9月8日の日本経済新聞朝刊の経済教室欄に拙稿「過剰な景気対策,副作用大」が掲載されました。「財政・金融政策の行方」シリーズの初回になります。これは日銀が今月,異次元緩和を総括することに連動した企画です。拙稿では8月に決定された経済対策(そのなかの財政出動)の評価を中心にしていますが,金融政策との併用についても触れています。

 経済状況の概観は循環面では順調,構造面では課題あり,ということで失業率,GDPギャップ(需給ギャップ),潜在成長率の現況に触れています。最終稿では削除されましたが,以下の文章を用意していました。

8月の月例経済報告は「景気は、このところ弱さもみられるが、緩やかな回復基調が続いている」としている。8月24日に発表になった景気動向指数(CI一致指数)の基調判断は「足踏みを示している」とあるが,先行指数は昨年後半から低下したものの,今年に入って持ち直している。

 景気動向指数の基調判断は,ここ(PDF file)にあるように厳密に定義されており,政権の都合で左右できるようなものではなくなりました。景況判断を人工知能にやらせようという話は以前からありますが,人工知能がよく話題に出る現在では,財政出動の判断も人工知能にやらせるというのも突飛な話ではありません(おそらく人工知能には簡単な問題でしょうが)。
 人工知能まで行かなくても,科学的・客観的な判断基準を作れないか,とは常々私も考えています。とはいいながら,財政出動の是非は人によって判断が分かれ,いつも論争になります。学者が書いている文章なので学術研究を引用して立論の根拠を示して然るべきですが,今回の記事のテーマでは両論ある側の片側の意見を引用するようなことになるのを避け,あえて引用はせずに個人の意見としてまとめました。
 新聞への寄稿では学術的に難しいことは避けて一般読者向けに書くべきことはわかっていますが,それでも難しいことに触れる必要があって,いつも大変な思いをしています。それが今回の記事ではありませんでした。いつもの労力が今回は必要なかったという意味では個人的にはいいことですが,じつは社会にとってはよくないことです。

 経済学者が政策について文章を書くと,政策の9割がほめるところであっても,1割の問題に注目して,ここが悪い,こうすればもっとよくなる,という書き方をしてしまうものです。政策担当者は良い政策を作ろうと努力しているものですから,一般の人がすぐにおかしいと気づく間違いが実際に起こってしまうことはなかなかありません。したがって,政策の実際の課題というのは,専門的な研究の蓄積でつきとめられたことや,一般の人にはなかなか気づきにくいことになり,それを扱う文章をわかりやすく書くことで苦労を背負い込むことになります。そして私の場合,書き切れなかった専門的なことを,こちらのブログに(こちらでもやさしくしていますが)書いたりします。
 ところが今回の記事は,現在の財政政策の大枠について概ね批判的ですが,その論旨に技術的に補足すべきところがほぼありません。趣旨は「政府が景気は回復基調にあると判断しているのに財政出動するのはおかしい」と,簡単です。つまり,きわめてわかりやすいレベルでおかしな政策が展開されているということです。それは,世の中にとってはよくないことです。

 政策に関する記事を書くときに想定する読者は一般の読者に加え,政策担当者です。90点の政策に対して95点を目指せと叱咤する記事の場合は,90点の政策を作る政策担当者は良い政策に対しての知識が十分にあり,かつ向上心もある方ですから,「もうちょっとほめてくれよ」と愚痴を言いながらも,批判に耳を傾けてくれます。明白におかしな方向に行った政策を作る人は,何か別の信念をおもちで,当たり前の批判にも耳を傾けずにそうなってしまったので,今さら耳を傾けてくれません。
 政策担当者に向けて,という意味がなくなる論考を書くのは気落ちするのですが,経済学をきちんと活かすことで何とかモチベーションを保とうとしています。