岩本康志のブログ

経済,財政の話題を折に触れて取り上げます。

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新型コロナウイルス感染症対策本部はいつ廃止できるのか

 コロナ対策はいつまで続くのだろうか、そう考えている人は多いだろう。現在は新型インフルエンザ等対策特別措置法(以下、「特措法」)に基づく政府対策本部が設置されている有事の体制であるが、どういう条件が整えば法令に即してこれを廃止して、平時の体制に戻すことができるのだろうか。先日公開した拙稿「政府対策本部の設置と廃止:事例研究 新型コロナウイルス感染症」を使って考えてみよう。なお、拙稿では法令と論点をくわしく解説している。

 特措法第21条によれば、以下の2つの条件のいずれかが満たされなくなった場合に政府対策本部は廃止される。
① 新型コロナウイルス感染症にかかった場合の病状の程度が、季節性インフルエンザにかかった場合の病状の程度に比しておおむね同程度以下であることが明らかとなったとき
② 国民の大部分が当該感染症に対する免疫を獲得したこと等により「新型コロナウイルス感染症」と認められなくなったとき
これは政府対策本部を設置する条件のいずれかが満たされなくなることと同じであり、設置と廃止の条件は整合性がとれている。
 ②にある「新型コロナウイルス感染症」とは、感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律(以下、「感染症法」)で定義された、
「新たに人から人に伝染する能力を有することとなったコロナウイルスを病原体とする感染症であって、一般に国民が当該感染症に対する免疫を獲得していないことから、当該感染症の全国的かつ急速なまん延により国民の生命及び健康に重大な影響を与えるおそれがあると認められるもの」(第6条第7項)
を指す。後の議論に関連するが、①は特措法由来、②は感染症法由来、である。

 ①の条件に関する病状の程度の比較については、現在の「新型コロナウイルス感染症対策の基本的対処方針」(2019年11月19日決定、2022年7月15日変更)では、
「令和4年1月から2月までに診断された人においては、重症化する人の割合は50歳代以下で0.03%、60歳代以上で2.49%、死亡する人の割合は、50歳代以下で0.01%、60歳代以上で1.99%となっている。なお、季節性インフルエンザの国内における致死率は50歳代以下で0.01%、60歳代以上で0.55%と報告されており、新型コロナウイルス感染症は、季節性インフルエンザにかかった場合に比して、60歳代以上では致死率が相当程度高く、国民の生命及び健康に著しく重大な被害を与えるおそれがある。ただし、オミクロン株が流行の主体であり、重症化する割合や死亡する割合は以前と比べ低下している。」
と説明されている。元の資料は、厚生労働省の新型コロナウイルス感染症対策アドバイザリーボード(2022年4月13日、第80回)への厚生労働省提出資料である。元資料からは、単純に計算した全体の致死率は0.31%と計算できる。

 高齢者の新型コロナウイルス感染症の致死率が季節性インフルエンザの致死率まで下がるとすれば、
(A) ウイルスが変異して弱毒化する
(B) 治療薬、治療法が開発されて、劇的な効果をあげる
ぐらいの道しかない。新型インフルエンザがやがて季節性インフルエンザ並みになるのは経験則であるが、病原体の異なる新型コロナウイルス感染症が季節インフルエンザ並みになることをある程度の確度で予測できるだろうか。できないとすれば、(A)は神頼みである。(B)は人間の努力によるが、ハードルは高く、成算はない(神頼みに近い)。つまり、どちらにしても、いつ実現できるのかに成算はない。
 なお、人間の努力することのなかで、この条件を満たすことにほぼ無関係とみられるのが、
(a) 一般市民が感染症対策をする
(b) 医療者が患者を治療する
(c) 政府が感染症対策をする
である。

 ②は、どこまでの免疫をもてばよいのかはあいまいである。もし①と同じ条件を課すなら、結局、
(A) ウイルスが変異して弱毒化する
(B) ワクチンが改良されて、劇的な効果をあげる
ぐらいの道しかない。①と同じく、これらは神頼みか、神頼みに近い。人間の力でできることは、
(C) ワクチン接種をもって免疫を獲得したと割り切って、感染症法上の「新型コロナウイルス感染症」でなくなったと認める
ことである。
(C)の決断をすると特措法が適用されないので、①の条件は関係ない。ただし、①の条件との整合性が問われる可能性もあるので、①の条件も見直した方がよいかもしれない。特措法での政府対策本部の廃止の条件は、設置の条件が満たされなくなることと同じであり、設置と廃止の条件は整合性がとれている。しかし、このような条件を課すことは未知の状況での意思決定には不都合が生じる場合がある。季節性インフルエンザのリスクは許容して平常の生活を送っているときにそれを上回るリスクがある新たな感染症が現れて有事の体制をとることに意味があったとしても、その段階でその感染症のリスクがやがて季節性インフルエンザの水準まで弱毒化するかどうかはわからない。結果として弱毒化しなければ有事の体制が永続してしまう。季節性インフルエンザを超えるリスクを許容して平常の生活を送るという選択をこれまで迫られてこなかっただけで、それを排除する必然性はない。感染症のリスクの長期的帰結が見通せないときには、設置と廃止の条件を違えた方が、むしろ合理的な選択がおこなえる。
 なお、法律上の「新型コロナウイルス感染症」でないことにしただけだと、感染症法の位置づけがなくなり、法律上はただの風邪になってしまう。法改正には時間がかかるので、感染症法上の対策が必要であれば、いったんは(特措法の適用とならない)指定感染症に政令で指定し、法改正で適当な位置づけを与えることになるだろう。

(C)の法律上の「新型コロナウイルス感染症」でなくなったと認めることは、人間の力でできる。時期の制約はない。すぐにでもできるし、いつでもできる。ただ決断すればいい。
 この決断をしない場合、政府対策本部の廃止は神頼みに近い(A、B)。感染症対策(a、b、c)にわれわれが一層の努力と犠牲を払ったとしても、致死率が下がるわけでも感染症が根絶されるわけでもないので、政府対策本部の廃止要件は満たされない。治療法、治療薬、ワクチンの開発は、季節性インフルエンザでも他の疾病でもおこなわれていることであり、特措法とは関係のない努力である。特措法に基づく努力で得るものは、収束の見えないなかで感染を少なくすることである。このことを踏まえて特措法の適用をいつまで続けるのか考える必要がある。どのような選択をするかは、人々の価値観に依存するので、ここでは以上のような選択肢の整理までにとどめる。

(参考文献)
「政府対策本部の設置と廃止:事例研究 新型コロナウイルス感染症」https://iwmtyss.com/Docs/2022/SeifuTaisakuHonbunoSecchitoHaishi-JireiKenkyu.pdf

(関係する過去記事)
「季節性インフルエンザの致死率」

「新型コロナウイルス感染症対策本部の廃止」

新型コロナウイルス感染症対策本部の廃止

 拙稿「政府対策本部の設置と廃止:事例研究 新型コロナウイルス感染症」を公開しました。新型インフルエンザ等対策特別措置法の適用と解除に関する議論と新型コロナウイルス感染症での運用の論点をまとめたものです。
 新型コロナウイルスがこの世から消えないとしたら、コロナ対策も平時の体制として組み替える必要があります。いわゆる「二類から五類へ」の議論では法令を理解した丁寧な議論が求められますが、政府の新型コロナウイルス感染症対策本部の廃止についても同様です。
 現在のところ、岸田首相は「行動制限は考えていない」としていますが、行動制限が必要ないと考えている人には、将来を不透明にする迷惑な話です。特措法に基づく政府対策本部をいますぐ廃止すれば行動制限はできなくなるので、行動制限を考える必要もなくなります(コロナ対策を一切やめてしまのではなく、感染症法に基づく対策に移行することになります)。逆に、特措法での対策本部廃止の条件が満たされず、半永久的に対策本部が維持される可能性もあります。すると私権の制限が永続するので、外出や営業の自由が憲法で保証されているとは言えなくなります。拙稿では、こうした議論への理解を深めることを目指しています。

(関係する過去記事)
「季節性インフルエンザの致死率」

ワクチン効果に関する誤情報(その3:交絡因子)

※この記事は新型コロナワクチンの効果を判断するものでありません。効果の見解を求める場合は、別の信頼できる情報源を参照してください。

ワクチン効果に関する誤情報」「ワクチン効果に関する誤情報(その2:データ連携の課題)」の続きになるので、タイトルに「誤情報」が入ってしまったが、今回の記事は誤情報とは関係ない。

③「ワクチン効果をどう解釈するのか」について。
 専門家コメントでは、厚生労働省資料でのワクチン未接種者と接種者との人口当たり新規陽性者数の差にはワクチン効果以外の要因も影響することを指摘して、ワクチン効果(vaccine effectiveness)についてはWHOのガイドラインに沿う標準的な手法による疫学的研究を参照するべきとしている。この見解におおむね異存はないが、厚生労働省資料をまったく意義のないものとするのはもったいなく、引き続き公表をお願いしたい。その理由を以下で説明する。
「その2」にも書いたように、ワクチンの生理学的な効果について専門外の経済学者が何か言うことはないが、専門家コメントの要因3である「接種者と未接種者の基本的特性、リスク行動、受療行動が大きく異なる可能性がある」については、行動を研究する社会科学、行動科学の研究領域に重なっていて、医療経済学の研究課題でもある。
 話を簡単化するために、専門家コメントにある他の要因を捨象して、要因3だけに着目しよう。
 因果推論の議論に乗せれば、要因3は「交絡因子」である。ワクチン接種、感染、交絡因子は、DAG(Directed Acyclic Graph、有向非巡回グラフ)を用いて下の図のように表される。矢印は、変数間の因果関係の方向を表している。ワクチン効果は、Ⓐで表される。これは、ワクチン接種の有無以外は同質の集団を構成して、両集団の発生率の差として推定される。新型コロウイルス感染症のワクチンに関して日本でおこなわれている多施設共同症例対照研究(VERSUS)では検査陰性デザイン(test-negative design)という手法で、同質的な集団を構成して、Ⓐを推定しようとしている。現在の最新版(第5報)では、正の発症予防効果が報告されている(VERSUSでは発症に着目し、厚生労働省資料では無症状を含む陽性に着目するという違いがあるが、議論の簡単化のため、この差異はいったん捨象する)。
ワクチン効果に関する誤情報(その3)1
専門家コメントの執筆者の一人である鈴木基国立感染症研究所感染症疫学センター長へのインタビューでは、以下のようなやりとりがある。

——それにしても未接種者よりも2回目接種の方が新規陽性者が多いというのは解せないですね。

極端な話、全員が2回接種して1年後で、ほとんどワクチンの効果が期待できないとしても、陽性者は未接種とほぼ同じぐらいになるはずですよね。おっしゃる通り、逆転するのはそれだけでは説明できません。

 聞き手と鈴木氏ともに、ワクチン接種によって感染しやすくなるとは考えていないようだが、専門外の経済学者が判断するものではないので、以下の議論はⒶルートによる効果が「ワクチンを接種すると感染しにくくなる」であると仮定したらどうなるか、という議論をおこなう。
 厚生労働省資料は、単純に人口をワクチン接種歴で分類しているので、未接種者と接種者が同質の集団でないかもしれず、両集団の発生率の差にはⒶ以外の要因も含まれているかもしれない。Ⓐルートによる「ワクチンを接種すれば感染しにくくなる」を覆す交絡因子の影響が働いていることになり、交絡因子は、「ワクチン接種を促すと同時に感染リスクのある行動を促す」ものであることがわかる。
 上の図に行動変数を具体的に記述すると、DAGは下の図のようになる。この図では、ⒶルートはA1とA2の2つに分かれる。まずA1ルートは生理学的要因で感染しにくくなる、ワクチンの効能(vaccine efficacy)である。A2ルートは、ワクチン接種によって行動が変化して、それが感染に与える経路である。感染リスクのある行動に差のない未接種者と未接種者の集団を構成できれば、A1ルートのみを推定できるが、検査陰性デザインでは行動をそろえることはできないので、A1ルートとA2ルートを合わせたⒶが推定される。ワクチン接種で安心して感染リスクのある行動をとることでワクチンの効果が弱まることも考えられるので、それも加味したⒶでワクチンの効果が確認されることには意味がある。ⒷとA2はともに行動を経由するルートであるが、Ⓑはワクチン接種前に働き、A2はワクチン接種後に働くという違いがある。
ワクチン効果に関する誤情報(その3)2
 交絡因子が実際に起こっていることを説明できるか、に関心を移すと、まず何を説明するのかが明らかになっていなければならず、そのためには厚生労働省資料の不備のなかで修正できるところは修正する必要がある。専門家コメントでは交絡因子の候補がいくつか指摘されているが、その作業がないため、一般論として可能性を議論するだけになっている。たとえば専門家コメントには受療行動の違いによる影響のシミュレーションがあるが(7頁)、その結果と対照する現実の数値がないので、せっかくシミュレーションをしながら、それが現実に起こっていることを説明できるかは視野に入っていない。
 交絡因子が説明すべきものとして、少なくとも厚生労働省資料での人口と接種者数の時期のずれは修正してみよう。下の図は、厚生労働省が未記入の扱いを変更した直後の4月11日~17日集計の修正前と修正後、発生届の様式が変わった直後の7月4日~7月10日集計の修正後の未接種者と2回のみ接種者の新規陽性者数から構成された「ワクチン効果」の推定値を示したものである。修正は人口をそれぞれ2022年4月1日現在と7月1日現在のものに置き換えている。この修正方法は、Twitterで@0kh0tska氏が発表しているものと同様である。ただし、本来のワクチン効果ではなく、交絡因子やその他の理由でバイアスをもつものであり、これをもって直ちにワクチン効果とすることができないことに注意されたい。そのため括弧付きとする。
ワクチン効果に関する誤情報(その3)3

 修正によって年齢階層別での大きな振れがなくなることがわかる。その他、高齢者ほど「ワクチン効果」の推定値が小さくなる、7月は4月よりも「ワクチン効果」の推定値が小さくなっている、ことが読み取れる(これらが読み取りやすい折れ線グラフを使用している)。

 専門家コメントからは、Ⓐだけに関心があればVERSUSだけ見て厚生労働省資料を見なくてよいかのような印象を与えるが、(修正をした)厚生労働省資料にも十分に価値があると思われる。
 第1に、ワクチン接種に影響を与える要因は何か、は行動に関心のある研究者にとっての研究課題である。このデータがワクチン効果を覆すほどの大きな力をもつ交絡因子があることを示唆するならば、こうした要因を探すヒントとなって、非常に興味深い。
 第2に、ワクチン推奨策を考える際にも、重要な意味をもつ。ワクチン接種の効果を分析するシミュレーションモデルでは、疫学者は神様で人間は神様にしたがう宿主となっていて、疫学者がモデルの接種率を高めて、その結果を計測する。しかし、現実社会では、疫学者は神様ではなく、人間はモデルが想定する宿主ではない。ワクチンの接種は個人の判断によるので、ワクチン推奨策は行動に影響を与える要因に働きかけて、接種率を変えることになる。もし働きかける要因がここでの交絡因子であった場合、交絡因子が変化してワクチン接種が進むと同時に、感染リスクのある行動をともない、社会全体では感染が増えてしまう。したがって、そのような交絡因子に働きかけることは問題となるので、そうした因子を見つけることは重要である。
 第3に、検査陰性デザインで常にバイアスのない推定ができている保証はなく、検査陰性デザインによる推定を検証する材料としても役立つ可能性がある。いまの議論はワクチン効果が正であるという仮定から出発しているが、もし見つかった交絡因子が現実離れしていたり、交絡因子が見つけられない場合には、元の仮定が現実離れしているのかもしれない。
 以上のように研究上の価値があると思われるので、修正を施したうえで継続的に資料が発表することを望みたい。

(参考文献)
「新型コロナウイルス感染者等情報把握・管理支援シテム(HER-SYS)とワクチン接種記録システム(VRS)を用いたワクチン接種歴別の新型コロナウイルス感染症人口当り報告数の疫学的意義について」(2022年7月13日)

岩永直子「新型コロナワクチン、2回目接種者の方が未接種者より感染しやすい? 厚労省が出しているデータの落とし穴」BuzzFeed、2022年7月22日

(関係する過去記事)
「ワクチン効果に関する誤情報」

「ワクチン効果に関する誤情報(その2:データ連携の課題)」http://iwmtyss.blog.jp/archives/1080739802.html

ワクチン効果に関する誤情報(その2:データ連携の課題)

ワクチン効果に関する誤情報」では、厚生労働省が作成した「ワクチン接種歴別の人口10万人当たり1週間の新規陽性者数」(以下では便宜上「発生率」(incidence rate)と呼ぶことにする)を取り上げた。最後に宿題として、64-69歳でワクチン効果が著しく低いように見えることに触れた。
 ワクチンの生理学的な効果について専門外の経済学者が何か言うことはないが、霞が関のデータ分析のリテラシーの向上を願う立場からは、この資料が注目を集めることで改善が図られることを期待していた。問題の修正は比較的容易なので、厚生労働省が早晩修正するだろうと思っていたが、予想は外れてずっと放置されてきたのは残念だった。
 7月13日の新型コロナウイルス感染症対策アドバイザリーボード会議では、この資料に対するコメント(以下、「専門家コメント」)が鈴木基、西浦博、前田秀雄、押谷仁氏の連名によって提出された。筆者が宿題としたポイントに関わるコメントは、以下の通りである。

「上記の要因は、理論上は共通のIDを用いて地域住民の予防接種歴(予防接種台帳、VRS)、基礎疾患と服薬履歴(電子カルテ、レセプトデータ等)と発生届(HER-SYS)を精度よくリンクできるシステムがあれば、適切な手法を用いて補正を行うことで 取り除くことができる可能性がある。しかし、現状においてそれは現実的ではない。」(3頁)

 技術的な事項が圧縮されて書かれていて、これだけだと問題点がつかみにくい。問題点を少しくわしく解説するとともに、このコメントとは少し違った筆者の見解も以下で説明しよう。なお、上の「上記の要因」にはここで議論したいポイント以外のものも含まれるが、それには触れない。

 問題の所在がわかるように、例題から出発しよう。

厚生労働省のとある職員が、東京都のワクチン未接種者数を「東京都の人口-大阪府の接種者数」で計算した。

 普通は本人が「人口と接種者の範囲が合ってない」ことに気づくはずで、こんな計算をすることは考えられない。かりにこんな計算をしたとしても、周辺は気づいて、やり直させるはずである。いくら厚生労働省のデータ・リテラシーがおぼつかないとしても「A−Bを計算したいなら、AとBの範囲を合わせる」ぐらいのリテラシーは期待できるだろう。

 いま問題としている資料もこれと同じで、人口と接種者の範囲が合っていない。人口は2021年1月1日現在の年齢で分類されているが、接種者数は集計日(資料の発表日に近い)の年齢で分類されているためだ(首相官邸サイトの資料に示されている)。これを原因とする不一致がとくに65~69歳で深刻になっていて、この階層での発生率が非常に大きくなっている。この階層では、人口の集計時には69歳だった人がワクチンを接種して資料集計時までに70歳となると、人口に入るが接種者には入らなくなる。また、人口の集計時には64歳だった人がワクチンを接種して資料集計時には65歳だと、人口に入らないが接種者に入ってしまう。
 下の図は、2020年10月1日現在の64歳から69歳までの各歳別人口を示したものである(横軸は年齢、縦軸は人口。各歳別の人口は毎月の統計がないので、やむを得ず時期がずれている)。人口に入るが接種者から漏れやすい69歳人口が、人口から漏れているが接種者に入りやすい64歳人口よりも相当数多い。第1次ベビーブームと第2次ベビーブームの谷間で人口が最小になる63歳から年齢が高くなると人口が多くなっているためである。この特徴から接種者が過小計上され、その結果、未接種者が真の値より過大になり、未接種者の発生率を過小推計することになる。

ワクチン効果に関する誤情報(その2)1

 このように対象者が異動してしまう現象は、どの年齢階層でも発生する。しかし、他の年齢階層は10歳刻みだが60歳代は5歳刻みであるため、流入・流出の起こらない中間の年齢の人口が小さく、異動現象の影響を大きく受けてしまう。ただし、同じく5歳刻みの60~64歳層では、たまたま流入を起こす年齢と流出を起こす年齢の人口が近いため、異動現象の影響をあまり受けない。このように日本の人口ピラミッドは複雑であり、どの年齢階層でどういうバイアスが発生するかは、実際のデータで確認する必要がある。

 こうした問題が生じないようなデータをとるには、集団を固定してデータを収集する必要がある。専門家コメントにある「対象者をコホートとして追跡」することである。その作業が専門家コメントの指摘のように「現実的でない」のかどうか、下の図を使って検討しよう。図の矢印は、未接種者の発生率がどの種類のデータを使って計算されているかを示している(接種者をひとまとめにした場合の接種者の発生率の計算式も右上に示してあるが、図を見やすくするために矢印は示していない)。また、下段には発生率に関係するデータを示している。項目で色がついているのは、そのシステムで調査されたデータである。

ワクチン効果に関する誤情報(その2)2

 VRSもHER-SYSも生年月日を入力しているので、2021年1月1日現在の年齢で集計すれば、集団を固定できる。この作業は、専門家コメントが言及する共通IDを必要としない。

 HER-SYSでのワクチン接種歴に不明が多い問題は、データの連携によって解決を目指すことは考えられる。医師が発生届への入力のためにワクチン接種歴を聞き取るが、ワクチンを何回接種したかは憶えていても、何月何日に接種したかは憶えていない人が多いと予想される(筆者もそうである)。接種日を聞き取り調査で完全に把握することはかなり無理がある。もし陽性者のマイナンバーがわかれば、それを使ってVRSからワクチン接種歴のデータを入手することが技術的には可能である。
 しかし、すべての人がマイナンバーカードを作っているわけではない(ここがVRSと違うところで、VRSはマスタ作成時に自治体がマイナンバーを入力するので、個人がマイナンバーカードを所持しているかどうかは関係ない)。また、マイナンバーの取り扱いは厳重な手続きが要求されるので、逆に手間が増えてしまう。このため、HER-SYSでマイナンバーを直接使うことは実用的ではない。
 データ連携を目指すとすれば、健康保険証を利用する方法があり得る。現在は審査支払機関(社会保険診療報酬支払基金と国民健康保険団体連合会)で保険証での個人識別番号(保険者番号・記号・番号・枝番の組み合わせ)がマイナンバーに紐づけされていて、医療機関窓口での保険資格確認(オンライン資格確認)やマイナポータルでの薬剤・医療費・健診情報の確認に使われている。発熱外来の受診時には保険証を持参しているはずなので、保険証の番号からマイナンバーを経由してVRSのワクチン接種歴を得ることは技術的に可能である(ただし、HER-SYSが直接マイナンバーを使用しないことが問題となり得ることを後述する)。

 この記事では、行政データ連携の不備がワクチン効果に関する混乱を招いたことを見てきたが、3つの教訓を得ることができる。それは、①与えられたデータで何をするのか、②データ収集体制をどう設計するのか、③ワクチン効果をどう解釈するのか、に関係する。以下、順に見ていこう。

①「与えられたデータで何をするのか」について。
 専門家コメントでは、「現実的ではない」として、データ連携のハードルがかなり高いイメージを与えるが、これでは現場が「完全なデータがとれなければ、どうでもいい」という姿勢になってしまう。コメントの執筆者が大学でどのように指導されているかは知らないが、筆者の授業では学生がこのような考えをもっては困ると思って「完全なデータがとれなくても、与えられたデータでベストを尽くす」姿勢を身に着けてもらうように努めている。このような作業は不完全なデータを扱うので、誤差を含む。誤差があるからあきらめるのではなく、誤差をコントロールしながら真の値に近づくように努力することが重要である。
 人口と接種者数について、与えられたデータで両者の集団ができるだけ一致させることはできないだろうか。前回のブログ記事の公開後に、そのような作業をしている人の情報をTwitterで寄せていただいたので記事に追記して紹介した。これは、人口を資料公表時の集計値に置き換えて、人口と接種者数の時期を合わせる方法である。共通IDを導入する必要もなく、VRSとHER-SYSにアクセスすることもなく、総務省の「人口推計」から資料公表時の年齢階層別人口データをとってきて、少し作業するだけである。時期をそろえることで、年齢階層別のいびつな動きが効果的に修正される。
 ただし、誤差を含むデータを扱う場合には正解は一つだけではない。完全ではない答をいくつか用意して、未知の真の姿に迫る、という姿勢が望ましい。ただし、いまの問題はあまり代替案がない(注)。

(注)時期をそろえる別の方法として、接種者数を人口と同じ2021年1月1日現在の年齢で集計できないか、を考えよう。資料公表時の接種者数の年齢階層別集計値を年齢別に案分して、2021年1月1日の年齢で集計し直すことは、いくつかの仮定を導入すると可能である。ただし、年齢別のワクチン接種率が等しいと、ワクチン効果の推計値は、人口を接種者数の集計時に合わせる方法と同じになる。実際の年齢階層別のワクチン接種率の差はさほど大きくないので、この代替案で求めた値は、人口を接種者数の集計時に合わせる方法とそれほど大きく違わないことが予想される。

 厚生労働省がいまだ修正しないことをどう考えるべきか。つぎの例題によって、考えてみよう。

データの制約によってどうしても誤差を含む推計しかできないが、誤差は小さく、許容範囲と判断して、推計値を公表した。しかし、時間の経過とともに誤差が大きくなって、どう考えても真の値から大きく離れていると考えざるを得なくなった。

 誤差が大きくなるかどうかを事前に予測できたかどうかが、判断に大きく影響を与える。将来、誤差が大きくなることを予測できたなら、そのような推計値をなぜ公表したのか、と批判されるだろう。しかし、予測できなかった場合に、誤差のある推計値を公表したことを批判するのは酷である。当初の判断は批判しないが、早急な修正を求めるのが合理的である。政府が発表する数字には世間の厳しい目が向けられるので、時としてそういう酷な批判があり得る。政府がそのような批判を避けるために誤差を含む推計値の公表をためらう、という悪影響も生じる。
「誤差をコントロールしながら真の値に近づく」という姿勢は行政の無謬主義、継続性重視との相性は悪いが、どうすればよいか。最初に公表する際に、誤差について注記の形ででも明示しておけば、予測できない形で誤差が大きくなった場合にも推計値を切り替えることを規定路線として説明がつき、酷な批判にも対応できる。

②「データ収集体制をどう設計するのか」について。
 VRSとHER-SYSが連携していれば、HER-SYSにワクチン接種歴の正確な情報を入力できる(専門家コメントでの東京都北区保健所のデータでは、VRSでの「不明・無回答」が17%あり、完全には正確ではない)。「連携」とは、データベース間でレコードを対応づけられるということである。上述したように、発生届を入力しているときに保険証の番号を入力すれば生年月日、ワクチン接種歴等のデータが自動的に埋まるシステムを設計することは、技術的に可能である。VRSに記録がない場合以外は未記入も不明も起こらない。
 このようなデータの連携ができていないことはHER-SYSに限らずに政府のシステムに散見されるが、そうなる理由は大きく2つある。第1は、システム設計の視野が狭く、そのシステムだけのことを考えて広い用途を考えていないことである。第2は、国民の抵抗があって、マイナンバーの利用が積極的に進まないことである。抵抗は、政府が国民の情報をすべて集めて管理することへの懸念から生じている。「知らないうちにデータが収集されて、何かよからぬことに使われるのではないか」という懸念である。
 この懸念を晴らすには、マイナンバーの利用法を徹底的に開示して、利点と問題点を誰もが理解できるようにすることで国民の信頼を得ることを目指すのが望ましい。具体的には、マイナンバーでどのようにデータ連携がされているのかを政府のマイナンバーのサイトでまとめてわかりやすく説明する。そうした土台が整っていれば、HER-SYSがVRSから情報を得ることについてもそこで効果と問題点を透明にしたうえで判断することができる。
 現状では逆に、寝た子を起こさぬように、マイナンバーを利用していることをきちんと説明しておらず、懸念を増大させかねない。VRSの基本的な説明資料「いま知ってほしいワクチン接種記録システム」(2021年6月、内閣官房 情報通信技術(IT)総合戦略室)での説明図(2頁)は、VRSでマイナンバーが利用されていることが示されていない(説明はその後の5頁にある)。
 さらに保険証の番号を利用することの問題は、HER-SYSだけを見るとマイナンバーを利用していることがわかりづらいことだ。なおさら、利用法をわかりやすく、くわしく説明すことが必要だ。
 ワクチン効果に関して関心が集まったことは、十分な分析ができるためのデータの連携を進める機会ともなり得る。専門家コメントの執筆者もデータ連携の不備については苦労されているはずなので、「現状においてそれは現実的ではない」と現状を肯定するようなニュアンスよりは、事態の改善を促すニュアンスを出せればよかったのではないだろうか。

3③「ワクチン効果をどう解釈するのか」について。
 専門家コメントでは、この資料からワクチン効果については、この資料によるべきではないとしている。また、英国ではこの種の資料の公表をとりやめたことを紹介しており、暗に資料の作成中止を促しているかのようである。この点については、上の2つの論点とは趣を異にすることと、この記事が長くなったので別のブログ記事にしたい。

 最後に宿題。ここまで発生率の分子の陽性者数の集計時期を問題にしてこなかった。「筆者が馬鹿である」以外の理由を考えなさい。

(参考文献)
「新型コロナウイルス感染者等情報把握・管理支援シテム(HER-SYS)とワクチン接種記録システム(VRS)を用いたワクチン接種歴別の新型コロナウイルス感染症人口当り報告数の疫学的意義について」(2022年7月13日)

(関係する過去記事)
「ワクチン効果に関する誤情報」

事業者の営業制限(事例研究)

 7月14日、「事業者の営業制限:事例研究 新型コロナウイルス感染症」を公開しました。これは、新型インフルエンザ等対策特別措置法による事業者の営業制限について、特措法制定時の議論から実際の運用までを追跡し、その問題点を検討したものです。過去のブログ記事「自粛要請に関連する補償のあり方」、「不適切な営業自粛要請の代償」、「自粛と補償のあり方(まん延防止等重点措置をめぐって)」の内容も取り入れて、公共政策大学院の秋からの授業の教材として使用することを念頭に作成しましたが、将来は別の形態への発展も考えています。
 憲法上の深刻な問題ともなり得る私権の制限を必要最小限とするには、国会の審議を経て制限の範囲を事前に明確にして、その範囲で運用すべきですが、新型コロナウイルス感染症では事前の想定から大きく外れた状況が現われ、事前の計画通り運用することができなくなりました。そのような事態にどう対処すべきかは、政策の実務者と研究者にとって重要な課題です。私権の制限を最小限とすることを根幹とし、計画を修正して運用すべきですが、現実には縦横無尽に私権が制限されるようになったことを拙稿で説明しています。
 憲法の緊急事態条項が議論されていますが、特措法を教訓とするなら、条文で明確に制限された部分以外は最大限に私権が制限されると予想すべきでしょう。

(関係する過去記事)
「自粛要請に関連する補償のあり方」

「不適切な営業自粛要請の代償」

「自粛と補償のあり方(まん延防止等重点措置をめぐって)」
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