレ率

望ましいインフレ率

 中央銀行に物価安定目標を課すとして[2010年8月11日追記:「中央銀行は物価の安定を目的とするが」を修正しました],どの水準のインフレ率に誘導するのが望ましいのか。現在の日銀は物価安定目標をもたないが,「中長期的な物価安定の理解」(中長期的にみて物価が安定していると各政策委員が理解する物価上昇率)を,「消費者物価指数の前年比で2%以下のプラスの領域にあり、委員の大勢は1%程度を中心と考えている」(「経済・物価情勢の展望(展望レポート)」,2010年4月)。先進国の大勢は,範囲では1~3%であり,1つの値としては2%である。
 1%と2%のどちらがいいのか。

 望ましい(中長期的に安定した)インフレ率に関する最近までの研究動向をまとめたSchmitt-Grohe and Uribe (2009)は,先進国で実際に採用されている2%の目標を望ましいとする理論的な根拠はなく,望ましいインフレ率は0%付近としている。主な論点は以下の通りである。
(1)価格が伸縮的な場合,ゼロ金利・デフレが望ましい(フリードマン・ルール,あるいはシカゴ・ルールと呼ばれる)。
(2)価格調整に費用がかかる場合,物価は変動しないのが望ましい。
(3)物価指数統計のバイアスは,価格が硬直的な財のみに注目すべきである。
(4)ゼロ金利制約にかかる事態を減らすために,若干の正のインフレ率とすべきである。
その他にも多様な論点が経済学的に議論されているが,詳細は上記論文に譲る。
 これらの論点を解説すると,まず(1)は,貨幣保有の機会費用(利子を生む資産ではなく貨幣を保有することで失われている金利収入)に着目している。貨幣を保有するのは,この機会費用を払って貨幣によるサービスを享受するためである。金利を操作できる中央銀行は,この機会費用をゼロにして貨幣サービスを供給することができ,そうすることが望ましい,という考え方である。(2)は,金融政策の変化で価格が調整されなければいけない事態が生じることは,経済にとって費用といえる。外的要因がなければ物価が動かないように,金融政策を運営することが望ましいことになる。
 現実の経済では価格が伸縮的な市場と価格が硬直的な市場が混在しているので,(1)と(2)を同時に選べないが,この2つの論点からは,望ましいインフレ率は正にはならないことがいえる。
 中央銀行は伸縮的な価格を安定化させる必要はない。安定化を図ることは,逆に価格メカニズムを阻害して,効率的な資源配分の達成を妨げる。硬直的な価格だけに着目して,その安定化を目指すべきである。したがって,中央銀行は価格変動の激しい品目を除いた物価指数に着目するのがよいとされる。そこから(3)が導かれる。
(4)の理由で大きなインフレ率が必要でないのは,ゼロ金利制約にかかりそうな深刻なショックの場合は,早期に大規模な金融緩和をすれば,ゼロ金利制約にかかる事態を減らせるという見解が,現在の研究の主流になっているからである。
 経済理論は世界共通でも,各国の事情が考慮されることがある。米ドルは国外での流通量が非常に大きく,外国人が払うインフレ税が米国民の利益になるため,米国の望ましいインフレ率が高くなる。また,ユーロ圏では国ごとの物価変動の違いによって,デフレになる国が出ることを避けるという,ユーロ圏特有の事情もある。物価指数のバイアスも各国の事情を考慮する必要があるだろう。
(1)と(2)の理論構成は,これから大きく転換することはなさそうに思われる。(3)の理論構成も同様であるが,その数量的な影響は,時期と国によって変わるだろう。
 今後に見解が変わる可能性もあるのは(4)であり,ゼロ金利制約に直面する国が増えてきたことから,新しい研究が進んでいくかもしれない。例えば,Blanchard, Dell’Ariccia and Mauro (2010)は,ゼロ金利とデフレの深刻さに配慮して,物価安定目標を4%に設定してはどうか,という問題提起をして,話題になったところである(問題提起であって,Schmitt-Grohe and Uribe, 2009のまとめが主流の見解といえる)。

 物価安定目標を判断する基準としては,経済理論と実際の運用経験が考えられる。
 世界標準の2%は,Schmitt-Grohe and Uribe (2009)にしたがえば,経済理論による正当性を欠く。現在これを正当化する根拠は,実際の運用でこれまでうまくいっているから,というものである。4%の提言に対して,ほぼ世界の中央銀行が拒否反応を示したが,その理由も同様に,現状でうまくいっているから,というものである。こういう運用の「保守的」要素は,実際の物価安定目標の選択に大きな影響をもっているといえる。
 日本が2%を選択する場合は1%からの変更になるので,保守的要素からの支持がなくなる。強いて言えば,「外国でうまくいっているから」という理由になる。
 日銀がとる1%については,「『物価の安定』についての考え方」で示されているように,上の(2)から(4)までを考慮に入れている。経済理論による正当性は,2%よりは高そうである。また,他の国より低めの理由については,最近時(1985~2005年,あるいはデフレ期をのぞく1985~1997年)のインフレ率が他国よりも低く,「経済活動にかかる意思決定はそうした低い物価上昇率を前提として行われている可能性がある」と指摘している。しかし,この論理構成は現状追認であり,デフレが続く現在ではデフレ追認になりかねない。さすがにそれはまずいので,「『中長期的な物価安定の理解』の明確化」では,デフレは許容していないことが明確にされている。しかし,デフレが続く日本では物価安定目標としてはうまくいっていないので,実際の運用経験を根拠とした正当化はしづらい。
 1%も2%も,はっきりと望ましいと断定できる根拠はなさそうである。私の個人的な意見としては,強いて言えば1%の方が望ましいだろうか(注)。しかし,はっきりと決着をつけるのは難しそうである。

(注) 個人的な意見では,範囲で考えるならば1~2%になる。指標とする物価指数は,消費者物価指数(食料(酒類を除く)及びエネルギーを除く)である。[2011年9月6日追記:「個人的に」の誤字を修正]

(参考文献)
Olivier Blanchard, Giovanni Dell’Ariccia, and Paolo Mauro (2010), “Rethinking Macroeconomic Policy.”
http://www.imf.org/external/pubs/ft/spn/2010/spn1003.pdf

Paul R. Krugman (1998), “It’s Baaack: Japan’s Slump and the Return of the Liquidity Trap,” Brookings Paper on Economic Activity, No. 2, pp. 137-187.

Stephanie Schmitt-Grohe and Martin Uribe (2009), “The Optimal Rate of Inflation.”
http://www.ecb.europa.eu/events/pdf/conferences/monetaryeconomics/item1_paper.pdf?592c4e0302a6a2e3b1f6d45dda08356b

(参考)
「『物価の安定』についての考え方」(日本銀行,2006年3月10日)
http://www.boj.or.jp/type/release/zuiji_new/mpo0603a.htm

「『中長期的な物価安定の理解』の明確化」(日本銀行,2009年12月)
http://www.boj.or.jp/type/release/adhoc09/un0912c.pdf

「経済・物価情勢の展望(展望レポート)」(日本銀行)
http://www.boj.or.jp/theme/seisaku/sakiyuki/tenbo/index.htm

(関係する過去記事)
『リフレ政策』に対する私見(とりあえずのまとめ)

(関係する記事)
物価安定目標の法制化がもたらす『物価安定目標の不安定化』

誰が「後期高齢者医療制度」と名づけたか

 6日に,Twitterで山井和則厚生労働政務官が,以下のように呟かれていた。

「後期高齢者医療制度の公聴会。長妻大臣は、「後期高齢者医療制度を導入する際の議論では、後期高齢者という言葉がおかしい!という批判も全くなかったという。団体間の利害調整が制度づくりの中心になり、当事者の方々や国民の声が反映されていなかった。そこで、この夏、五回の公聴会を開催」と挨拶。」

 私は,後期高齢者医療制度導入の議論をした社会保障審議会医療保険部会に臨時委員として参加していたので,その場ではどのような議論がされていたかをお伝えしたい。結論からいえば,審議会には名称は諮られなかったので,制度名がおかしい,という批判は出ようがなかった。

 時間の経緯をたどると,2003年7月に医療保険部会(以下「審議会」と呼ぶ)が発足する前の3月に閣議決定された「基本方針」で,高齢者医療制度については,

「後期高齢者については、加入者の保険料、国保及び被用者保険からの支援並びに公費により賄う新たな制度に加入する。」
「前期高齢者については、国保又は被用者保険に加入することとするが、制度間の前期高齢者の偏在による医療費負担の不均衡を調整し、制度の安定性と公平性を確保する。その際、給付の在り方等についても検討する。」

と決められた。後期高齢者を区分する現行制度の骨格はここで決定されており,審議会の役割は,基本方針を肉付けしていくこと(最大の課題は,新しい高齢者医療制度の保険者をどうするのか)にあった。審議会は2005年11月に意見書をまとめたが,そこでは「後期高齢者医療制度」と「前期高齢者医療制度」のそれぞれのあり方が記されている。
 意見書に至る審議の過程で,やがて発足する制度の一般的呼称として「後期高齢者医療制度」がずっと使われていたが,これがそのまま実際の制度名になるとは,少なくとも私は意識していなかったし,同じ認識の委員も多かったのではないかと思う。制度の具体的名称は審議会の議題ではなかった。このような事情は,名称がつかなかった前期高齢者医療制度が並列で書かれていることや,政管健保は「国とは切り離された全国単位の公法人において運営」と書かれ,公法人の具体的名称はない(こちらも具体的名称の審議はなかった)ことからもわかる。
 審議会が意見書をまとめた後,医療制度改革法案が作成されるまでの間に,具体的名称が決まったことになる。政管健保の後継組織の公法人には全国健康保険協会という名称がつけられたが,後期高齢者医療制度は意見書での呼称がそのまま実際の制度名として使われた。その経過が審議会に報告されることはなかったので,今回の記事のタイトルとした「誰が名づけたか」の詳細は,私は知らない。審議会に諮られていないので,名称はおかしい,という声はそもそも出せない。
 審議会が名称を審議することはなくても,当事者に配慮して名称に「後期高齢者」を入れるな,という意見を表明しておけばよかった,という批判はあるかもしれない。私がそこに思い至らなかった点は反省したい。しかし,審議会が無神経に,後期高齢者医療制度という名称を容認したというわけではない。

 審議会が制度名に後期高齢者を使う意識はなかったとしても,なぜ審議会(およびそれ以前の議論)で後期高齢者という言葉が使われているのかについて,少し説明しておきたい。
 前期高齢者・後期高齢者は,学術用語として長らく使われている。医療保険以外の場でも,広く使われている。この用語が使われるようになったのには,高齢者の健康状態の改善が進んできて,高齢者を虚弱で支援を必要とする人たちという形で一括りにすることが時代にそぐわなくなってきたという背景がある。高齢者像を二分することで,元気な高齢者は社会に積極的に参加して貢献してもらうと同時に,虚弱で支援の必要な高齢者は引き続きしっかり支援するという形が,時代に即した施策である。個人の状態をきめ細かく把握して区分していければそれが望ましいが,例えば様々なデータを集めるといった実用の便宜上,75歳による区分が用いられている。
 学術用語としても当事者に配慮して後期高齢者を使うべきでないという批判もあり得る。英語はolder oldなので,日本語が不適当なのかもしれない。医療制度とは別にして,学術用語としても後期高齢者の用語が不適当なのかどうか。あまり大きな議論にはなっていないが,学界としてどう対応するのかという課題は残る。
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