福島第一原発事故の対応にあたっている東京電力の行動原理について,企業統治(コーポレート・ガバナンス)の理論に沿って考えてみたい。東電の残余請求権者は有限責任であり,経営者は残余請求権者の利益に沿うときに何が起こるか。
議論の出発点を,「原発事故で政府と東電が統合本部 首相、対応を批判」(共同通信,http://www.47news.jp/CN/201103/CN2011031501000074.html )にある,3月15日の出来事にとろう。東京電力が撤退の意向を示したときに,菅首相が「撤退した時には東電は百パーセントつぶれる」と恫喝したと伝えられているが,これは「逃げなければつぶれない」ことが暗黙の前提である。かりに,「逃げればつぶれる,逃げなくてもつぶれる」となれば,社長が経営者としての役割を果たすならば,逃げる。
「逃げればつぶれる,逃げなければつぶれない」という形で,政府は東電に事態を対処させる誘因を与えたことになるが,そのような状況であったとしても,私企業の立場では被害規模の拡大に鈍感になる。つまり,企業の支払い能力は有限であり,被害の賠償額がそれを超えてしまえば,被害がそこからいくら大きくなっても,企業には関係がない。これは現状では重大事故につながるリスクを過小評価する要因になる。例えば,これが事故直後のベントの遅れに影響を与えたのか,という視点からの検証は必要ではないだろうか。政府は事故全体の影響から判断するが,東電は私企業の負担能力を超えてしまった部分の影響には考えが及ばない。これは東電の判断能力が劣っているというわけではなく,能力がある人間でも与えられた誘因のもとではそう判断するということである。後に起こった出来事から見て,ベントを急ぐべきという政府の判断は正しかったが,政治家には心地よく聞こえる「政府は東電よりも能力がある」が正しいかどうかは別の問題である。かりにそれが幻想であって,政治家がその幻想に酔ってしまうと,政府が今後の判断を誤るおそれはある(なお,これは政府と東電の能力の相対的な評価であって,能力の絶対水準にここで何か言っているわけではない)。また,現状では,工程表でリスク要因の評価が甘くなっていないのか,といった視点からの検証も必要である。
また,今後については,不幸にも重大事故に発展してその処理が求められたときに,逃げればつぶれる,逃げなくてもつぶれる,という状態を作り出す。枝野官房長官は4月18日の記者会見で「プラントそのものを安全な状況に回復させることについての一義的な責任者は東京電力、事業者だ。政府としては、それが本当に安全のために、最善のことが行われるのかということをしっかりと管理、チェックをする」と発言したが,政府の関与がもう少し強くないと,事故対応のリスク管理上,深刻な問題につながる。
現在,政府は損害賠償の支払いスキームを調整中である。報道によれば,その骨子は,損害賠償金を一時的に政府が立て替え,東電を存続させて長期にわたって返済させるものである。将来の返済は東電利用者の負担ということになる。これは電力会社が地域独占の地位を与えられていることで可能になるもので,賠償負担のない競争会社がいる市場であったなら不可能である。スキームは,東京電力はつぶせないとの立場である。その理由は,法的に社債権が損害賠償請求権に優先されるため,つぶれると損害賠償ができなくなる,というもののようだ。この理由が妥当するかどうかは重要な論点であるが別の機会での議論に譲ることにして,ここではスキームが事故処理に与える影響に眼を向けたい。
事故処理が長期化した場合,スキームが決定された時点で事態が収拾していないかもしれない。そのとき「逃げなければつぶれない,逃げてもつぶれない」という状況ができあがる。社長が経営者としての役割を果たすならば,逃げる。
賠償スキームの設計では,事故処理にどういう誘因をもつかも考える必要がある。
(参考)
「原発事故で政府と東電が統合本部 首相、対応を批判」(共同通信,2011年3月15日)
http://www.47news.jp/CN/201103/CN2011031501000074.html
「枝野長官会見(2完)天下り自粛「公務の中立性で疑義生じる」(18日午後4時すぎ)」(産経ニュース,2011年4月18日)
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110418/plc11041819410024-n1.htm
BI@K accelerated: hatena annex, bewaad.com(2011年4月25日)
http://d.hatena.ne.jp/bewaad/20110425
議論の出発点を,「原発事故で政府と東電が統合本部 首相、対応を批判」(共同通信,http://www.47news.jp/CN/201103/CN2011031501000074.html )にある,3月15日の出来事にとろう。東京電力が撤退の意向を示したときに,菅首相が「撤退した時には東電は百パーセントつぶれる」と恫喝したと伝えられているが,これは「逃げなければつぶれない」ことが暗黙の前提である。かりに,「逃げればつぶれる,逃げなくてもつぶれる」となれば,社長が経営者としての役割を果たすならば,逃げる。
「逃げればつぶれる,逃げなければつぶれない」という形で,政府は東電に事態を対処させる誘因を与えたことになるが,そのような状況であったとしても,私企業の立場では被害規模の拡大に鈍感になる。つまり,企業の支払い能力は有限であり,被害の賠償額がそれを超えてしまえば,被害がそこからいくら大きくなっても,企業には関係がない。これは現状では重大事故につながるリスクを過小評価する要因になる。例えば,これが事故直後のベントの遅れに影響を与えたのか,という視点からの検証は必要ではないだろうか。政府は事故全体の影響から判断するが,東電は私企業の負担能力を超えてしまった部分の影響には考えが及ばない。これは東電の判断能力が劣っているというわけではなく,能力がある人間でも与えられた誘因のもとではそう判断するということである。後に起こった出来事から見て,ベントを急ぐべきという政府の判断は正しかったが,政治家には心地よく聞こえる「政府は東電よりも能力がある」が正しいかどうかは別の問題である。かりにそれが幻想であって,政治家がその幻想に酔ってしまうと,政府が今後の判断を誤るおそれはある(なお,これは政府と東電の能力の相対的な評価であって,能力の絶対水準にここで何か言っているわけではない)。また,現状では,工程表でリスク要因の評価が甘くなっていないのか,といった視点からの検証も必要である。
また,今後については,不幸にも重大事故に発展してその処理が求められたときに,逃げればつぶれる,逃げなくてもつぶれる,という状態を作り出す。枝野官房長官は4月18日の記者会見で「プラントそのものを安全な状況に回復させることについての一義的な責任者は東京電力、事業者だ。政府としては、それが本当に安全のために、最善のことが行われるのかということをしっかりと管理、チェックをする」と発言したが,政府の関与がもう少し強くないと,事故対応のリスク管理上,深刻な問題につながる。
現在,政府は損害賠償の支払いスキームを調整中である。報道によれば,その骨子は,損害賠償金を一時的に政府が立て替え,東電を存続させて長期にわたって返済させるものである。将来の返済は東電利用者の負担ということになる。これは電力会社が地域独占の地位を与えられていることで可能になるもので,賠償負担のない競争会社がいる市場であったなら不可能である。スキームは,東京電力はつぶせないとの立場である。その理由は,法的に社債権が損害賠償請求権に優先されるため,つぶれると損害賠償ができなくなる,というもののようだ。この理由が妥当するかどうかは重要な論点であるが別の機会での議論に譲ることにして,ここではスキームが事故処理に与える影響に眼を向けたい。
事故処理が長期化した場合,スキームが決定された時点で事態が収拾していないかもしれない。そのとき「逃げなければつぶれない,逃げてもつぶれない」という状況ができあがる。社長が経営者としての役割を果たすならば,逃げる。
賠償スキームの設計では,事故処理にどういう誘因をもつかも考える必要がある。
(参考)
「原発事故で政府と東電が統合本部 首相、対応を批判」(共同通信,2011年3月15日)
http://www.47news.jp/CN/201103/CN2011031501000074.html
「枝野長官会見(2完)天下り自粛「公務の中立性で疑義生じる」(18日午後4時すぎ)」(産経ニュース,2011年4月18日)
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110418/plc11041819410024-n1.htm
BI@K accelerated: hatena annex, bewaad.com(2011年4月25日)
http://d.hatena.ne.jp/bewaad/20110425