白川日銀総裁時代にデフレ脱却が議論されていた頃,リフレ派は「金融緩和でデフレを脱却できる」と主張していたが,それを「誰でもわかる簡単な方法」として一般への普及活動をしていた(たとえば『日本経済復活 一番かんたんな方法』と題した本を出版するとか)。誰でもわかるレトリックに色々と問題があるので(私を含めて)懐疑的な専門家は大勢いたのだが,信じた一般の人(に加えて政治家)もだいぶいたようだ。このような話を聞かされたとき,普通に注意深い人なら,「そんなに簡単な方法でデフレを脱却できるのなら,日銀はなぜそれを実行しないのか」という疑問をもつ。リフレ派はこれに答えないと,疑問を抱いた人は,別の説明(デフレ脱却は簡単なことではないし,インフレになるまで国債を買い続けるのは副作用も大きいので,日銀はやらない。)に納得してしまうだろう。
「いや,日銀の本心は日本経済をだめにしたいからだ」という回答は説得力がない。金融政策は総裁一人で決められるわけではないので,組織ぐるみの行動である。表では日本経済のためを考えて努力しているふりをして,裏では日本経済をだめにするために,どんなに批判されても頑張る人間で組織を固めないといけない。きっと採用面接では,日本経済をだめにしたい強い信念を持つ人を見極めて採用しているのだろう。…と,細部を詰めると,話がどんどん荒唐無稽になる。
 そこで,リフレ派は,「簡単にデフレ脱却すると,これまでデフレ脱却は簡単でないといっていた日銀の主張が間違いだったことがばれてしまう。それを避けたいからだ」という説明をした。「自分の間違いをなかなか認めがたい」という人間の性から,主張を補強しようとしたわけだ。そういう人間の性はあるだろうが,程度の問題である。また,人間観なので,個人の主観にもよる。この説明で説得された人もいれば,「国民生活に関わる本当に重大なことなら,間違いを認めて修正するのではないか」と疑問を持ち続けた人もいただろう。

「政策を間違えたとき,当事者はその間違いを直したがらず,不適切な政策が行われ続けて経済に悪影響を与える」というのは,リフレ派の主張の根幹をなす。