岩本康志のブログ

経済,財政の話題を折に触れて取り上げます。

2010年10月

Yahoo! ブログから引っ越しました。

「バーナンキの背理法」は役に立たない

「バーナンキの背理法」は,もっぱらネットで議論されており,リアルの金融政策の議論でまともに取り上げられることはなかった。役に立たないからだ。

 ゼロ金利のもとで中央銀行がマネタリーベースを拡大する政策(量的緩和)を3種類に分類しよう。
 第1は,金利が正のときと同様に伝統的オペ(安全資産を購入する)をおこなう場合であり,「狭義の量的緩和」である。これは将来も持続するというコミットメントがなければ,物価にも実体経済にも影響がない。
 第2は,中央銀行が買うことを法的に許されているリスク資産を購入する場合である。例えば,日銀法では,信用度の低い社債はこれに当たる。
 第3は,法的に許されない手段をとることである。例えば,株式の購入や,バーナンキの背理法で考えられているような「お札を刷って給付金で国民に配る」方法である。
 量的緩和政策をめぐるまともな議論は,伝統的オペの延長の政策効果は無効であるとの認識から始まって,中央銀行がどういうリスクをとることが許されるのかに留意しながら,第2の手段のなかで何を実行してよいかを議論している。第3の手段は当然,通常の選択肢に入らない。法改正や例外規定を視野に入れて考慮するとしたら,よほどの事情のもとでだ。効果がないのは第1の手段だけで,第2と第3の手段に効果があるのは議論の前提だ。意見が分かれるのは効果の確実さと大きさである。
 第1の手段では,いくらマネタリーベースを増やしても物価が動かないと仮定しても,矛盾は生じない。つまり,無税国家は誕生しない。なぜなら,お札を刷ってそれと同等の資産を購入しているので,どこからも財政支出や減税の財源は生まれないからだ。

 バーナンキの背理法は,「金融政策でインフレを起こすことはできない」という主張を論破する手段だというが,「従来の手法では効果がない」ことに対して「違法な手段をとれば効果がある」といって何が論破できているというのだろうか。「従来の手法では」と「違法な手段をとれば」を取っ払うのは,まともに政策を議論している側から見れば,まったく独りよがりの論法だ。
 給付金を配る部分を政府がやれば,合法的な政策にはなる。だが,このときの主役は財政政策になるので,金融政策の議論のなかに持ち出してくるのは,これまた独りよがりの論法だ。
 また,「違法な手段をとれば効果がある」ことを説明したいならば,背理法などとややこしいことをしないで,「日銀がお札を刷ってどんどん公共事業を発注すれば,需要が過熱しインフレになる」といえば十分だし,この方がわかりやすいだろう。

 バーナンキの背理法のもう一つの使い方は,「何をやってもインフレは起きない」という極論を論破するものらしい。こちらの極論はまともな金融政策の議論には何も関係ないので,政策の議論に資するものは何もない。意義があるとしたら,そのように思いこんでいる一般の人を啓蒙することだろう。
「何をやっても効果がない」に対して「違法な手段をとれば効果がある」という論争なら,論理的には前者は誤りで後者は正しい。
 だが,金融政策の知識がなく「何をやっても効果がない」と思いこんでいる人も,普通の社会常識の持ち主なら「日銀が違法な手段をとる」ことは「何をやっても」のなかには含めていないだろう。そういう人たちの蒙を啓くには,まともな金融政策の議論の方向に導くことだ。つまり,法的に日銀に何ができるのか,何に効果があって何に効果がないか,をきちんと説明することだ。
 どの手段が合法か違法かを知らない人に,違法な手段であることを伏せて「効果がある」と説得するとすれば,それは役に立たないだけでなく,有害ですらある。

非不胎化介入(その2)

 不胎化介入では,中央銀行のバランスシートは拡大せずに,資産側で外貨が増え,他の資産が減少している。これが,民間の保有する資産構成が変化する効果(ポートフォリオ・リバランス効果)をもたらす。非不胎化介入は,不胎化介入に資金供給オペ(マネーストックの拡大)が加わったものと考えられる。
 ゼロ金利の場合,貨幣が増えても金利はゼロ以下に下がらない。非不胎化は短期債を購入して貨幣を増加させるので,「狭義の量的緩和」と同じことになる。
 「非不胎化介入(その1)」で以上のことを説明したが,引き続き,現状のようなゼロ金利時に非不胎化の効果を出すにはどうすればいいか,を考えたい。

 非不胎化の為替レートへの効果,つまり狭義の量的緩和の効果,は将来の貨幣増加へのコミットメントがあるかどうかで違ってくる。これは,「『インフレ目標』をめぐるネット議論の陥穽」で指摘したことである。将来へのコミットメントがないと,狭義の量的緩和は効果がない。このとき,不胎化介入と非不胎化介入の効果は同じである。将来のコミットメントがある場合は,不胎化介入の効果に,非不胎化による金融緩和としての効果(時間軸効果)が加わる。
 しかし,当局が為替市場に将来どのように介入してくるかは,事前にはまったくわからない。介入時にその資金分だけ貨幣を増やしただけでは,将来の動向はわからないので,コミットメントがされたとは考えにくい。中央銀行は毎日変動する資金需要に合わせて資金を調節しているので,介入時点の非不胎化がその後に維持されているかどうかを問うことすら意味をもたなくなる,ともいわれている。
 金融政策として同じこと(将来の金融緩和へのコミットメントでゼロ金利からの追加的効果を引き出すこと)をしている時間軸政策では,中央銀行の発言と行動によってコミットメントが市場に信認を得られるように腐心してきた。そうした努力のない非不胎化には時間軸効果は期待できず,コミットメントのない狭義の量的緩和となる。そして,政策効果は無効となってしまう。
 金融政策の視点から見れば,そもそも非伝統的金融政策の手段をいろいろと検討しているのだから,コミットメントの難しい為替介入に関係づけて時間軸効果を出そうとするよりは,もっと効果的な時間軸政策を考える方が得策だろう。つまり,非不胎化に傾注するよりは,他の有効な金融緩和手段に頼るのが望ましい。

 というのが私の考え方だが,渡辺・藪(2010)による実証分析は,日本の量的緩和政策をとっていた2003年からの介入では,不胎化介入よりも非不胎化介入の方が為替レートへの影響は強かったという結果を得ている。非不胎化の効果に対する理論的基盤は私の考え方と同じであるので,非不胎化によって将来にも貨幣の拡大が持続すると当時の市場関係者は受け止め,時間軸効果が出た,というのが渡辺・藪論文の解釈である。
 この解釈は,わが国でとられた量的緩和政策の時間軸効果に関する通説とは一見,対立するものである。当時,日銀は繰り返し,長く金融緩和を継続するというコミットメントを表明していたが,デフレが終わればそれを反故にする(早々に金利を上げてしまう)行動を明確に封じられない。このため,コミットメントの信認を得るのは非常に難しい作業であることが広く認識されている。その一方で,為替介入の非不胎化は,具体的なコミットメントの表明がなくても,量的緩和が継続するという信認を得ることができたということになるのだろうか。これでは,市場心理の摩訶不思議,とでもいわなければなかなか説明がつかない。
 渡辺・藪論文の発見と時間軸効果の経験に関する通説をどう調和させるかは,残された研究課題である。現時点では私は研究の方向性の指摘ぐらいしかできないが,ひとつ注意しておきたいのは,両者の時間的視野の違いである。渡辺・藪論文は日次データを使った分析であり,短期的(数日間の為替レートに与える)影響が関心の対象になる(注2)。また,当時の介入の非不胎化によって持続する日銀当座預金増加は,20日間でほぼ消滅することが報告されている。つまり,数週間の貨幣の増加の持続が,数日間の為替レートに影響を与えることを見ている。
 これに対し,金融政策の効果の分析では通例,四半期データを用いて数四半期の効果が関心の対象になる。日銀当座預金増加の持続が数週間ならば,その効果が数四半期には及ばないと考えるのは自然であり,金融政策でのコミットメントが難しいという議論とは整合的だという解釈もできる。
 その他にも論点はあるが,もはや学会で議論すべきような専門的なものになるので,ここでとどめたい。

(注) 被説明変数が為替レートの変化なので,恒久的影響を検出しているように受け取られるかもしれないが,被説明変数は介入がなかったとした場合からの為替レートの変化の代理変数である。前期の為替レートは,介入がなかったとした場合の為替レートの代理変数である。

(参考文献)
渡辺努・藪友良(2010),「量的緩和期の外為介入」,『フィナンシャル・レビュー』,第99号。

(関係する過去記事)
『インフレ目標』をめぐるネット議論の陥穽

非不胎化介入(その1)

非不胎化介入(その1)

 9月15日に政府が為替介入(単独の円売り介入)をおこなった後,「非不胎化」が話題になった。齊藤誠・岩本康志・太田聡一・柴田章久著『マクロ経済学』(有斐閣)では為替介入が触れられていないので,ここで補足しておきたい。

 為替介入は,政府がおこなう国と中央銀行がおこなう国がある。日本は財務省所管の外国為替特別会計でおこなわれるので,前者である。主要国を見ると,米国は政府に優先権があるが,中央銀行も介入できる。ユーロ圏は,中央銀行が介入をおこなう。英国は,政府と中央銀行の両方が介入をおこなう。
 こういう事情と,おもに金融か国際金融の教科書で説明されることから,外国の教科書では,中央銀行が為替介入をおこなうものとして説明することが多い。以下では,自国通貨を安くするための介入を考える。中央銀行が外国資産を購入すると,マネタリーベースが増加する。この介入オペと同時に,中央銀行が保有する他の資産を同額だけ売って,マネタリーベースが変化しないようにすることを「不胎化介入」(sterilized intervention)と呼ぶ。
 現在の日本では,外国為替特別会計が国庫短期証券を発行して,介入の資金を調達する。中央銀行は関与していないから,マネタリーベースは増えない。これは最初から「不胎化介入」となっている。ここで介入資金分だけ日本銀行が資金供給オペして,マネタリーベースを増やしたら,「非不胎化介入」(unsterilized intervention)となる。日本語訳が二重否定になってしまったのは,最初にsterilizeの訳語に「不」をつけてしまったからである。それを避けて,「胎化介入」と呼ぶこともある(注)。日銀が一手間かけているわけだから,胎化介入の方がふさわしいと個人的には思うが,ここでは混乱を避けるために,非不胎化介入で統一しておく。

 不胎化介入では,中央銀行のバランスシートは拡大せずに,資産側で外貨が増え,他の資産が減少している。これが,民間の保有する資産構成が変化する効果(ポートフォリオ・リバランス効果)をもたらす。非不胎化介入は,不胎化介入に資金供給オペ(マネーストックの拡大)が加わったものと考えられる。
 不胎化介入と非不胎化介入の扱いは,教科書によって違う。ミシュキン教授の教科書『The Economics of Money, Banking and Financial Markets』(2009年に第9版が出版)では,非不胎化介入を主にとりあつかっているが,不胎化介入によるポートフォリオ・リバランス効果はあまり大きくないと考えており,不胎化と非不胎化の差である資金供給オペの効果におもに着目した記述をしている。これに対して,クルーグマン教授とオブストフェルド教授の教科書『International Economics』(2008年に第8版が出版)では,非不胎化介入を中心に置いており,それが効果を発揮するメカニズムの解説に重きを置いている。
 こういう状況なので,教科書の書き方はいろいろ考えられる。不胎化介入から出発するか,不胎化介入から出発するか。整理の仕方で,同じものも違った姿に映る。私が教科書で説明するとすれば,クルーグマン・オブストフェルド流の整理を採用したい。それは,以下のような理由による。

 為替介入がされる状況を,3つに分けて考えよう。
(1)
 正の金利で,準備預金に利子がつかない場合,現状の金融政策の枠組みでは非不胎化介入は不可能である。これは,中央銀行は金利を目標に誘導するように資金調節をおこなっているので,為替介入という別の要因でマネタリーベースが増減すると,金利を調節できなくなるためである。
 中央銀行が政策金利を決定するとして,それとは別に為替介入を位置づけるならば,為替介入とは不胎化介入のことになる。
 自国通貨売りの介入で非不胎化をせよと要求することは,政策金利を低下させよ,という意味になる。これは,(為替介入するときだけに限定したとしても)金利政策が為替政策に従属する形となる。日本だと,財務省国際局が政策金利を決定することになる。
(2)
 正の金利で,準備預金に利子がつく場合,非不胎化介入は,何をやっているのか訳がわからなくなる。民間の保有する資産が国庫短期証券から準備預金に変わるわけだが,両者の金利はほぼ同じになっているので,金融機関にとってはどちらで資金を運用しても同じである。とすれば,非不胎化は同じ資産を交換することになるので,その効果はまずはないと考えられる。
 貨幣を増やしていることに意義があるかといえば,それも怪しい。例えば準備預金の金利が5%になっていたとすると,金利ゼロの銀行券よりも金利5%の有利子金融資産との代替性が強くなり,貨幣を増やしているとはいい難い。
(3)
 ゼロ金利の場合,原理的には(2)と同じであるが,準備預金の金利がゼロになっているだろうから,これは貨幣の増加と考えていい。貨幣が増えても金利はゼロ以下に下がらないから,非不胎化は金利政策と両立できる。そして,これは短期債を購入して貨幣を増加させるので,「狭義の量的緩和」と同じことになる(量的緩和政策の区別については,「量的緩和から非伝統的金融政策へ」を参照)。

 以上の議論をもとにすると,非不胎化介入を中心に教科書を記述することは難しい。
 第1に,教科書で扱われるべき基本は正の金利の状況であるが,そこでは不可能か,訳がわからない。ミシュキン教授の教科書はそれを扱っているのだが,扱えるとすれば,政策金利の目標が幅をもっており,金利への影響がその範囲内であるような小規模な介入になるだろう。
 第2に,非不胎化を為替政策としてしまうと,金融政策が為替政策に従属する形となり,現実の金融政策の枠組みと合わない。
 第3に,日本を対象に記述するのであれば,外為特会による不胎化介入から説明を始めるのが自然である。実際には介入から国庫短期証券の発行までに時間差があり,その間は日銀が資金を供給することになるので,ここで非不胎化介入を説明する。そして非不胎化を中央銀行の判断に基づく金融政策であると位置づけて,為替当局と中央銀行が協調すればどうなるか,で非不胎化の効果を論じるのがいいだろう。

 以上は教育論だが,現状のようなゼロ金利時に非不胎化の効果を出すにはどうすればいいか,という政策論にも触れたい。しかし,また字数制限にひっかかったので,(その2)に回すことにする。

(注) 不自然な二重否定になることから,経済学用語で最も問題のある訳語である。「非不胎化介入しない」となると,三重否定になる。
 また,女性に不快感を与える用語であることも問題である。もしかすると,国際金融を「普通に教えているつもり」でも,女子学生からセクハラで訴えられてしまうことになるかもしれない。

(関係する過去記事)
量的緩和から非伝統的金融政策へ

(Amazonへのリンク↓)
マクロ経済学 (New Liberal Arts Selection)

日本型信用緩和の効果についての技術的説明

 字数制限により,昨日の記事「日本型信用緩和の副作用」に納まらなかった,日本型信用緩和の効果について説明する。

 効果の根拠については,「『市場機能論』は成立するか?」の注2で簡単に触れているが,それを敷衍してみよう。そのために,金融政策がそもそも何をやっているかにまで遡ることにする。

 まず,伝統的金融政策について。
 決済システムの安定を図るため,中央銀行はインターバンク市場に資金を供給することで短期金利に影響を与えることができる。そして,市場の裁定を通じて,名目短期金利はすべての市場の名目金利に影響を与える。この事実を利用して,中央銀行は「付帯業務」として金融政策をおこなう。
 具体的には,名目金利を,価格が伸縮的な経済で実現するであろう実質金利(これを「自然利子率」と呼ぶ。「中立金利」もほぼ同義)に等しくなるようにする。すると,価格が変化しなくても,価格が伸縮的な経済と同じ実質金利が実現しているので,価格が伸縮的な場合の資源配分が実現できる。この意味で物価の安定と所得の安定が実現する。
 ところが,投資の収益機会が非常に悪くなって,自然利子率が負になってしまったときには,名目金利を負にできないため,実質金利が自然利子率より高くなってしまい,金融が図らずも引き締まってしまう。
 実質金利が本来あるべき姿より高くなっているというのは,将来の財が現在の財より割安になっており(現在の財の消費をあきらめて貯蓄すると,金利が高いので,より多くの将来の財を買うことができる),現在の財への需要が過小になってしまうことである。

 ここからは,信用緩和について。
 ここまでは,「現在の財」をあたかもひとつの財のようにまとめていたが,信用緩和を検討するため,ここからは現在の財が多数の財で構成されていると考えることにする。
 金融資産の金利は安全資産の金利にリスクプレミアムを上乗せしたものになる。名目金利のゼロ制約のもとで,安全資産の金利がおしなべて引き上げられている問題をリスクプレミアムの低下で相殺しようとするのが,「『市場機能論』は成立するか?」で説明した,信用緩和のねらいである。
 信用緩和は,特定の種類の金融資産のリスクプレミアムを引き下げようとする。ただし,投資家がリスクとリターンのみを見て金融資産間の裁定をしている場合には,そもそも中央銀行が金融資産を売買することではリスクプレミアムに影響を与えることができない(リスクがない状態に簡単化して,長期債と短期債の売買を用いた説明が「通貨発行益」にある)。今回の記事では,信用緩和の対象となる資産では裁定が完全に働かないのでリスクプレミアムに影響があるものと考える。影響を与えられると,リスクプレミアムが低下した金融資産を資金調達の原資としている投資の費用が安くなり,その投資が増える。つまり,自然利子率が負であることがもたらした,現在の財への過小需要の問題が緩和される。これが信用緩和の「効果」の部分である。

 ここからは,信用緩和の問題点について。
 しかし,信用緩和の対象にならなかった資産は,相対的に割高になって,その需要が減少する。需要が減少する財がもともと過大になっている将来の財であったなら,信用緩和の「効果」が出たことになる。しかし,現在の投資の資金調達手段となっている金融資産への需要が減少すると,現在の財のなかでの需要の代替が生じてしまって,過小な需要を刺激する効果が弱くなる。現在の他の財の需要の減少の度合いが大きいほど,効果は小さくなる。どの財の需要に影響が出るかがよくわからないと,効果が不確実な(信用緩和の波及経路がはっきりしない)ことになる。
 さらに,この現象は「副作用」を作り出す。つまり過小であった財の需要をさらに減少させることになって,過小需要の問題を増幅させる。

(関係する過去記事)
通貨発行益

『市場機能論』は成立するか?

日本型信用緩和の副作用

日本型信用緩和の副作用

 日銀が5日に導入を発表した「包括的な金融緩和策」(包括緩和)について,小幡績・慶応大学准教授[2010年10月23日誤記修正]は,ブログで以下のようにのべている。

「今回の政策の包括的なプラスの効果は、日銀への圧力に対して、すべて先回りして屈することにより、屈する中では、極めて理論的には最終手段としては取る価値のある政策を採ることができた、ということだろう。
日銀の気持ちとしては、これで、玉は政府の側に移り、日銀はやれることはすべてやった、あとは政府が頑張ってくれ、という政治的な弱さを前提にした、弱者の戦略に出たということだろう。
しかし、日本の政治、メディア、そして金融業界はおろか極まりなく、際限なく、金融市場と経済を分かっている人なら理不尽と思うようなことを要求し続けてくるだろう。その誤りと罪に気づかないのだから、始末が悪く、理屈が割っている[原文ママ]人と、理屈が判っていない人との勝負では常に後者が勝つという定理からすると、日銀はとことんまで、責め続けられるだろう。
かたぎとすじの闘いのようなものだ。
つまり、勝負は既についてしまった。これで。」(http://blog.livedoor.jp/sobata2005/archives/51570201.html )

 政治との関係についての小幡教授の見立てには同感である。私の記事「『包括的な金融緩和政策』について」では,この政治的な負け戦のなかで歯止めをかける手段として,日銀の資産買入について政府保証をつけることを提案した。政府の責任で政策が実行されることをはっきりさせるためである。しかし,その記事では,この「信用緩和」政策の是非には触れなかった。4月5日の記事「『リフレ政策』に対する私見(とりあえずのまとめ)」では,信用緩和については,「現時点で必要なし。民間企業への直接の資金供給は,まずは政策金融機関の仕事である。なお,中央銀行がバランスシートにリスクを負うことは財政政策であるとの認識が必要」とまとめてあった。
 これは端折った書き方だったので,改めて信用緩和政策の是非をここで論じる。とくに,まだ十分説明されてなかった「副作用」の面に焦点を当てる。
 この政策は,短期金利ではなく,他の市場金利に直接,影響を与えようとするものである。いいかえると,信用スプレッドないしリスクプレミアムを圧縮して,経済への刺激効果を出す政策である。
 広い意味では,3種類の政策が考えられる。
 第1は,金融システムの危機によってリスクプレミアムが拡大した場合に,中央銀行がその縮小を図ることである。今回の金融危機への対応で米国がとった信用緩和政策がその代表例である。日本がかつて不良債権問題に苦しんだ時期にもこのような問題があり,大規模ではなかったが,信用緩和的な政策も実行された。
 第2は,日本の政策金融のように,金融市場のなかでの個別の問題に対して政府が介入するものである。しかし,政策金融には肥大化の批判があって改革がおこなわれたように,適切に介入することが難しいという問題がある。
 これら2つは,金融市場に何か問題があって,リスクプレミスムが適切に決定されておらず,それを是正するように政府が介入するものである。
 ところが現在の日本は,不良債権問題を抱えていた時期の日本やサブプライム危機後の米国のような金融システム上の問題はなく,この問題によって各市場につけられたリスクプレミアムが歪んでいるという現象は(少なくとも目立った形では)起こっていない。日銀に現在の米国並みの量的緩和を要求する意見は,この違いを無視している。米国の信用緩和は,従来の中央銀行の行動から大きく逸脱する異例のものだったが,歪んでしまった資産価格の体系を正しい方向に歪め直すという大義があった。今回の日銀の包括緩和のなかの信用緩和は,このような大義がない。白川日銀総裁は5日の記者会見で,「現在のリスク・プレミアムが全般として大き過ぎると判断される状況では必ずしもありません。金融政策として、今よりリスク・プレミアムの水準を下げていくという形で、金融緩和の効果を追求しようとするものです。」と明言している。
 したがって,米国型信用緩和と日本型信用緩和ははっきり区別した方がいい。歪んでいないリスクプレミアムを歪めることに日銀が乗り出すことに,当然に市場関係者は反発するだろう。「うまく働いているものをなぜ壊すのだ」と。

 日本型信用緩和の効果が不確実なことについては,説明が少し技術的になるので,別の記事[2010年10月23日追記:「日本型信用緩和の効果についての技術的説明」に回す(本当は一緒にしたかったのだが,字数制限に引っかかってしまった)。その結論を先取りして,先に進む。
 効果が副作用を上回る政策は実施されるべきである。しかし日本型信用緩和のような政策はこれまで実際に試されたことはなく,現在の知見では,その効果と副作用がともに不確実で,定量的な情報も乏しい。定性的には,副作用は見た目に明らかである。事前に評価するのに必要な情報(どの資産間に裁定が働いていないか,どの資産間の裁定が強いか。これらの情報がなぜ必要かは別記事で説明する)は,なかなか検証が困難である。実践が研究の先をいっているわけだ。
 見解が分かれるなかで1億人余が運命をともにする政策を決めなければいけないならば,処方箋は簡明なものにする,というのが私の考え方である。つまり,信用緩和は信用危機が生じた場合に,その問題に直接働きかける政策として用いる。信用危機でない状態では信用緩和は用いず,これまでの経験で効果と副作用がもう少しよくわかっている財政政策で対応する。
 すると,日銀の対応として現在必要なのは,包括緩和のなかの第2の措置の,時間軸政策をしっかり働かせるように,ゼロ金利政策の透明性を高めることだ。そのつぎに打つ手として,時と場合によっては,包括緩和に含まれるような信用緩和に踏み出すことはあるかもしれない。時と場合というのは,財政政策の実行が限界に達したとき,実体経済の悪化が金融システムの悪化まで波及したとき,あるいは効果と副作用がより詳しくわかったときである(これが,4月5日の記事での「現時点で必要なし」の理由である)。
 日銀は私よりも多くの資源を使って,信用緩和の効果と副作用を点検していただろうから,私の処方箋の考え方が間違っていて,日銀の今回の判断が正しいという可能性はあり得る。日本型信用緩和は実行に移されることになったので,その方が国民にとっては望ましいことだ。私が納得できるような説明が日銀から与えられるならば,それは喜んで認めたいところだ,しかし,包括緩和決定後の白川総裁の記者会見では説得的な説明はなかった。この政策の正当性が今後,どう説明されるのかを見守っている。
 白川総裁が「経済の状況が異例であるからこそ、政策も異例になっている」と発言しているように,日本型信用緩和は異例の政策である。しかし,この政策が選択されたのは経済が異例だっただけだろうか。このところの日銀をめぐる政治状況を鑑みると,異例の政策がとられたのは,政治が異例だった影響があるようにも思う。
 おそらく今回の規模では大きな効果は期待できないだろうから,すぐに拡大の圧力が高まるだろう。さらに政策の詳細と解除条件が曖昧で,どこまで広がり,いつまで続くかわからない。異例が持続するかもしれない怖さを抱えている。

(参考)
「日銀政策の包括的な影響」(小幡積)
http://blog.livedoor.jp/sobata2005/archives/51570201.html

「『包括的な金融緩和政策』の実施について」(日本銀行,2010年10月5日)
http://www.boj.or.jp/type/release/adhoc10/k101005.pdf

「総裁定例記者会見(10月5日)要旨」(日本銀行,2010年10月6日)
http://www.boj.or.jp/type/press/kaiken07/kk1010a.pdf

(関係する過去記事)
『リフレ政策』に対する私見(とりあえずのまとめ)

『包括的な金融緩和政策』について

[2010年10月23日追記]
(関係する記事)
日本型信用緩和の効果についての技術的説明
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