岩本康志のブログ

経済,財政の話題を折に触れて取り上げます。

COVID-19

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感染流行の第1波を乗り越えることで得たもの(そのZ)

「何もしなかったら死亡したであろうX万人の余命を平均Y年延ばした。その価値は国内総生産(GDP)のZ%である」の「Z」について。
 これは、『感染症対策の評価に用いる統計的生命価値』で解説した統計的生命価値を用いて、延ばした余命を貨幣価値化することになる。これは誰かが天の声で命に値段をつけたわけではなく、われわれが日常生活のなかで、十分に小さいがゼロではないリスクを軽減するためにどれだけの対価を払っているかを計測して、そうした行動と違和感のない政策決定をするために、用いる概念である。
 自動車の安全装備を例にとろう。2019年の日本の交通事故の死者数は、3,215人である。2019年の年央人口は1億2,626.5万人であるので、日本では1年間で交通事故で死亡する確率は平均で10万分の2.5である。われわれの社会は、この交通事故で死ぬ確率をほぼゼロにするために、自動車を使わないようにしようとはしない。自動車を使う便益が大きいので、このリスクを受け入れて、交通安全に気を付けて自動車を運転している。ただし、いくばくかの費用を負担して、いくらかは交通事故による死者を減らしたいと思えば、自動車に安全装備をつける。こうした日常生活での意思決定に近い形で判断を行えば、国民の意識から離れた政策にはならないだろう。これが、統計的生命価値で妥当な推計値を求めようとするときの根底にある考え方である。
 統計的生命価値として日本で広く使われているのは、内閣府が推計した2億2,600万円(2004年度価格)である。この推計は、10万分の6から10万分の3に死亡リスクが低下する安全グッズにいくら支払ってもよいか、を人々に尋ねる仮想評価法(CVM)に基づいている。同年度の1人当たり消費が267.1万円(家計現実消費支出341兆3,567年億円、年央人口1億2,778.7万人)なので、消費の85年分となる。『感染症対策の評価に用いる統計的生命価値』で紹介した、EPAの設定値の43%である。
 対消費比が一定として2018年度の価値に換算しよう。同年度の1人当たり消費は293.7万円であり(2018年度の家計現実消費支出は371兆3,081億円、年央人口は1億2,644.3万人)、2004年度より9.9%増である。1年当たりの価値は、2004年の『簡易生命表』による日本人全体の平均余命41.9歳を用いると593万円、費用便益分析で標準的に用いられている4%の割引率で割り引いた平均余命18.6年を用いると1,333万円になる(2004年の『人口推計』では90歳以上がまとめられているため、2005年の『国勢調査』の年齢別人口の比率で90歳以上の人口を『簡易生命表』の年齢区分に合わせるように補正した)。消費の2.0年分となる(4%で割り引いた場合は4.5年分)。
 その他の推定値としては、例えば大日・菅原(2006)は、延命効果がある新しい治療法に対する支払意思額を尋ねる調査から、1年当たりの価値を635~670万円(2005年度価格)と推計している。
『感染症対策の評価に用いる統計的生命価値』で紹介したように、致死率の高い感染症のような大きなリスクに対しては、非常に小さいリスクについて推計された統計的生命価値が過大評価になっている可能性がある。しかし、まだ評価が定まっているわけではないので、ここでは過大推計の可能性に注意しながら、内閣府推計値を用いる。

 では、「Z」を計算しよう。まず、「X万人の余命を平均Y年延ばした」については、X=42万人、Y=0.5年/人として、21万年分が、確かに得られたものとなる。ワクチンが開発されれば、最大でY=12.2年/人となるが、これは賭けである。上述の統計的生命価値の推計に基づくと、21万年分の延命の価値は日本の消費総額の0.34%となる。GDP比に換算すると0.22%となる(家計現実消費とGDPの両方の計数が得られる2018年度の数値に基づく)。費用便益分析で使われる割引率4%で割り引いた場合には消費の0.76%、GDPの0.51%となる。割り引いた値を用いると、「Z」は0.51%である。
 すべてをまとめると「何もしなかったら死亡したであろう42万人の余命を平均半年延ばした。その価値は国内総生産(GDP)の0.5%である」。これが第1波を乗り越えたことで得たものである(ただし、依拠する前提の数値次第で変わり得る)。ワクチンが開発されれば、得られるものはGDPの4.5%になる。なお、ここで考えている対策とは政府によるものだけではなく、民間が自主的に行う予防・自衛も含まれる。
 GDPの0.5%とは、ずいぶんと小さい、そんなはずはない、と感じただろうか。このことに関連した興味深い研究がある。Hargreaves Heap et al. (2020)[2020年6月20日追記。著者名の誤記を修正]は、新型コロナウイルス感染症の流行最盛期の4月に米英の市民を対象に、仮想評価法で統計的生命価値を推計したところ、通常の推計値の約10倍のものになったと報告している。そして、都市封鎖の経済損失の予測を知らせた上で繰り返し同じ調査をすると、人々の回答は統計的生命価値の推計値を下げる方向に変わった。このことから、命を守ることへの支払意思額は状況に左右されて、感染症流行期に特殊な状態にあることが推測される。生命重視で経済活動を制限する対策が最初は政治的に支持されても、後で生命と経済の比重が変わって、制限緩和の要求が高まることも示唆される。
 そして、意思決定をした選好と十分な情報が与えられての選好が異なる場合、政策評価は後者の選好に基づいて行われる(岩本 2009、Boardman et al. 2018, pp. 137-139)。
 通常期の判断を、別の角度から考えてみよう。『社会保障費用統計』(国立社会保障・人口問題研究所)によれば、2017年度の「保健」への支出は、41兆8,713億円(GDPの7.7%)である。医療がなければ救われない命を、日本の医療は毎年たくさん救っている。われわれは医療にGDPの7.7%をかけて、1億2,600万人の命を預けていると言える。これが通常期の医療へのお金の使われ方である。それと比較して、新型コロナウイルス感染症から救うために(人間一度は死ぬので、他の理由で死ぬために)いくら使おうと思うだろうか。

 ここまで感染症対策の効果を見てきたが、一方で感染症対策で失ったもの(費用)は何だろうか。費用とは、政府が感染症対策と経済対策で計上している経費ではない。定額給付金、雇用調整助成金、持続化給付金等の現金給付は所得再分配であり、感染症と感染症対策で生じた被害を別の場所に移す働きをするものだ。根源の被害を見なければならず、それは、政府による対策だけでなく民間による自主的な予防・自衛も含めての対策による経済活動の収縮分であり、まずGDPの収縮分がある。つぎに、事業継続できなかったことで清算された資産がある。ただし、これらは感染症自体がもたらした被害と一緒に現れるので、その実額は直ちにはわからない。
 感染症対策で得たものは他にもあるだろうか。1つは、有症感染者は有症期間に経済活動に従事できなくなることや生活の質が損なわれる損失があって、これを半年先延ばしにできたことだろう。『感染流行の第1波を乗り越えることで得たもの(そのY)』で触れた通り、損失を半年先送りすることの便益は、損失の約2%である。このため、上で計算した人的被害の推計誤差の範囲に入るくらいのわずかなものになるだろう。
 他に得たものもさほど大きくなく、ワクチンも開発されないならば、GDPの0.5%分の価値を得たとしても、かりにGDPの5%でも失ったとしたらおそらく桁違いの大損害だろう。

(参考文献)
Boardman, Anthony E., David H. Greenberg, Aidan R. Vining and David L. Weimer (2018), Cost-benefit Analysis, 5th ed., Cambridge University Press. 

Hargreaves Heap, Shaun P., Christel Koop, Konstantinos Matakos, Asli Unan and Nina Weber (2020), “Valuating Health vs Wealth: The Effect of Information and How This Matters for COVID-19 Policymaking,” VoxEU, 06 June.

岩本康志(2009)「行動経済学は政策をどう変えるのか」池田新介・市村英彦・伊藤秀史編『現代経済学の潮流2009』,東洋経済新報社,61-91頁

大日康史・菅原民枝(2006)「1QALY獲得に対する最大支払い意思額に関する研究」『医療と社会』16巻2号, p. 157-165.

(参考)
内閣府政策統括官(共生社会政策担当)『交通事故の被害・損失の経済的分析に関する調査研究報告書』2007年3月

日本の統計的生命価値のその他の推計については、下記報告書の「参考資料5」で展望されている。
内閣府政策統括官(共生社会政策担当)『平成23年度交通事故の被害・損失の経済的分析に関する調査報告書』2012年3月

(関連する過去記事)
『感染症対策の評価に用いる統計的生命価値』

『感染流行の第1波を乗り越えることで得たもの(そのX)』

『感染流行の第1波を乗り越えることで得たもの(そのY)』

感染流行の第1波を乗り越えることで得たもの(そのY)

「何もしなかったら死亡したであろうX万人の余命を平均Y年延ばした。その価値は国内総生産(GDP)のZ%である」の「Y」について。
 まず、死亡者の平均余命を求める。死亡者は大きく高齢者に偏っているので、年齢別の情報が必要だが、厚生労働省が発表する全国の集計値(注)は高齢者が80歳以上でまとめられていることと男女別でないため、平均余命の計算には向いていない。ここでは、より詳細な東京都の感染者の情報を活用して、全国の数値を細分化して、平均余命の計算に生じる誤差を小さくすることを試みる(他にも方法はあるかもしれない)。

(注)集計方法が異なるため、厚生労働省が毎日発表する死亡者の総数とは一致しない。

 70代までは、全国の死亡者を男女別に配分するため、

(全国の男性の死亡者/全国の男性の人口)=a(東京都の男性の感染者/東京都の男性の人口)
(全国の女性の死亡者/全国の女性の人口)=a(東京都の女性の感染者/東京都の女性の人口)

が成立するものとして、

全国の死亡者=a×東京都の男性の感染者×(全国の男性の人口/東京都の男性の人口)+a×東京都の女性の感染者×(全国の女性の人口/東京都の女性の人口)

の関係式によって、データからaを求める。このaを使って、男女別の死亡者を求める。
 80歳以上は、同様の方法で、80代、90代、100歳以上の男女別に配分する。以上の手順で計算された死亡者数(6月3日18時時点)は以下のようになる。合計は、厚生労働省の発表した数値で、右の2列は上記の手順による推計値である。推計値は整数でないが、推計なのでとくに整数にする処理はしていない。

合計

10歳未満

0

0.0

0.0

10

0

0.0

0.0

20

0

0.0

0.0

30

4

2.3

1.7

40

9

6.1

2.9

50

19

11.8

7.2

60

68

43.4

24.6

70

172

104.1

67.9

80

354

103.3

123.9

90

31.8

92.4

100歳以上

0.7

1.9


 つぎに、2018年の『簡易生命表』と2018年10月1日現在の年齢別人口(『簡易生命表』が日本人のもののため、総数ではなく日本人を使う)を用いて、各年齢階層の平均余命を求める。これを用いて、死亡者の平均余命を計算すると、12.0年になる。費用便益分析で使われている社会的割引率4%で割り引くと、8.7年である。これ以降、将来の数値を割り引かないで単純合計した数値と4%で割り引いた数値の2つを説明していく。最終的には割り引いた数値に準拠するが、割り引かない単純な計算を先に説明する。
 東京都の細分化された情報を使わないで、厚生労働省資料に基づいて計算した場合の平均余命は12.7年、4%で割り引いた場合は9.1年と過大推計になることがわかる。Yについては、的確な情報さえあれば推計値の幅はあまり出ないものである。厚生労働省の発表する資料で誤差が出るとすれば、高齢者については、より細分化された情報が公表されることが重要である。

 以上で計算した平均余命がYになるのは、流行全体で死亡者が減少するときである。その1つは、ワクチンが開発されて、新型コロナウイルス感染症による死亡者が減少したときである。つまり、ワクチンが開発されて、感染症で死亡する心配をしなくていいときである。もう1つは、被害緩和対策(mitigation)によって、流行のピークを抑えて、医療資源の制約を超えたために救えなかった死者を減少させたときである。
 日本の場合は、第1波を乗り越えただけであり、これから何もしなければ第2波に見舞われるものと考える必要がある。下の表は、何もしない場合(上の行)と第1波を被害なしで乗り越えた場合(下の行)の違いを比較したものである。第1波で何もしなければX万人が死ぬが、流行が終わったのでそれで終わる(第2波は考えなくていい)。感染症対策によって第1波をほぼ被害なし(ここでは簡単な例とするため死者ゼロとしておく)で乗り越えた場合、その対策だけを考えるのなら、第2波は何もしない、という形にして比較しなければいけない。したがって、第2波でX万人死ぬ。つまり、これまでの対策の効果とは、死亡者を先送りしたことである。現実の第1波では残念ながら本稿執筆時点で900人超の死者が出ているが、X=42万人の根拠も怪しげで、幅を持って見るべき数値なので、42万人から第1波での死者を控除することなく、そのままX=42万人の想定を置くことにする。

1波(対策、死者)

第2波以降(対策、死者)

何もしない

X万人

(考える必要なし)

0

対策を打つ

0

何もしない

X万人


 第2波を乗り越えることで得るものは、第2波の到来時に新たな対策で対応することの成果であり、第1波の対策の効果に加えるべきものではない。それぞれの波ごとに対策と効果を対応付けるべきだろう。ここまでの対策によって生じた経済的被害と対策の成果を比べたい場合には、これからの対策による成果を加えて、それから生じる経済的被害を無視するような考え方は適当ではない。
 第2波の到来は、流行に季節がある場合に寒くなってきたときか、入国制限が緩和されたが検疫が不十分な時が考えられるが、しばらく小康期があるとしても、半年~1年程度の猶予を得たものと考えられる。確実に得たものを固く見積もると、「Yは半年」となるだろう。
 年4%で割り引いている場合には、半年先送りされた平均余命の現在価値は当初の平均余命の価値よりも約2%(≈1-1/1.02)小さくなる。8.7年の約2%なので、約2か月である。厳密にはこの部分を差し引かなければいけないが、元の半年の見積もりも幅を持ってみるべき数値なので、そのまま「Yは半年」としておく。
 ワクチンが早期に開発されれば、流行をほとんど先送りにしたことの利益は大きい。「Yは12年(あるいは9年弱)」の利益が得られるだろう。しかし、ワクチンが開発されるかどうかはわからないので、これは賭けが当たれば得られるものである。

 まとめ。「Y」の大きな部分はワクチンが開発されるまで、感染を先送りすることである。ただし、これは振り幅の大きな賭けである。確実に得たものは「半年」である。

(「そのZ」へ続きます。)

(参考)
「新型コロナウイルス感染症の国内発生動向」(令和2年6月3日18時時点)

東京都_新型コロナウイルス陽性患者発表詳細

(関係する過去記事)
『感染流行の第1波を乗り越えることで得たもの(そのX)』

感染流行の第1波を乗り越えることで得たもの(そのX)

 緊急事態が解除され、次第に経済活動への制限が解かれつつある。ここまでの新型コロナウイルス感染症の第1波を抑え込むことでわれわれは何を得たのか。それにはどれだけの価値があったのか。これは、感染症対策を評価するにあたって、対策の効果を測定することである。
 得たものは、まずは人的被害の軽減である。死者だけで評価すると、「何もしなかったら死亡したであろうX万人の余命を平均Y年延ばした。その価値は国内総生産(GDP)のZ%である」という形に定量化できる。このX、Y、Zの数値を評価してみよう。

 X万人は、被害想定であるが、ここでは死亡者しか考慮していない。重症からの生還者では肺機能が完全に回復せずに、予後の生活の質が落ち、余命が短くなる被害があるかもしれない。しかし、既存研究は死亡損失のみを考慮している。それ以外の損失を評価できるだけの十分なデータがないのが理由だろう。ここでは、現状の研究動向にならう。
 このX万人は、政策当局側からは異様な形で発表された。そこに至る経緯を見ていこう。
 3月2日に持ち回りで開催された新型コロナウイルス対策専門家会議(第5回)の資料に、「新型コロナウイルス感染症の流行シナリオ(2月29日時点)」がある。これは、日本医療研究開発機構感染症実用化研究事業(新興・再興感染症に対する革新的医薬品等開発推進研究事業)「感染症対策に資する数理モデル研究の体制構築と実装」(研究開発代表者:西浦博)の報告書である。冒頭にあるように、「本シナリオは、各都道府県において、今後の対策を検討するにあたり地域内の流行状況や年齢構成等の地域性を十分に踏まえて医療体制の整備を行う際の参考にしていただくため、現時点での情報に基づいて示すものである」。そして、基本再生産数について、「1.4,1.7,および2.0と想定したが、現段階で得られる情報からはR0を1.7とすることが最も妥当と考えられる」としている。
 人口10万人当たりの発症者、入院患者数、重症者数は以下のように想定された。

基本再生産数

発症者

入院患者

重症者

1.4

6458

1379

138

1.7

8987

1782

178

2.0

10613

1987

199


 また、都道府県等が医療体制を確保するための目安として、基本再生産数が1.7のときの、ピーク時の人口10万人あたり発症者、入院患者、重症者数が以下の様に想定された。

 

発症者

入院患者

重症者

小児(0-14歳)

181

53

2

成年(15-64歳)

294

18

1

高齢者(65歳以上)

509

560

18

全年齢平均

339

172

5


 もちろん、流行を事前に読み切ることは不可能であり、このような推計には多大な不確実性がある。報道によれば、3月10日の記者ブリーフィングで、西浦教授は「いずれも科学的にあり得るということで試算をしている。中位がもっともらしいとしているが、中位でも、あるいは低位でさえも、私たちが今、研究している観点からすると、この規模の大流行は起こらないと思っている。いずれも『最悪のシナリオ』であるという見方をするのが、恐らく一番適切」と述べている。
 都道府県にとって非常時に備えた病床の拡大は簡単な作業ではなく、実際に多くの都道府県で病床の確保は後手後手に回った。いつまでにどれだけの病床を用意すればいいのかの見通しを立てるために、また最悪の進展にも対応できるように、こうした予測は重要で意義あることである。日本医師会総合政策研究機構では、このシナリオに基づくピーク時の患者数と各種病床数が都道府県別に示された資料が作成されている。

 こうした取り組みをぶち壊す数字が、専門家会議の「新型コロナウイルス感染症対策の状況分析・提言(3月19日)」に現れる。
 それは、下の図のような、基本再生産数を2.5と置いたときの新規感染者数と重篤患者数の想定である。10万人当たり重篤患者数は、上記の2月29日のシナリオの重症者数の10倍以上になっている。本文には下線つきで、日本のある特定地域(10万人)が「流行50日目には1日の新規感染者数が5,414人にのぼり、最終的に人口の79.9%が感染すると考えられます。また、呼吸管理・全身管理を要する重篤患者数が流行62日目には1,096人に上り、この結果、地域における現有の人工呼吸器の数を超えてしまうことが想定されるため、広域な連携や受入体制の充実を図るべきです。」と書かれている。基本再生産数が高くなると、ピーク時の感染者数等は大きくなるが、それでは説明できないほどの大きさになっていて、かつ重篤患者数は本文と図でまったく合わない。
 
ブログ用・感染流行の第1波を乗り越えることで得たもの(そのX)
(出典)「新型コロナウイルス感染症対策の状況分析・提言(3月19日)」9頁。

 この試算とそれに類するものは、これ以降の専門家会議資料には現れない。これは、いったい何だったのか。

 死者想定は、政府が発表する気がなかったところを、西浦教授が個人で4月15日に記者会見で発表した。どちらの態度も間違いである。被害想定がなければ、対策の効果を評価しようがないが、結果的には、冷静に受け止められる層には的確な情報が与えられない一方で、市民の不安を一番煽る形で発表された。淡々と技術的に詳細を記した文書をさりげなく専門家会議の資料に紛れ込ませておくようにして、冷静な対策の立案に活かすようにすべきだった。今後繰り返してはいけない形で必要な情報が出されるのは、政策評価の観点からは、最低評価にならざるを得ない。
 報道によれば、「人工呼吸器や集中治療室(ICU)での治療が必要となる重篤患者は15~64歳で20万1301人で、65歳以上は65万2066人と見積もった。致死率を成人0・15%、高齢者1%と想定すると、死亡者は重篤患者の半数(49%)で、約42万人の予測になる」(毎日新聞)そうだ。

 対策の効果の定量化はいきなり振り回されてしまったが、とりあえずXは、この怪しげな42万人としておく。

(「そのY」、「そのZ」へと続きます。)

(参考)
「新型コロナウイルス感染症の流行シナリオ(2月29日時点)」(新型コロナウイルス対策専門家会議(第5回)資料、2020年3月2日)

橋本佳子「西浦北大教授「3つのCOVID-19流行シナリオ、いずれも最悪の場合」」医療維新

高橋泰、江口成美、石川雅俊(2020)「地域の医療提供体制の現状 - 都道府県別・二次医療圏別データ集 - (2020年 4月 第8版)」日医総研ワーキングペーパー、No. 443

「新型コロナウイルス感染症対策の状況分析・提言(3月19日)」(新型コロナウイルス対策専門家会議)

「新型コロナ 対策なければ重篤85万人 専門家試算、国内42万人死亡」(毎日新聞、2020年4月16日)

接触8割削減の不整合

 公衆衛生的対策の効果を分析するために、感染の発生場所を詳細に記述するモデルが使われている。Ferguson et al. (2006)によるインフルエンザ対策の分析では、米国でのインフルエンザウイルス感染が、30%は家庭内、33%は地域(general community)、37%は学校と職場で起こると想定していた。Ferguson et al. (2020)は、この仮定を新型コロナウイルス感染にも当てはめ、公衆衛生対策がこれらの場所での接触頻度を削減して、実効再生産数を減少させる効果をシミュレーション分析した。その対策の設定は、新型コロナウイルス感染症対策専門家会議の「新型コロナウイルス感染症対策の状況分析・提言」(2020年5月1日)の「参考2」資料に訳されているが、家庭外の機会削減と家庭内の機会「増加」に分けて整理すると、以下のようになる。外出を控えると家庭内の接触が増える、というごく当たり前のことを想定していることがわかる。

 

家庭外接触減少

家庭内接触増加

遵守率

有症状者の自宅隔離

家庭外75%(有症状者)

 

70

自発的な家庭隔離

地域75%(有症状者の家族)

100%

50

70歳以上の社会的距離戦略

職場50%、その他75

25%

75

全国民の社会的距離戦略

地域75%、職場25

25%

 

学校と大学の閉鎖

大学以外100%、大学75%、地域-25%(生徒)

50%(生徒)

 

(出典)新型コロナウイルス感染症対策専門家会議「新型コロナウイルス感染症対策の状況分析・提言」(2020年5月1日)参考2より筆者作成。

 感染対策とその経済的被害とのトレードオフを分析したEichenbaum, Rebelo and Trabandt (2020a, b)、Jones, Philippon and Venkateswaran (2020)は、このFerguson et al. (2020)の設定に沿いながら、経済活動と感染機会を関係づけている。Eichenbaum, Rebelo and Trabandt (2020a, b)は、感染機会を家庭内、地域、学校・職場で1/3ずつとし、地域での接触の半分が消費と関係し、学校・職場での接触の半分が労働供給と関係していると設定した。合計すると、最大限の抑制で(経済活動全停止なので非現実的だが)接触機会を1/3削減ができることになる。家庭内の接触は増えも減りもしないと想定したので、これによって実効再生産数が1/3減少する。消費と労働供給が比例関係にあると、経済活動をcの割合だけ抑制すると、減少した感染機会は元の感染機会と比較して、
\[\frac{2}{3}+\frac{1}{3}(1-c)^2\]
になるという関係が想定される。接触する者同士が活動を制限するので、抑制効果は自乗で働く。
 一方、Jones, Philippon and Venkateswaran (2020)は、消費の抑制で地域の接触を最大ですべて、労働供給の抑制で学校・職場での接触を最大ですべて削減できると想定した。経済活動の抑制で家庭内の接触は変化しない。両方を合わせると最大限の抑制で接触機会の2/3の削減ができるという想定になる。これは、減少した感染機会は元の感染機会の
\[\frac{1}{3}+\frac{2}{3}(1-c)^2\]
となる。以上の想定は、公衆衛生的対策で実効再生産数を抑制するにしても、(定数項で示された)「岩盤」が存在して、いくらでも小さくすることはできないということだ。
 実効再生産数に関係する他の変数に大きな動きがなければ、実効再生産数とcをこれと同じ関係で結び付けることができる。人々の外出状況を見るために、日次の人流データに注目が集まったが、それをcの代理変数と考えると、3月下旬からの両者の低下は関係がありそうにみえる。ただし、因果関係があるかどうかは、きちんとした検証が必要だ。

 4月7日の緊急事態宣言以降、人と人との接触機会を8割削減することが目指された。同日の記者会見で、安倍首相は「人と人との接触機会を最低7割、極力8割削減する」ことに言及した。
 以下のTwitterにある動画の西浦博教授の説明では、実効再生産数を2.5から1.0まで6割削減したいが、削減できない部分があるため、人口全体に接触機会の8割削減を要請することが必要としている。遵守率が75%で、80%×75%で60%の削減が達成される、という勘定だ。


 上の動画のホワイトボードに示されているように、接触削減によって減少した実効再生産数は元の実効再生産数の、
\[1-c\]
となると想定している(注)。ここでは、「岩盤」がなく、接触機会を削減できると考えている。

(注)ここでは抑制効果が自乗にならないのは、接触機会に別の想定を置いているからで、どちらの想定もあり得る。

 なお、4月22日の専門家会議の「新型コロナウイルス感染症対策の状況分析・提言」では、接触機会の8割削減で実効再生産数が8割減少(2.5から0.5になる)する図(3頁)が示されており、遵守率が100%に変更されたようだ。

接触8割削減の不整合

 この続きの動画では、一般国民は例えばこれまで1日で10人に会っていたら2人に減らせないだろうか、と呼びかけている。この動画を見ると、外出して会う人数が10人だと思わないだろうか。家族も勘定に入れると、4人家族なら、最低でも家族のうちの1人とは会わないようにしないといけない。

 緊急事態宣言を受けて改定された「新型コロナウイルス感染症対策の基本的対処方針」を見ると、以前の版にもあった文章であるが「外出自粛の要請等の接触機会の低減を組み合わせて実施する」(1頁)と書かれている。霞が関用語では、「等」があれば何でも含まれるのだが、接触削減の手段には外出自粛に注目が集まった。
 4月22日提言に合わせて専門家会議から出された「人との接触を8割減らす、10のポイント」を見ても、家庭内の接触には触れられていない。人流データが注目されたこともあり、一般の関心もほぼ外出自粛に集まった。しかし、Ferguson et al. (2020)等の設定では、外出の自粛は家庭内接触を増やすので、外出が8割自粛されても接触機会は8割まで削減されない。
 結局、4月22日提言の目論見(接触8割削減で実効再生産数が8割低下する)通りにはならない理由が、5月1日提言の「参考2」に書かれていることになる。何をしたかったのだろう。

(参考文献)
Eichenbaum, Martin S., Sergio Rebelo and Mathias Trabandt (2020a), "The Macroeconomics of Epidemics," NBER Working Paper No. 26882.

Eichenbaum, Martin S., Sergio Rebelo and Mathias Trabandt (2020b), “The Macroeconomics of Testing and Quarantining,” NBER Working Paper No. 27104.

Ferguson, Neil M., et al. (2006). "Strategies for Mitigating an Influenza Pandemic." Nature, 442: 448-452.

Ferguson, Neil M. et al. (2020), “Impact of Non-pharmaceutical Interventions (NPIs) to Reduce COVID-19 Mortality and Healthcare Demand.”

Jones, Callum J., Thomas Philippon and Venky Venkateswaran (2020), "Optimal Mitigation Policies in a Pandemic: Social Distancing and Working from Home." NBER Working Paper Series No. 26984.

(参考)
「新型コロナウイルス感染症対策の基本的対処方針」(2020年3月28日(2020年4月7日変更)、新型コロナウイルス感染症対策本部決定)

「新型コロナウイルス感染症に関する安倍内閣総理大臣記者会見」(2020年4月7日)

「新型コロナウイルス感染症対策の状況分析・提言」(新型コロナウイルス感染症対策専門家会議、2020年4月22日)

「人との接触を8割減らす、10のポイント」(新型コロナウイルス感染症対策専門家会議、2020年4月22日)

「新型コロナウイルス感染症対策の状況分析・提言」(新型コロナウイルス感染症対策専門家会議、2020年5月1日)

日本はなぜ新型コロナウイルス感染症の流行を抑え込むことができたのか

 筆者なりの考えはあったのだが、流行の最中に専門外の人間が発言することは抑えていたところ、専門家である関西大学の高鳥毛敏雄教授が、その核心を説明してくれた。同感の至りであり、非常に示唆に富む記事なので、ぜひご一読いただきたい。


 高鳥毛教授の説明の後には蛇足のようになってしまうが、流行を抑え込めた理由の筆者なりの考えは、①日本の基本再生産数(何もしなかったら感染が拡大する速度の指標)は1を超えるものの感染爆発を起こした国に比較して低かったこと、②積極的疫学調査(contact tracing)が実効再生産数を1以下にすることに成功した、の2つである。前者は、文化的・社会的・生物学的要因なのか、特定は難しい。色々なことが複合しているのかもしれない。後者は、高鳥毛教授の解説する通り、結核が蔓延する日本で形成された保健所の体制によって、流行の最初期から積極的疫学調査を進められた運も手伝って、抑え込むことができたといえる。細かいところでは、3月の欧州の帰国者による感染の拡大で状況が悪化したり、3月下旬からの外出自粛(緊急事態宣言に先立つ動き)に助けられたり、という動きはあったが、根幹は上の2つである。
 ただし、保健所の体制は手放しには褒められず、一般からの批判は強かった。電話してもつながらない、PCR検査してもらえない、検査しても結果がなかなか届かない、という状況や、手書き、ファックス、電話が主体という昭和の香りが漂う手法だ。確かに、負荷をこなせない資源制約と古い技術は問題であり、改善を図らなければいけない。しかし、現行の体制でも抑え込むことができたのは、積極的疫学調査は有効な方法であるからだ。感染は、感染者と未感染者の接触で生じる。感染者を迅速に探し出して、感染機会を減らすことの効果は大きい。
 大部分が免疫のない状況では、流行の第2波を警戒する必要がある。すでに感染症対策による経済的被害が大きく、経済に負担をかける感染症対策を取り続けることは不可能だ。もし流行に季節性があるならば、今度の冬は第1波よりもずっと長い期間、流行を抑え込まないといけない。したがって、医療側への負荷は第1波より大きい。『新型コロナウイルス感染症による医療崩壊』で述べたような、現在の医療資源の使い方の問題を改善しないと対応できない。保健所の能力増強と医療機関の感染症対応能力の向上が何よりも優先課題である。

「日本モデル」あるいは、より改善された「日本モデル」は輸出できるかというと、それは難しい。上述した両方の理由は、ともに時間をかけて日本で形成された「制度」であり、一朝一夕で他の国に移植できるものではない。逆に、外国のモデルを安直に日本に移植しようとすることも注意しなければいけない。
 ここまでの経験は、危機対応では事前に積み重ねられてきた体制が重要である、という危機管理の本質をあらためて確認することだった。危機が起こって慌てて考え出した対策には良くて効果がないか、悪くて混乱を招くものが多い。アベノマスクが典型例であるが、その他にも、そうした対策は新たな経済対策のなかにあふれている。そうした対策の末路は見えている。ルーチン外の業務で動く10万円給付金も雇用調整助成金も持続化給付金も滞っているが、ルーチンの業務である自動車税の納付書は例年通りに届く。国も地方も感染防止策で機能が低下しているなか、巨大な業務を迅速にこなさなければいけないとなれば、事務処理能力がボトルネックになることは明白であり、危機対応も事前に整備され、ルーチン化されていることが望ましい。実際、そのために新型インフルエンザ等対策特別措置法が整備されているのであり、『自粛要請に関連する補償のあり方』で述べたように、その補償の枠組みをまずは十分に機能させるべきだった。
 第2波に備える基本は、地道な王道を強化し、見栄えだけのスタンドプレーを排除することだ。
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