岩本康志のブログ

経済,財政の話題を折に触れて取り上げます。

社会保障

Yahoo! ブログから引っ越しました。

誰が「後期高齢者医療制度」と名づけたか

 6日に,Twitterで山井和則厚生労働政務官が,以下のように呟かれていた。

「後期高齢者医療制度の公聴会。長妻大臣は、「後期高齢者医療制度を導入する際の議論では、後期高齢者という言葉がおかしい!という批判も全くなかったという。団体間の利害調整が制度づくりの中心になり、当事者の方々や国民の声が反映されていなかった。そこで、この夏、五回の公聴会を開催」と挨拶。」

 私は,後期高齢者医療制度導入の議論をした社会保障審議会医療保険部会に臨時委員として参加していたので,その場ではどのような議論がされていたかをお伝えしたい。結論からいえば,審議会には名称は諮られなかったので,制度名がおかしい,という批判は出ようがなかった。

 時間の経緯をたどると,2003年7月に医療保険部会(以下「審議会」と呼ぶ)が発足する前の3月に閣議決定された「基本方針」で,高齢者医療制度については,

「後期高齢者については、加入者の保険料、国保及び被用者保険からの支援並びに公費により賄う新たな制度に加入する。」
「前期高齢者については、国保又は被用者保険に加入することとするが、制度間の前期高齢者の偏在による医療費負担の不均衡を調整し、制度の安定性と公平性を確保する。その際、給付の在り方等についても検討する。」

と決められた。後期高齢者を区分する現行制度の骨格はここで決定されており,審議会の役割は,基本方針を肉付けしていくこと(最大の課題は,新しい高齢者医療制度の保険者をどうするのか)にあった。審議会は2005年11月に意見書をまとめたが,そこでは「後期高齢者医療制度」と「前期高齢者医療制度」のそれぞれのあり方が記されている。
 意見書に至る審議の過程で,やがて発足する制度の一般的呼称として「後期高齢者医療制度」がずっと使われていたが,これがそのまま実際の制度名になるとは,少なくとも私は意識していなかったし,同じ認識の委員も多かったのではないかと思う。制度の具体的名称は審議会の議題ではなかった。このような事情は,名称がつかなかった前期高齢者医療制度が並列で書かれていることや,政管健保は「国とは切り離された全国単位の公法人において運営」と書かれ,公法人の具体的名称はない(こちらも具体的名称の審議はなかった)ことからもわかる。
 審議会が意見書をまとめた後,医療制度改革法案が作成されるまでの間に,具体的名称が決まったことになる。政管健保の後継組織の公法人には全国健康保険協会という名称がつけられたが,後期高齢者医療制度は意見書での呼称がそのまま実際の制度名として使われた。その経過が審議会に報告されることはなかったので,今回の記事のタイトルとした「誰が名づけたか」の詳細は,私は知らない。審議会に諮られていないので,名称はおかしい,という声はそもそも出せない。
 審議会が名称を審議することはなくても,当事者に配慮して名称に「後期高齢者」を入れるな,という意見を表明しておけばよかった,という批判はあるかもしれない。私がそこに思い至らなかった点は反省したい。しかし,審議会が無神経に,後期高齢者医療制度という名称を容認したというわけではない。

 審議会が制度名に後期高齢者を使う意識はなかったとしても,なぜ審議会(およびそれ以前の議論)で後期高齢者という言葉が使われているのかについて,少し説明しておきたい。
 前期高齢者・後期高齢者は,学術用語として長らく使われている。医療保険以外の場でも,広く使われている。この用語が使われるようになったのには,高齢者の健康状態の改善が進んできて,高齢者を虚弱で支援を必要とする人たちという形で一括りにすることが時代にそぐわなくなってきたという背景がある。高齢者像を二分することで,元気な高齢者は社会に積極的に参加して貢献してもらうと同時に,虚弱で支援の必要な高齢者は引き続きしっかり支援するという形が,時代に即した施策である。個人の状態をきめ細かく把握して区分していければそれが望ましいが,例えば様々なデータを集めるといった実用の便宜上,75歳による区分が用いられている。
 学術用語としても当事者に配慮して後期高齢者を使うべきでないという批判もあり得る。英語はolder oldなので,日本語が不適当なのかもしれない。医療制度とは別にして,学術用語としても後期高齢者の用語が不適当なのかどうか。あまり大きな議論にはなっていないが,学界としてどう対応するのかという課題は残る。

被用者保険による高齢者医療費の支援の仕方

 4日の社会保障審議会医療保険部会では,協会けんぽの財政問題への対応策が議題にあがった。そのなかでの厚生労働省の提案が注目され,各所で報道されている。ネットで配信された記事の見出しは,

「協会けんぽに2500億円 厚労省が健保・共済負担案」(朝日新聞)
「協会けんぽの支援金負担 健保・共済が肩代わり 厚労省、22年度実施目指す」(産経新聞)
「健保連会長、協会けんぽ救済「肩代わりは断固反対」」(日本経済新聞)
「協会けんぽ:後期高齢者医療制度向け支援金の一部、健保・共済も負担--厚労省案」(毎日新聞)
「協会けんぽ穴埋め、組合健保などが負担へ」(読売新聞)

となっている。各紙が報道する内容は似通っていて,厚生労働省の提案は協会けんぽへの財政支援のために健康保険組合と共済組合の負担を増す内容であること,そのために現在は加入者数に比例して負担している75歳以上の高齢者の医療費への支援金を報酬に比例して負担する仕組みに変えること,負担が増える健保組合側が反対していることがのべられている。財政の悪化した協会けんぽのつけを健保組合に回すようなニュアンスが感じ取られて,厚生労働省の提案には好意的ではない。例えば,以下のような具合である。

「全国で約1500ある組合健保には協会けんぽと同じように赤字に苦しむところが多いため、協会けんぽのみ優遇する対応への反発は必至で、調整は難航しそうだ。」(読売新聞)
「厚労省は協会けんぽに比べ財政にゆとりのある健保組合と共済組合に肩代わりさせる意向だが、実現すれば健保加入者などの保険料は上がる可能性が高い。平井(健保連)会長は「健保組合もかつてない財政危機に直面している」と指摘し、救済案は協会けんぽを優遇していると非難した。」(日本経済新聞)

 私は厚生労働省の提案に賛成する。
 部会に提出された資料では,今年3月に高齢者医療制度に関する検討会がまとめた「高齢者医療制度の見直しに関する議論の整理」の以下の一節が紹介されている。

「一方、現役世代からの仕送りである支援金や前期高齢者の医療費を支える納付金については、現行制度では、それぞれの保険者の加入者数等に応じた費用負担としているため、財政力の弱い被用者保険の保険者の負担が過重になっている。このため、国保と被用者保険の間は加入者数で均等に分け、被用者保険の中では、財政力の強い保険者が財政力の弱い保険者を支援するものとなるよう、保険者の財政力に応じた応能負担による助け合い・連帯の仕組みにすべきであるという意見があった。」

 この意見は,検討会の委員であった権丈善一先生(慶応大学)と私が発言した内容に相当する。検討会では,そもそも支援金の公平な負担のあり方とはどのようなものか,という観点からこのような意見が導き出された。加入者数に応じた負担では,加入者の所得が低い団体での負担能力が問題になってくる。被用者保険の世界では,ひとつの組合のなかでは報酬比例の負担が定着しているのだから,それを組合内だけでなく,被用者保険全体に広げることで,年々上昇する医療費を少しでも払える態勢にしてはどうか,というのが私の考えである。このことは,サラリーマンであれば,就職した会社の平均所得水準で保険料率に差がつかないようにすることを意味している。本来は,国保も合わせて負担能力に応じた負担にするのが最善であるが,所得捕捉の問題があり,すぐには実現できない。すぐに実現できる形として,当面は国保と被用者保険の間は現状通りとして,被用者保険のなかを改革すれば,上に引用されたような姿になる。
 こうした方向への改革の障壁は,負担増となる健保連が反発することに加えて,メディアがなかなか好意的に報道してくれないことである。全国の健康保険組合に関しての保険料率をはじめとした情報が,健康保険組合連合会が毎年発行する『健康保険組合事業年報』に掲載されている。年報の最新版は2006年度の情報なので,少し古くなるが,以下は,東京の主要なテレビ局・新聞社・通信社の健保組合の保険料率(雇主負担を含む)と標準報酬月額である。

日本放送協会 5.6% 635,019円
読売 6.4% 597,992円
共同通信社 6.0% 839,593円
時事通信社 5.5% 641,838円
日本経済新聞社 5.39% 678,280円
東京放送 6.0% 705,006円
中央ラジオ・テレビ 6.4% 463,416円(フジテレビが加入する健保組合)
日本テレビ放送網 5.0% 888,940円
毎日新聞 6.6% 488,371円
産経 6.3% 457,068円
朝日新聞 6.3% 723,785円
テレビ朝日 5.6% 509,223円

 同年度の政管健保(協会けんぽの前身)の保険料率は8.2%,平均標準報酬月額は283,218円であった。私が加入する文部科学省共済組合の保険料率は6.594%,平均標準報酬月額は467,843円であった。健保組合の保険料率は組合ごとに差があって,なかには政管健保よりも高いところもあるが,平均では政管健保よりも低い。上にあげた組合の保険料率は,健保組合のなかでも低い方に属する。所得が増えても医療費はそれに比例するほど増加しないから,大手メディア企業社員も公務員(国立大学教員は非公務員だが)も,所得が高い人が集まることによって,保険料率を低く抑えることができている。
 要は,それでいいのか,という問題である。
 厚生労働省の提案が実現すると私の保険料は上がることになるが,私はこの提案に賛成する。それが,より公平で合理的な負担の仕方だと思うからである。これを提案した厚生労働省の役人の保険料も上がる。大手メディア企業の社員の保険料も上がることになるが,それに賛成する人が増えてほしいと思う。

(注1)
 12月4日の医療保険部会の資料はまだ厚生労働省のサイトに掲載されていない。一般国民は,メディアを通じてしか部会の様子を把握できない状態にあるのは,厚生労働省にとっても損なことだと思う。

(注2)
 協会けんぽの保険料は労使折半だが,健保組合では雇主負担の割合が大きいことが多い。このため,労働者負担の保険料率の差はより大きくなる。しかし,経済学的には労使合計の保険料負担がより妥当な概念なので,それで比較することにする。

(関係する過去記事)
『財政調整・一元化に対する健保連の考え方』に対する私の考え方

(参考)
「高齢者医療制度に関する検討会」議論の整理について(2009年3月)
http://www.mhlw.go.jp/shingi/2009/03/s0324-13.html

健康保険組合事業年報
http://www.kenporen.com/book/book04.html

国家公務員共済組合事業年報
http://www.mof.go.jp/jouhou/syukei/nenpou/nenpou.htm

社会保障統計年報(平成20年版)
http://www.ipss.go.jp/s-toukei/j/20_s_toukei/nenpo20.asp

年金論争を堕落させる『週刊東洋経済』誌

 ブログ執筆に使える時間は限られているので,世の中にあふれる質の悪い記事にいちいち反応することはないのだが,日本を代表する経済誌であるはずの『週刊東洋経済』誌10月31日号の特集「民主党でどうかわる?!年金激震!」の「Part 2 年金不信はなぜ広がった?」での経済学・経済学者攻撃はあまりにも問題が大きい。
 記事では,公的年金による批判を「年金破綻論」と呼び,公的年金について発言する多くの経済学者の名前を列挙して,その主張が間違いだと批判している。
 しかし,名前を挙げられた鈴木亘学習院大教授がブログ記事で反論している(http://blogs.yahoo.co.jp/kqsmr859/30187208.html )ように,『週刊東洋経済』誌の記事の方に多くの問題がある。批判の対象になった他の経済学者もブログやホームページをもっている方が多いので,これからさらに反論も出るかもしれない。
 個別の論点の議論は名前があがった先生におまかせするとして,私がここで問題にしたいのは,公的年金のあり方を経済学的に考えようとする経済学者の態度がほぼ全否定されていることだ。これが如実に現れるのは,世代間不公平論をめぐる以下の記述である。

「世代間不公平論は、公的年金を市場経済の領域である民間保険の考え方で眺め、そこに問題点を発見する。しかし、彼らから見れば問題である世代間格差などは、政治システムの領域である社会保障の考え方で見ると、まったく問題でないどころか、それなくして老後の所得保障という公的年金の目的を達しえないものだ。この事実に気づかない限り、世代間不公平論はこの世から消えることはないだろう」

 公的年金に対する経済学的な見方が市場経済の視点のみ,だということはない。世代間所得再分配が必要であれば公的年金が必要となるという考え方は,「政府の役割」に関する経済学の議論のなかにきちんとある。あるべき姿とは違った所得再分配が政治過程から生じることも政治経済学によって分析されている。それらを踏まえて,現行制度による再分配が合理的なものか否か,もっとよいものはないのかどうか,を議論すべきなのである。
 政策を議論する共通の土台は,市場の失敗があれば政府が介入する余地はあるが,政府の失敗がより事態を悪くする場合もある,ことである。経済学者と政策当局が政策をめぐって意見を闘わす場合があるが,議論の土台には共通の理解があった上で,役所は市場の失敗を重視し,経済学者は政府の失敗を重視している場合がほとんどである。議論によって事実判断の差が埋まれば,意見は近づく。しかし,役所が「経済学は,市場で何もかもうまくいくと勘違いしている。政治システムの領域だとわかっていない」と言えば論争に勝った,と思っているところでは,議論は実らない。公的年金をめぐっての経済学者と厚生労働省との長年の論争は,そういう場所だった。
『週刊東洋経済』誌が,例えば現行制度と鈴木教授の改革案とを共通の土台の上で比較する視点からの特集を組めば,非常に有意義な記事になっただろう。しかし,同誌は,鈴木教授の反論の掲載を拒否したようなので,現行制度の肩をもつことを選択したようだ。同誌が,経済学的な考え方を矮小化した上で,政府がおこなう所得再分配を無批判に肯定することになったのは,とても信じられない。


(参考)
「週刊東洋経済の取材姿勢に対する疑問」(学習院大学教授・鈴木亘のブログ(社会保障改革の経済学)
http://blogs.yahoo.co.jp/kqsmr859/30187208.html

『週刊東洋経済』2009年10月31日号
http://www.toyokeizai.net/shop/magazine/toyo/detail/BI/01ed426ad6b6bbffc7abd25143da8d0c/

【政権選択選挙】民主党の「子ども手当」案

 民主党マニフェストの主要政策で最大の財源を必要とするのが,義務教育終了時まで1人2万6千円を支給する「子ども手当」である。この政策には,評価できる点と疑問符がつく点がある。
(1)
 まず,現在の扶養控除を廃止し,それを財源に児童手当を充実させることには賛成である。
 現行制度の所得税と住民税の扶養控除は児童手当以上に大きな経済的支援になっている。扶養する子がいると,所得税の課税所得が38万円減少し,限界税率10%だと年間3.8万円税金が安くなる。住民税の課税所得は33万円減少し,限界税率10%だと年間3.3万円税金が安くなる。両者を合わせると,月額で5917円の実質的な「手当」をもらっていることになる。児童手当は小学生までが対象だが,扶養控除は年齢制限はない。
 扶養控除の問題は,所得が低くて税金を払っていないと,その恩恵がなくなることである。失職等で生活が苦しくなっても子育ては続くが,そのときに扶養控除による支援は消えてしまうのである。所得にかかわらず支給される手当にすれば,苦しいときも支援は継続する。ここが,「子ども手当」が単なるバラマキではない意義である。
 また,扶養控除による支援は,高所得者に手厚くなる。所得税の限界税率が33%の家庭では,子供1人当たり年間12万5400円税金が安くなる。景気が最近の出生率の動向に影響を与えているといわれており,低所得者への支援が重要と考えられる。所得を問わず一律支給の児童手当の方が,同じ財源総額でも子育て支援の効果は大きくなるだろう。
(2)
 それ以上の財源をつけて,児童手当を充実させることは,政府支出をめぐる価値観の問題になる。ある程度の充実には賛同する国民は多いと思われる。しかし,中学生まで1人2万6千円を支給するためには5兆円近い新規財源を必要とするので,その財源のために削られた歳出とつりあいがとれるかどうか。歳出削減の具体的内容が判明しないと評価はできないが,過ぎたるは及ばざるがごとし,になるかもしれない。
(3)
 財源確保のために扶養控除と配偶者控除を廃止した場合,[2009年7月17日追記:当初はここに「子ども手当の対象とならない高校生をもつ家庭には,扶養控除の廃止の増税のみが来る。」と書きましたが,0~15歳のみの扶養控除を廃止するようなので,この記述は削除します]増税とはっきりいわずに「控除の見直し」という言い方を民主党はしているが,実際に実行するにあたって,すんなり受け入れられるかどうかは未知数だ。
(4)
 民主党案の制度設計の詳細に関して,私なら絶対に避けたいことが2つある。
 第1は,スケジュールの問題。民主党は,最初の2年間は半額(1万3千円)支給,その後に全額支給の2段階で実施するとしている。後で支援を充実することを決めるのは,そのときまで産むのを控えようという行動を誘発するので,少子化対策としては疑問符がつく。とくに現在は第2次ベビーブーム世代が出産適齢期を終えつつある段階であり,出産の先送りが結局は出産の断念につながるおそれもある。子育て支援は一気に充実,が鉄則である。
 なお,スケジュールは税制と連動して考えないといけない。諸控除の廃止を2010年度税制改正に盛り込んでも,不利益遡及を避けると,適用は2011年1月からになるだろう。控除の廃止と手当の充実の時期をうまく一致させて,家計の可処分所得が乱高下するのを避けるべきだ。税制と社会保障にまたがっての制度設計が必要であり,総合調整力を発揮できるかどうかの試金石になる。
(5)
 第2は,支給間隔の問題。現行の児童手当は4か月ごとに年3回の支給である。民主党は何度か「子ども手当法案」を国会に提出しているが,この支給回数は変更しない。すると,子ども2人が対象となる家庭が満額の子ども手当を受給すると,4か月に1度,20万8千円が口座に振り込まれることになる。ミルクやおしめ代に使ってもらうには,適当なお金の渡し方とはいえない。対象と金額を充実させるなら,毎月支給か,少なくとも隔月支給に改めるべきだろう。
 これは,民主党政権が誕生した場合の構造的な課題を端的に示す例である。官僚に頼らず立案された民主党の政策には,このように詰めが甘い部分が随所にある。政治家が大きな部分を決め,官僚が細部を詰めるのは健全な分業であり,詰めの甘さ自体を責める気はない。注目すべきなのは,民主党が政権に就いたとき,事務方が「子ども手当法案」に支給回数の変更を加えるように進言したときにどういう対応をとるかである。民主党の政策に賛成しない役人はクビにする方針のようだが,政策を骨抜きにする抵抗と改善する提案を正しく識別できないと,事務方が「物言えば唇寒し」と感じて消極的になって,詰めが甘いところで足元をすくわれるような事態も起こりかねない。

(参考)
民主党「子ども手当法案」(2008年12月に第170回国会に提出)
http://www.shugiin.go.jp/itdb_gian.nsf/html/gian/honbun/g17002003.htm

「財政調整・一元化に対する健保連の考え方」に対する私の考え方

 昨年12月4日に健康保険組合連合会の財政調整・一元化阻止特別委員会が報告書(http://www.kenporen.com/press/pdf/20081205173410-0.pdf )をまとめ,健保連は「財政調整・一元化に絶対反対」を訴えている。
 私の考える医療保険のあり方とは大きく対立する意見なので,報告書の文章に,私の意見をつける形式の文書を作成して,Webサイトに掲載した(https://iwmtyss.com/Docs/2009/ZaiseiChoseiIchigenkanitaisuruKenporennoKangaekatanitaisuruWatashinoKangaekata.pdf )。ここでも,以下に全文を掲載する。


「財政調整・一元化に対する健保連の考え方」に対する私の考え方

岩本 康志

 この文書は,健康保険組合連合会「財政調整・一元化阻止特別委員会最終報告」(2006年12月)「別添1 財政調整・一元化に対する健保連の考え方」より,関係する部分を抜粋し(「」をつけた部分),それに対する私の考え方をその後につける構成となっている。
 私の考える医療保険制度のあり方は,運営は保険者機能を発揮できる多元的制度として(現状で問題なければ現状のままでいい),財政調整によって給付と負担制度の実質的な一元化を図る(段階的に時間をかけて進める)ものである。健保連の整理では「財政調整」に相当するが,その理念は「一元化」にも関係する。ただし,運営の一元化を目指しているわけではないので,完全な単一制度を目指す構想に対する批判は,私の考え方とは直接関係ないので,ここではとりあげない。
 一元化を図る意義は,どこの制度に属しても給付と負担のルールは基本的に同じになるようにして,制度が不公平だと国民が感じないようにすることである。国民は一生を通じで日本の医療保険に対して保険料を払い,給付を受けている。職業,住所,年齢が変わることで制度を移ることがあるが,制度ごとに給付と負担のルールがばらばらなのがいいのか,日本のなかの制度だからルールは同じなのがいいのかを問えば,後者がいいのは明らかだろう。ルールを同じにする調整は,保険制度間の財政調整でおこなえばいい。健保連は現状で過大な負担を負っているというが,それは当たらない。

 1.一元化の問題点
「一元化は、制度の基本にかかわる重要な問題である。制度のあり方に関する本質的な議論を行わないまま、国の財政事情や格差問題に対する批判の高まりに安易に同調して制度の基本を変更するようなことは、絶対にあってはならない。」

 私は12年前から本質的な議論をしているつもりである。(「試案・医療保険制度一元化」,『日本経済研究』,第33号,1996年11月,119-142頁)
 リスク構造調整案は,医療保険制度改革の一連の議論のなかで検討されてきたものであり,安易な提案はない。



「医療保険制度は、望ましい医療・保健サービスの実現に向けて、保険料を負担する加入者が連帯感を持って運営に参加することが重要である。加入者・患者の声を代弁するために、また疾病予防、医療費適正化等のために、保険者が果たすべき役割も大きい。
 医療保険のこうした特質から考えると、制度体系は、その多くが退職者とその配偶者で地域のなかで生活することが多い高齢者の制度を別建てとしつつ、会社で働く現役世代の被用者は健保組合、協会けんぽ(旧政管健保)等の被用者保険に、地域とのつながりが強い自営業者や法人以外の小規模事業所で働く被用者は国保(国民健康保険)に加入する多元的な体系とし、それぞれの保険者が運営に努力する体制をとるべきである。」

 運営の別建てと財政の別建てはまったく次元の違う話である。運営の別建てには異論はない。
 現役世代は年をとれば高齢者になる。労働者は同僚と連帯できても,将来の自分と連帯できないという枠をはめる必要はない。被用者保険と高齢者医療制度との関係は,現在の自分と将来の自分との連帯を含めて考えるべきである。そうすれば,運営の別建てと財政状況の平準化は両立できる。



「被用者、退職者、自営業者等が加入する一元化された制度のなかで、公平で統一的な保険料賦課方法を確立することは極めて困難である。一元化した制度では、所得把握や保険料収納率の違いから、総じて被用者が不合理かつ多額な負担を強いられる可能性が高い。」

 公平な税をもたない国に将来はないので,所得捕捉の違いはいずれ解決しなければいけない問題であり,あくまで短期的な障害である。
 当面の現実的な策として,被用者保険と国保の間では1人当たり負担額の均等を図る等,所得捕捉の違いに配慮した制度設計は可能である。
 なお,健保組合のなかで保険料率の差異があるが,所得把握にほぼ差のない被用者間で公平で統一的な制度となっているのだろうか。
 ここでの指摘を踏まえれば,現在の国保が退職者,失業者,非正規雇用者,自営業者等が一元化された制度となっていることが大きな問題だろう。国保加入の非正規労働者はできるだけ健康保険に移すべきである。



2.財政調整の問題点
「多元的な制度体系のもとでは、加入者の所得、年齢等の違いによって、制度間の負担に不均衡が生じるが、行政が運営する市町村国保と公法人が運営する被用者保険、また同じ被用者保険でも、企業や業種を単位に平均2 万人が加入する1500 の健保組合と、3600 万人が加入する単一組織の協会けんぽでは、制度の存立基盤や運営組織、加入者の就労・稼得の実態等が異なることから、原則的に制度間の財政移転は行うべきではない。」

 加入者の就労・稼得の実態がちがうからこそ,制度間の財政調整をおこなうべきである。



「所得水準の違いによる負担の不均衡を是正するための制度間の財政調整は、実質的に所得と負担に着目した所得の再分配にほかならないが、医療保険制度は所得再分配を主要な目的とするものではない。所得再分配は、税によって行うのが本来のあり方である。」

 かりに保険医療保険内部で所得再分配をしない場合は,低所得者が負担に耐えられず,国民皆保険が崩れてしまう。現在のどの制度でも少なからず所得再分配はおこなわれており,それをなくすことはできない。そもそも組合健保では,報酬比例の保険料なので,組合内の高所得者と低所得者の間で所得再分配がおこなわれている。



「また、医療保険制度間において所得再分配を行うことは、高齢化にともなって急増する医療費の負担を、主に賃金によって生計を立て、所得が相対的に高く税負担が多い健保組合の加入者により重く課す結果となる。この点からも、所得再分配は保険料ではなく、賦課ベースの広い税によって行うべきである。」

 税も現役世代が多くを負担しており,賦課ベースが大きく広がるわけではない。保険料の方が給付と負担の対応関係がつけやすいという利点がある。



「 一方で、国庫補助をほとんど受けずに自立的な財政運営を行っている健保組合が、多額かつ過大な負担を強いられている。」

 過大であるという証明がされていない。



3) 限界に達している保険料による不均衡是正
「 健保組合は、加入者1人当たり医療費が他制度より低いにもかかわらず保険料負担が多い。負担と給付の対応関係から、過大な負担は加入者の納得を得られない。」

 健保組合加入者と高齢者の1人当たりの医療費の違いは,ほとんど年齢の差による違いである。高齢者に負担と給付の対応関係を求めるなら,高齢者には一桁大きい負担を求めなければいけない。健保組合加入者はやがて高齢者になるのだが,それを負担することに納得しているのか。



「 負担が増えれば、さらに多くの健保組合が解散に追い込まれ、医療保険を支えてきた健保組合制度自体が崩壊する。」

 加入者は協会けんぽへ移行するので困らない。



「 負担増によって健保組合の財政が悪化し、解散組合が増えれば、協会けんぽへの国庫補助が増えるという悪循環が生じる。」

 税による財政調整を求めていたのではないのですか? 国庫補助が増えた方が保険料を下げる余地が生じる理屈にならないか。



「 経営努力やその他の要素を考慮せず、負担だけに着目して調整を行うことは過剰な調整であり、公平とはいえない。保険者の経営意欲も減退させる。」

 経営努力は当然に考慮されるので,批判は当たらない。協会けんぽに導入された都道府県別保険料は,都道府県の各支部が経営努力をすれば保険料を下げられる。



「また、所得にもとづく財政調整はもとより、拠出金による負担方式は、健保組合の財産権を侵害するのではないかとの疑いもある。」

 ならば提訴してください。司法の場で決着をつけるべきである。



「 健保組合の支援金等の負担は、すでに保険料収入の45%を超えている。本来、加入者への給付に使われるべき保険料の多くを他制度に拠出することは、保険制度の意義や保険者の自主性・自立性を損ねる。」

 加入者への給付のみに使われるのが本来の姿ではないことは,すでにのべた通りである。財政調整は保険制度の自主性・自立性を損ねない。
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