鈴木亘氏,両角良子氏,湯田道生氏との共著書『健康政策の経済分析:レセプトデータによる評価と提言』が東京大学出版会から出版されました。
 2009年度から福井県のレセプトデータを使用した研究を進めており,本書の本体は,これまで4人の共同論文の形で学会,学術雑誌等に発表してきた研究成果をまとめたものです。他に書下ろしとして,レセプトデータ分析の意義と課題をとりあげた序章と第8章,プログラム評価の計量経済学を概説した補論を含みます。専門書ですが,医療・保健政策,ビッグデータを用いる政策評価の両分野の関係者にとって,今後の方向性を示す書籍を世に出せたのではないかと自負しています。
 「健康政策」とは本書の分析対象を特徴づけるために我々が命名したもので,現状の医療・介護制度改革の重要の柱となっている「疾病や虚弱の発生後のサービス提供に偏重していた現状から,その予防にサービス資源を転換する施策」を総称するものとして使っています。
 目次は以下の通りです。

序章 根拠に基づく健康政策(EBHP)に向けて
 第I部 費用構造の解明
第1章 医療費・介護費の集中度と持続性
第2章 死亡前1年間の医療費・介護費
第3章 高齢者の社会的入院:介護保険導入後に減少したか
第3章補論 連続入院期間から定義した「社会的入院」規模の推計
 第II部 政策効果の分析
第4章 通所リハビリテーションの提供体制:介護費への影響
第5章 介護予防給付:状態像への影響
第6章 特定健診・特定保健指導:「平均への回帰」への対処
 第III部 政策立案の支援
第7章 国民健康保険の財政予測
第8章 これからの健康政策への提言
補論 プログラム評価の計量経済分析

 以下,「立ち読み」用に,「はしがき」のさわり(中核部分を少しだけ短くしたもの)掲載します。

 近年は矢継ぎ早に医療・介護制度の改革が実施されている。重点が置かれている施策としては,(1)支払方式がもつインセンティブによって患者と医療・介護サービス提供者の行動を誘導すること,(2)サービス提供体制を改革し,整備すること,(3)疾病・虚弱の予防に取り組むこと,の3点をあげることができる。
 経済的インセンティブに関係する施策は当然,経済学的分析が進んできたものの,後者の2つの分野の施策の評価には医学的視点が必要になってくるので,経済学者による分析は相対的に遅れているといえる。しかしながら,使用される資源への影響や政策の因果効果の推定には,経済学的分析が有用である。また,費用の適正化(削減)を図る経済的インセンティブの付与は保険機能の低下という副作用とのトレードオフに直面するが,ニーズに合致するようにサービス提供体制を変えていく施策は,費用の低下と質の向上のどちらか,あるいは両方を達成できる潜在的可能性があるという点から,現在の問題を改善するためには効果的であることが期待され,そのあり方について研究することは重要と思われる。
 ところが,これらの制度改革によって保険財政やQOLの改善がみられたかどうかは定かではなく,「政策評価」が十分に行われているとは言い難い。その背景には,わが国の医療・介護分野の政策決定が高度に政治的であり,PDCA(plan-do-check-act)サイクルが十分に根付いていないことがまず挙げられる。
 このことは,ニーズに合わせたサービスを提供する施策の推進に当たって,深刻な問題となる。こうした施策が有効となる背景には,施策の評価を行う仕組みが組み込まれていないため,現状の提供体制がニーズに適切に対応していないことがある。すると,PDCAサイクルが根付かないまま施策を推進すれば,それは問題をもたらす原因を放置して,問題の解決に向かう愚を犯していると言える。現在の医療・介護制度改革において,根拠に基づく政策立案ができる体制を実現することは,改革の成果をより大きくするということではなく,そもそも改革を成功させるための前提条件なのである。
 厳密な政策評価を行うことを極めて困難にしている問題に,そもそも医療・介護分野で利用可能なミクロデータが非常に未整備な状況であるという課題も存在する。
 この問題は,都道府県や市町村ではさらに深刻である。近年の医療・介護制度改革では,地域別の政策立案・評価が重要になりつつある。しかしながら,こうした地域単位の政策立案・評価に必要なデータ資源は,全国単位のそれに比べてさらに未整備な状態である。そこで我々の研究班は,健康施策の先進県である福井県の全面協力を得て,同県をフィールドにして,地域医療・地域介護における「根拠に基づく保健政策」のパイロット・スタディーを実施することにした。
 幸いにも,西川一誠福井県知事の強力なリーダーシップに支えられ,2009年度からは,福井県と東京大学高齢社会総合研究機構による共同研究の一環として,本格的な研究を実施する機会を得た。具体的には,福井県国民健康保険団体連合会が共同電算処理で管理している調査客体について,医療保険(国民健康保険)レセプト,介護保険レセプト,特定健診・特定保健指導データの情報を個人間で接合した「総合的パネルデータ」を構築し,それをベースに様々な政策研究や政策評価を行ってきた。
 個人の受けた医療・介護サービスの情報を連結するデータベースの構築は,これまでもいくつかの研究プロジェクトで試みられてきたものの,いずれも単一の市町村や病院単位など,小規模かつ試行的なものでしかなかった。福井県の全市町という大規模なフィールドで,このような「ビッグデータ」を構築したことは,その時点において,画期的な取り組みであったと言えよう。また,特定健診データも,制度開始時から接合可能な形でデータベースに組み込まれている。本書は,この貴重なデータを用いて,これまで4名の共著論文の形で学会,学術雑誌等に発表してきた共同研究の成果をまとめたものである。