いつまで続くんだい・・・
多くの大学が同じ文言をもつ,学位取り消し要件について,早稲田大学の調査委員会の報告書は,以下のように解釈した。
早稲田大学位規則第23条第1項上の「不正の方法により学位の授与を受けた」における「より」の文言は、不正の方法と学位の授与という結果との間に因果関係が必要であることを示している。つまり、学位の授与の過程、その前提となる博士論文の作成過程等に不正の方法があっても、その不正の方法と学位の授与との間に因果関係がなければ、学位を取り消すことができない。因果関係とは「ある行為がなければ、その結果がなかったという関係が認められること」を意味している。したがって、因果関係があるといえるためには、少なくとも、不正の方法が学位授与(その前提としての博士論文合格)に対して重大な影響を与えることが必要だといえる。
(50頁,強調筆者)
これまでの諸大学(早稲田大学を含む)での学位取り消しは,不正行為の存在を要件としておこなわれている。ここにその事例を並べるのは大学人として慙愧の念に堪えないので,東京大学と早稲田大学の事例のみでお許し願いたい。
報告書は,民事再生法の条文解釈を引いて,不正行為と学位授与の因果関係を要件とする論理を出してきた(余談だが,なぜ民事再生法? 博物館法施行規則第17条とかは使えなかったのだろうか)。これまでの慣行とは違う解釈だ。
東大は,2010年に世間をお騒がせしたセルカン事件の事後対応のなかで,「学位授与の取消しに関する手続についての申合せ」(ここの参考資料15)を作成して,「不正の方法により学位の授与を受けた事実」を
当該学位の授与に関して、データその他研究結果の捏造、改ざん、盗用等学位審査論文の作成に係る不正行為又は金銭の授受等学位審査に係る不正行為が存すること
のように,「不正行為の存在」と定義した。このため,かりに東大の規則が適用されるとしたら,報告書での因果関係を適用した議論は通用せず,報告書48頁で,一般に言う「不正行為」(報告書の用語で「不正の方法」)の存在が認定されたことで,学位取り消しの結論になる。
学位取り消し要件の解釈が,「東大型」と「早大型」(早稲田大学で機関決定されているわけではないので,「早大調査委員会型」が正確か)に分かれたわけだが,じつは因果関係論の適用の有無で分かれるのではない。因果関係の推論で必要な「不正がなかった」状態の定義には幅があるため,どの定義を用いるかで,違った種類の因果関係の議論ができてしまう。したがって,「東大型」と同じ帰結になる因果関係に基づく解釈をいくらでも・・・とは言わないが,私は2つ考えついた。
なお,報告書の因果関係の議論が実際に現れる52頁以降では,「不正がなかった」とはどのような状態なのかを明確にしていないので,不十分な因果関係の推論である。
いずれにせよ,学位取り消し要件の「早大型」解釈の帰結としては,論文のなかで重要度が落ちる箇所にある不正行為はセーフになる。「東大型」と「早大型」の2つの解釈が現れたので,同様の文言の学位取り消し要件をもち,解釈を明示していない大学は,混乱を避けるために,早めに解釈を明示しておくのが良いのではないか。
個人的な見解であるが,これまでの慣行に沿った「東大型」を採用するのが無難である。
「早大型」で運用する場合に大きな問題となると思われるのは,不正行為が学位授与に影響を与えたかどうかを調査することは格段に大変であり,かつ関係者で見解が一致しない可能性も多分にあることだ。裁判が起こるかもしれず,問題が決着するまでに,とてつもない労力がかかりかねない。
第2に,学位授与前に不正行為が発覚すれば重要でない箇所であっても,そのまま学位授与はありえないが,学位授与後は学位が取り消されることはない,つまり「逃げ切りセーフ」のルールであり,一般からは釈然としないと見られるだろう。「東大型」は学位授与までの倫理を授与後もずっと維持する,という趣旨になる。
学位論文に関する不正問題が起こることは審査側にも重大な責任があり,審査員と大学が猛省すべきことは当然である。報告書は「逃げ切りセーフ」ルールを編み出したために,さらに強いメッセージを発することになった。それが報告書末尾の文章である。
本来、学位を授与すべきでないことが明白である博士論文であったとしても、何らかの事由により博士論文の審査において合格とされ、その学位請求者に博士学位が与えられてしまった場合、早稲田大学において、「不正の方法により学位の授与を受けた事実」が学位取り消しの要件となっている以上は、この事実が認められない限り、学位を取り消すことはできない。このことは、ひるがえって、早稲田大学が学位を授与する行為には、それほどの重みがあることを意味する。早稲田大学において学位授与の審査に関与する者らには、その責任の重さを十分に認識した上で審査に関わることが求められる。(78-79頁)
東大には当てはまらないわけだが,よく考えると,早稲田大学から学位論文の審査委員となるように依頼を受けた場合には,このメッセージは私にも向けられることになる。出発点の「逃げ切りセーフ」ルールは支持できないのだが,さてどうしたものか・・・