6月7日の『毎日新聞』夕刊掲載の浜田宏一エール大学名誉教授のインタビューが同紙のWebサイトで読める。その末尾(http://mainichi.jp/feature/news/20130607dde012020005000c4.html )で,記者の「壮大な実験と言えるアベノミクスが失敗に終わったら、どうしますか。」という質問に対し,浜田教授は「学者としての責任の取り方、それは公の場で自分の考えの誤りを認めることです。ただし、私たちが責任を問われるなら、今までリフレ政策に反対していた学者や経済評論家、デフレを放置した日銀幹部も総ざんげすべきです。経済を好転させられなかったのだから」と答えている。記事によると浜田教授は「このときばかりは語気を強めた。」そうだが,残念なことであるが浜田教授は大きな思い違いをされている。

「大胆な金融緩和」によって,大した費用も副作用もなしでデフレが脱却でき,なおかつ経済が好転すれば,誰もが大歓迎だ。そういう妙薬があったらいい,という願望は日本のデフレを考える経済学者は皆もっているが,実際にそういう妙薬が存在するかどうかは別の問題である。
 妙薬がなければ,妙薬があると言っていた人間だけが間違っている。
 妙薬を見つけられなければざんげしろ,という言い分は,妙薬が存在することが前提でなければ成立しない。妙薬はないと言っている人間にはとんだ言いがかりである。

 デフレ脱却の妙薬への願望が強すぎると,それは経済学(者)への失望と批判に転換する。妙薬がないことを喜んでいるのか,という批判まで経済学者が受けたりするが,そういうことではない。非伝統的金融政策は効果が弱く,短期間で物価を上昇させるだけの力はもたない(現状の文脈では,2年間で消費者物価上昇率を2%にすることはできない)。それでも時間をかけてデフレから脱却することを目指して,粘り強く金融緩和を継続しようと,これまでやってきた。
 簡単な道があると思いこんで,その道をいつまでも追い求めていては,結局は道を間違うことになる。

(参考)
「特集ワイド:続報真相 アベノミクスはピンチですか 「教祖」浜田宏一・内閣官房参与に問う」
http://mainichi.jp/feature/news/20130607dde012020005000c.html